2022年11月2日水曜日

竹原へGO~

 竹原は安芸の小京都といわれる。道の駅たけはらを出発すると町並み保存地区に入る。まず目にするのは頼山陽銅像だ。そのほとりには筍を模した車止めが入り口にある。像の前の新港橋を渡って旧森川家住宅に入る。竹原は塩田で栄えた町らしく森川家もそうだった。旧森川家を見学すると小学2年まで住んでいた家(母の実家で随分前に建て替わった)を思いだす。もらった地図に沿って歩くが始めのうちは地図になじめず、なかなか歩が進まない。楠神社を見つけた。名前の通り大きな楠が神社横に植わっている。


筍をかたどった車止め
 次に向かうは旧光本家住宅だ。道の駅たけはらで町並み保存地区の有料施設の周遊券を買っている。旧光本家も有料であり、今は今井政之陶芸の館となっている。ご本人とその長男、次男も陶芸家であり、3人の作品が展示されていた。さらに歩を進めると照蓮寺に着いた。空を見上げると真っ青だ。辺りにぼつぼつと若者の姿が見えだす。 
空は真っ青でこれぞ本当の行楽日和
川も竹で目隠しだ
 照蓮寺は竹原小早川氏代々の学問所で、頼三兄弟をはじめすぐれた文人を輩出している。そのそばにある頼惟清旧宅に入る。頼惟清は頼山陽の祖父であり紺屋を営んでいたそうだ。そこには頼山陽の詩碑が建立されていた。さらに山道に歩を進めるとおかかえ地蔵がある。(おかかえ地蔵というからには抱えてみよう)、と思って抱えてみるが、かなり重い。抱えて軽かったと思えば願いが叶うとか。抱えたと思っても気持ち程度くらいで1mmも上がっていないだろう。お地蔵さんのおられるそばにはコスモスが咲いていた。コスモスの写真を撮りたくて奥に入るがうまく写真に写せない。

頼山陽の詩碑

お地蔵さんの鎮座するそばにはコスモスが咲いていた
おかかえ地蔵
 昨日の地元紙に竹原の町並み保存地区で3年ぶりに「憧憬の広場」がライトアップされたとの記事がある。憧憬の広場は歴史民俗資料館に隣接する広場にあり、竹鶴酒造の正孝、リタ夫妻の銅像も建っていた。歴史民俗資料館も有料施設で元は江戸時代に建てられた竹原書院跡の洋館で塩田関係の資料が展示されていた。館内は急な階段をあがるが見学場所が2階の左右の部屋にわかれて互いの部屋への行き来はできず、上がっては降りてをくり返して見学する。
 
憧憬の広場 その横の建物が民俗資料館
町並み保存センター前にある電話ボックスも竹細工仕様

 資料館の係に西方寺と普門閣の行き方を尋ねると外に出て親切に教えてくれた。まずは階段がある場所を探すと西方寺に着いた。京都清水寺を模して造られたといわれる西方寺の普門閣観音堂に向かう。階段を上がると撮影のクルーがいた。「写真撮影?」と問うと「いや、昼寝ですよ」と照れて言う。ここから下を見ると竹原の古い町並みが一望できた。
普門閣
普門閣から見下ろす竹原の町並み
 西方寺を降りて元来た道を歩くが地図にある長生寺と地蔵堂がわからない。お年寄り連れが歩く方向に引きずられて歩くと通りに出た。再度、引き返してどうにか長生寺にたどり着く。また地蔵堂も同じ境内にあった。地蔵堂でまたもお地蔵さんを抱えてみる。こちらは先の地蔵さんよりも抱えやすく少しは抱えあげられた気がする。そして最後に有料施設の旧松坂家住宅に入る。

 平日のお昼、どこを歩いても人の気配は数えるほどしかいない。お陰でゆっくり観光できた。途中、胡堂があった。が、この読みを人に尋ねるとき「こどう」と言ったら、教えてくれた人は「えびすどう」という。そして同じグループの人に読みの違いの話をしていたのが我が耳に入る。日本語は難しい!

地蔵堂
 
 西方寺と地蔵堂が判らず人に聞いて行ったが、そのために帰りのバスが発車する通りに出るのに戸惑う。道の駅たけはらまで戻ってそこで教えてもらいバス停を確認する。10月、いろんなところへ出かけてよく遊んだ。一人で出かけるのがさらに楽しくなった。その矢先、友だちから電話が入る。土佐へ行こうという電話だった。土佐には竜馬がいる。そうだ、土佐へ行こう。それも久々に友だちと一緒だ。これも楽しみ!ちなみに竹原への高速バスは「かぐや姫」号で人生2度目の竹原行きだった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 
 10月31日(月)の行程
 広島バスセター発10:00🚌道の駅たけはら着11:20→道の駅でお昼を食べる→15:20高速バス出発まで竹原町並み保存地区散策🚌広島駅16:30着

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