2023年6月5日月曜日

講演を聞きに行く

 真宗大谷派(東本願寺)主催の仏教講演会に出かける。今年は親鸞聖人御誕生850年、立教開宗800年慶讃記念らしく講演会が催された。舞台を見ると仏さまが祀られている。講演開始前に数人の僧侶による読経がある。厳かな読経なのになぜかこの場にいたくなくなる。まるで葬儀のような読経はどうしても好きになれない。これは会場が一体となってすすめられる。もらったプログラムにお経が記されている。が、一緒になって詠む気がしない。なるべくならばその場にいたくない。しかし、講演は聞きたい。

 初めに中島岳志氏の講演がある。プログラムとともに入っていたパンフなどの裏面を利用してメモする。久々に真剣にメモを取る。今回の講演会のタイトルは「ええかげん論」で政治学者の中島岳志氏と料理研究家の土井善晴氏の講演があった。2人の講演後は川村妙慶をコーディネーターとして迎えた中島氏と土井氏の対談もあった。

 まずは中島岳志氏の講演から。親鸞聖人の他力本願から「利他」についての話題になる。「利他」の反対として「利己」がある。コロナ禍ではマスク着用やエッセンシャルワーカーやごみ収集車に従事する人などは人の為に尽くされた。この人の為は偽(にせ)になることもある。ボランティアをしようと動機付けする。これは権威付けになるかもしれない。そうなると利他の為でなく偽になる。

 ではどうすれば利他は可能になるか。マルセル・モースは文化人類学者で岡本太郎はこの人に習っているそうだ。モースは「贈与論」(ギフトギフト)という論文を書いた。「ギフト」は「毒・贈り物」という2つの意味がある。この例として人から贈り物をいただいたとする。その際、そのお礼は?が頭に浮かぶと上下関係や支配関係が出てくる。人への親切がもしかしたら仇となりかねないかもしれない。贈り物を受け取った人がお礼をどうしようと思ったら、相手を苦しめることになる。利他は簡単ではないらしい。しかし利他が発展するのは受け手の問題で成立する。それには受け手の「自覚」が必要だ。

 ここから中島氏自身の話になる。中学1年のとき部活に入る際、中島氏は部活の人に手を出すことが起きた。顧問の先生から「野球部に入らず塾へ行きなさい」と言われる。その時はその意味が理解できなかったそうだ。それ以降、しっかり勉強して大学院を終えると3年間、インドで研究。先生の一言を聞いてから15年後に「塾へ行きなさい」の意味が受け取れたという。その一言は太陽や大地の恵みのような「気魄」ということになった。このように利他(気魄)はありがたいと思うことにあるという。

 ヒンディー語の勉強に「与格」がある。これは行為や状態が私の意志に還元されないどうしようもない時に与格を使う。私は、私がは主格。風邪をひこうと思ってもひかない。しかし向こうからやってくる大いなる力(神)で私には風邪をひいたように思えるの「私に」が与格。この与格性を見出した人に柳宗悦がいる。柳は「民芸」(民衆芸術)を美しさ=他力(佛力)とした。民芸から話は土井善晴へ引き継がれる。

 メモは個人的なもので聞き間違えがあるかもしれない。

 その後の2人の講師の対談も終わり3時間の講演会はあっという間に終わった。北九州などからも聞きに来た人がいたとか。久々に1300人という観衆での講演会に出席した。また久々に真剣に話を聞いたためか結構草臥れた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

0 件のコメント:

コメントを投稿