2023年8月11日金曜日

「數(数)」は「サク」!?

 3日間エアコンを点けっぱなしにしていたが、なんとその間の最低気温は30度近くあったらしい。また最低気温が30度近い記録は過去最高だったとか。暑いはずである。

 司馬遼太郎の『街道をゆく』の「台湾紀行」を読んでいる。その初めころに「数寄」が出てくる。「すき」である。

★数寄はあるいは司馬遷の造語だったかもしれず、「李将軍列伝」は、このことばが、主題になっている。司馬遷は、人間とその人生をまるごと計量器にかけることの名手である。数奇は計量の結果としての数値といっていい。ついでながら、日本の漢文学習ではこの場合、数(すう)をサクとよむのがならわしだが、諸橋轍次の『大漢和辞典』では「サクと読むのは非」とある。(35p)
 
 これを読んで父が使っていた古い『新撰漢和辭典』(宇野哲人・長澤規矩也編 三省堂、昭和13年第23刷)を見ると司馬遼太郎が書いているように「数」⇒「サク」とある。なお「数」の古い字体は「數」。父は生きていれば107歳になる。司馬遼太郎は生誕100年だからほぼ同時代を生きている。古いこの辞書も既に85年、我が家にいた!?父が形として残したものは何もないがもしかしたらこの辞書だけがそうかもしれない。今となっては古書!?大事にしたい。

 司馬遷の「史記」に関しては武田泰淳の『司馬遷』を読み『史記1』を読んだ。さらに『史記列伝』(上)を読み始めて権力闘争に明け暮れるさまを読むと途中で読むのをやめた。その時に上記に記した「李将軍列伝」を目にしてこれだけは読もうと思った。「李将軍列伝」に関しては昨年の10月19日にアップした亀井郁夫の『人生百年の教養』にも書いている。 

★私がイメージする理想の教養人もまた、人格の理念と深く結びついています。司馬遷の『史記』(「李将軍列伝」)に引用された「桃李不言下自成渓」がモデルとしては理想的です。桃や李(すもも)の木は、じぶんから言葉を発することはない、しかし、そのかぐわしい香りを求めて、自然と人が集まってくる。その結果、木の下には、みちができる。つまり、徳のある人は、じぶんから声を発さなくても、おのずと人が集い、いつしか道ができてしまうものだ、というのです。

中段の左にある「數(数)」は確かに「サク」とある
父が使っていた『新撰漢和辭典』
昭和13年第23刷発行で2圓70銭とある

 そう知って「史記」の「李将軍列伝」を読むことにした。その意味でも今、「台湾紀行」を読むのは正解だった。それは途中で投げ出していた「史記」を再度読もうと思ったことにもある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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