「茄子の料理」「きゅうりの料理」とスマホに向かって話すとすぐにレシピが出る。携帯を機種変更後、毎日のようにこの機能を利用している。この夏はじめて茄子を買った。茄子は豚肉との相性がいい。また味噌とも相性がいい。昨日は味噌でなくスマホに表示されたポン酢で料理する。そしてショウガも加えた。自分の中では久々のヒット作。美味しくいただいた。今年の夏はなるべく火を使わない料理に挑戦している。が、昨夜のポン酢を使った料理は火を使う価値があった。
以下は先日読んだ(上)に続く『花咲ける上方(ぜえろく)武士道』(下)(司馬遼太郎 春陽堂書店、2022年新版改訂版第1刷)である。いつものように気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★ひとり京から遠くはなれた暗い潮騒のなかで走りながら、公家密偵使高野少将は、ふと心に臆するものをおぼえた。(このぶんでは、無事命があって江戸へ着けるだろうか)走った。ひょっとすると、このまま地獄に走っていくような気がした。(148p)
★鳥追いというのは、常人ではない。非人なのである。道を追い越すときには、武士はおろか、百姓町人にさえも腰をかがめて通らねばならなかった。鳥追いだけではない。能役者をのぞいた諸芸人は、すべて常人の籍からはずされていた。歌舞伎役者でさえも、京の堂上方や将軍などに召されたことのある者とその周辺の者のほかは、非人頭の支配を受けさせられていた時代なのである。少将は、代々京に閉じこめられたまま三百年を送り暮らさせられてきた公家だから、徳川氏が私製した上下のしきたりには、ほとんど無知だった。……富士がみえた。名にしおう薩埵(さった)富士なのである。(222P )
★志士たちは、腕力だけを資本にこの運動に参加している者を卑しんだ。そういう者に対しては、志士たちは、常人のやりたがらない仕事をあたえた。人斬りである。勤皇攘夷運動をはばむとみられる公武合体主義者や、開国論者、幕府の諜者などを暗殺する役だった。かれらは、志士の間でひそかに「隠亡(おんぼう)」といわれた。「隠亡」の中で、知名な者には薩摩の田中新兵衛、肥後の河上彦斎、土佐の岡田以蔵などがいた。舘林千十郎は、それら「隠亡」の群れの中にはいった。人を斬れば、どこからともなく、報酬が出る。若いかれらは、酒色を覚えた。人を斬るときは、かならず酒気をおぼていた。(234p)
★お坊主というのは、江戸城内での給仕、接待などに任ずる文官のことで、ご家人格でありながら武士ではなく、頭をそりこぼっているが僧侶ではない。通称、お茶道と言われているのがそれだ。(280p)
★このとき島津軍が用いた独特の殿軍(しんがり)戦術が「捨屈(すてかまり)」だった。本体が退いた後、未知の両わき十数間ごとに、点々と狙撃兵を捨てておく。敵が迫ってきたとき、最後の後端の狙撃兵が射撃をおえると、すぐ最先端に走っていって再び伏せる。それを繰りかえすことによって敵の追撃を遅らせるのだが、かれらはむろん、生還は期しがたい。いずれは敵の怒涛の中に姿を没し、しかも、武士としての功名さえ、味方の主将に知られることがない。個人の功名にすべてをかけた戦国の武士のなかで、自軍の組織のために犠牲になる精神は、薩摩のきわだった家風といえた。こういうささいな事件にも、一見他人からみれば無気味と言える薩摩の組織精神をみたとき、少将則近は、幕府を倒すものはだれかという答えが、おのずから出るような気がした。(328-329p)
★少将はふきだした。「そちとは、上方にもどってからゆっくり会おう。そのときの気持ちしだいで、ひょっとすると、官位を捨てて小西屋仙女円本舗の養子にもどりたい、というかもしれぬ。それまでは、右近衛少将高野則近は、小西屋のものでもなければ、薩摩藩のものでもない」……「わからぬか。――そこにいる」「あ、お悠どの」……「そうさ」少将が笑った。(362-363p)
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