2021年11月30日火曜日
パンダ愛
2021年11月29日月曜日
習いものあれこれ
もうすぐ師走。今年一年を振り返るには早すぎる。が、それにしても一年が過ぎるのは早い。自分の年齢に自分自身が追いついていない気がしてならない。今朝ふとこれまでを振り返る。自分自身のこれまでの経緯だと来年は何か新しいいことを始める年に当たる。10代、20代……とこれまでを振り返ったとき、新しいことを始めていた。初めに気づいたのはブログをやり始めてからになる。これまでの自分の人生で一番頑張ったと言えるのは30代。この年、新たなこととして中国語を習い始める。同じ頃、自転車に乗ることを練習。さらに水泳に挑戦と我ながらよく頑張ったと自画自賛。とはいえこれは誰もが簡単にできることばかり。それなのになぜこれほど頑張ったと言えるのだろう。
人ができる自転車や水泳が自分の中ではとても高い目標だった。40代は海外旅行開始、フルート、50代で社会人大学生になる。この年代も30代と同じくらいに頑張った。もしかしたら一番頑張ったのは50代と60代かもしれない。というのも50代、60代は社会人大学生をやりながら母の介護が重なった。その大変だった学生と介護の両輪がなくなると60代でブログ開設と日本画を習い始めて今に至る。すでに70代になった。この年代で新たなことを始める!?それは何?自分自身が思いつかないことが待っているかもしれない。そう思うと楽しみが増す。それは何か、今はわからない。ふと頭をかすめるモノ・コト・ヒト……。それは何?もしかして何もないかもしれない。が、多分何か新たなことをしそうだ。
ついでにというか10代は琴、20代はエレクトーンを習い始めた。その延長線上にフルートがある。今でも続けているのは中国語、水泳、自転車、フルート、ブログ、日本画がある。他にも40代で始めた海外旅行があるがこれは今はコロナ禍で行かれない。ここまでを振り返っても今が一番楽しいのもうなづける。大事なことを忘れている。3年前に目覚めた司馬作品全読破がある。これはライフワーク!?
ともあれ今日も元気で楽しくs後しましょう!
2021年11月28日日曜日
本の購入はダメだった
『司馬遼太郎全仕事』を買いに隣町の本屋に出かける。物心ついたころから本屋は住んでいる町にはなかった。ただ隣町には3店くらいあった。が、今は2店になった。以前は自宅最寄りJR駅前にあった本屋はとっくになくなった。まさかお目当ての本が在庫なしとは夢にも思わず、自転車に乗って本屋にいった。店主に署名を告げるとパソコンで調べてくれる。が、在庫切れで絶版とのこと。(ああ、なんということ)と思いながらお店を出る。家に戻ってネットで検索すると中古品がある。以前、専門書をネットで購入したことがあるが、今はそこまでして買わなくても、と思ったり。
家を留守にした間に電気屋さんが来られていた。電話すると再度来られた。瓦棒を新たにする際、樋はそのままでいいのかどうかが気になった。その返事で来られて、結果、樋はそのままで、となった。だが、大仕事がいつになるのか今はわからない。連絡待ちだ。
家に関することは義兄に間に入ってもらっていた。が、工事を請け負う会社が事業をやめられて頼めなくなった。そこで思いついたのが近くの電気屋だ。母が亡くなって家のことはすべて自分でやるようになった。この10年間で一番の大仕事はブロック塀を撤去してブロックとほかの材料で塀をやり替えたことがある。この時は義兄に仲介をお願いした。これは海外旅行3回分くらいの費用が掛かった。その次に水道管破裂でこれも義兄に仲介をお願いした。これは国内旅行並みの金額だった。今回は海外旅行2回分くらいの金額になりそうだ。
親が生きていた頃に何度も家のリフォームをしている。これからは家が壊れるか住んでいる人間が壊れるかの競争になる!?いずれも壊れずに、と願って……。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月27日土曜日
『司馬遼太郎全仕事』を買おう
2021年11月26日金曜日
ああ、ピアソラ
穏やかな気持ちいい朝を迎える。昨日午後はプールで泳ぐ。予定通り500mを泳いだ。コロナ禍のプールは空気を入れ替えるためか換気の音や風通しを良くしていて室内は以前ほど暖かくない。更衣室も暖房が入っていないようで寒さを感じる。前回は300m、今回は500mの泳ぎだが、長く泳がなかった割には楽に泳げた。ただプールの行きかえりの自転車は気をつけているのでこの点は楽勝ではない。
プールのある館内ロビーの展示コーナーを見ると来月中旬に講演会開催のポスターがある。係に問うと主催者が役場、とのことで帰宅後、そこへ電話する。久しく講演会というところへ出かけていない。ただ、講演会の主催者が広島市でなく隣町の役場だ。電話で予約すると市内在住者もOKだった。講演を聴こうと思ったのは講演者がどうこうよりも講演会場が新たにできた建物でその場所に入ってみたい気持ちがある。
その建物の横には旧千葉家住宅がある。今朝の地元紙によると今日から特別公開するとある。今まさに紅葉が真っ盛りらしく公開するという。公開場所は家から歩いて行ける。散歩がてら行ってみよう。
話は変わって今朝のFMはピアソラ特集。朝からバンドネオンの音楽が心地いい。ピアソラは好きな作曲家でフルートでも吹ける。午後のNHKラジオ欄を見るとピアソラ特集をやるようだ。生誕100年のピアソラ。母よりも数歳若い。ということは今どきの人だ。ここでふと頭をよぎる。それは旅の最後はアルゼンチンに行きたい、という希望に燃える。ピアソラの曲は切なさの中に激しさを秘めている。これがいい。アルゼンチンに行って是非とも本場のタンゴを聞きたい。これは夢!?今年春、10年のパスポートを更新した。このパスポートをせめて1,2度は使いたい。ところがコロナ禍で海外渡航は以前のように簡単には行けそうにない。まだいったことがない近場の韓国、何度か行った台湾、そしてアカシアの咲く春の大連。せめてこの3か所を、と思ったりした。
ところがここに来てアルゼンチン、が頭をよぎる。当分いけそうな状況ではない。ただむやみやたらに年月だけが過ぎてゆく。たとえ行かれる状況になっても自分の体がそれについていけなくなるかもしれない。その時は一度も乗ったことがないビジネスを利用して……夢は尽きない。いつの日か実現するといい……。
ともあれ今日も元気で楽し過ごしましょう!
2021年11月25日木曜日
プールの話題
今朝の地元紙、くらし欄に「プールは小さな社交場」とある。83歳の市内に住む女性の投書だ。週に3回、プールに通っているそうだが腕が痛くて泳がず、水中歩行を1時間するという。プールにいる間は仲間とのおしゃべりタイムが楽しいらしく、プールが健康維持の社交場にもなっているとか。
先日、コロナ禍で泳げなかったプールに半年ぶりに出かけて泳いだ。投書の人の「プールは健康維持の社交場」はその通り。と言いたいところだがヒト・モノ・コトすべてに慣れすぎると面倒に思えてその辺りは適当にしている。プールでは水着とキャップとゴーグルでしか人の見分けがつかない。ましてや視力がよくないのでプールから出て着替えた姿では泳いでいた人かどうかはすぐにはわからない。半年ぶりであってもプールで見覚えのある人が2,3人はいる。ただ、その人たちともあいさつ程度でそれ以上親しくなろうと思わない。それでなくてもどこに行っても人とすぐに親しくなりやすい。これはよくないと思えてきた。
今日は穏やかな一日となりそうだ。午後はプールへ行こう。そして泳ぎは500mにしよう。それにしてもプールは長く続いている。30代半ばで泳ごうと思って以降、細々と長く続けている。その間、泳ぐ間隔が一番あいたのは今年の半年ぶりかもしれない。元々はただ泳げるようになりたい、から始まった水泳が泳げるようになると楽しみに変わった。この泳ぐ楽しさがある間は何歳になっても泳げそうだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月24日水曜日
外国語の歌
作品展に出品した絵4点がやっと帰ってきた。絵の搬入・搬出を手掛ける画材屋さんから先日、午後2時ごろ配達するとの電話があった。ところが、昨日お昼にスーパーから戻ると玄関前に絵が置いてある。正午前に配達されたようだ。家の固定電話と携帯を見ると正午前に電話がある。すぐに画材屋へ電話して絵を受け取った旨、知らせた。それにしても何と配達時刻のいいかげんなことか。この秋は画材屋さんは忙しい、とのことだから決まった時刻に届けるのは難しいのかもしれない。
作品展は額にはめてあるガラスや強化プラスチックを外して展示する。戻ってきた絵を段ボールから取り出して額にガラスや強化プラスチックを入れて絵を入れる。この作業は自分にとってはかなりの重労働だ。6号やサムホールのような小さい絵でも重労働なのに50号や100号の人はどんな力持ち?と思ってしまう。自分自身は到底それは無理、というよりも描けないのが勝りそうだ。
夜来香を中国語簡体字の歌詞で練習している。これまで英語のケ・セラ・セラ、スペイン語のその名はフジヤマを練習して暗唱できるようになった。しかし、夜来香はこの2曲よりさらに練習に時間がかかりそうだ。メロディはわかっていてもこれを中国語の歌詞に当てはめるとうまく歌えない。中国語の歌詞は楽勝、との思いは大外れで時間は長くかかりそうだ。
そう思いながらもこれが暗唱できるようになったら次はロシア語の曲を、と思ったりする。若い頃、暇を持て余していろんな外国語を習いに行った。その中にフランス語もある。これは友だちの紹介で習うようになったが1年習ったはずなのに全く覚えていない。それというのも授業料は大学の先生のボランティアらしく無料で遊び半分に習いに行っていた。何ごとも無料というのはよくない。その点、スペイン語は自分の意志で大学の科目等履修生として学生とともに学んだので単位取得の試験も受けた。ということでフランス語のようなことはない。
そういえばロシア語も同じ友だちから教室を教えてもらって半年通った。これは市に関係ある主催で少ししか覚えていない。いろいろと習った外国語の中で一番楽勝と思えたハングル語は2度習いに行ってすぐに挫折した。すぐといっても本当に1,2度行ってハングル文字を覚える気がなくて全くダメだった。その点、中国語は英語以外では30代で習い始めて一番ハマった外国語になった。外国への目覚めも中国語がきっかけだった。当時は1980年代中頃で中国にのぼせていた。
何かにのぼせることは楽しい。今のようなネットはなく、短波のラジオを買って中国国際放送を聴くのが楽しみだった。そして投書などもしていた。今となっては懐かしい楽しい思い出。
今やネット時代。外国語もネットを利用して学べば学べそうだがもはやその時期は過ぎてしまった。若かったあの頃、やる気になっていたあの頃を思い出してマンネリ気味の今を戒める!?そのためにもまずは夜来香の暗唱が待っている。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月23日火曜日
『新装版 播磨灘物語』(一)
昨日の雨から一雨ごとに冬へと季節は変わってゆく。朝刊の天気予報では曇りのち雨だが、天気は持ち直して晴れのち曇りのようだ。この秋の紅葉シーズンも今週限りで見納め!?しばらく行っていない宮島へ、と思った。が、気分が変わりそう。先日、作品展にだした絵が今日午後配達されると画材屋から電話がある。到着時刻はあてにならないので午後は家に拘束されそうだ。その前にこれから図書館へ行こう。
以下は大分前に読んだ『新装版 播磨灘物語』(一)(司馬遼太郎 講談社、2011年第19刷)で黒田官兵衛の物語。いつものように気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★当時、京都の富商の多くが法華(日蓮の教徒)になってしまっている。この宗旨は、法華経を護持していれば現生の望みはなんでもかなうと信じられたもので、商人という、生活そのものが現世利益の思想の基礎に立っているひとびとには打ってつけのものであった。さらには南無妙法蓮華経の題目を連呼すると南無阿弥陀仏の念仏における内向的な気分にくらべ、気分がひどく外交的になり、困難に向かって勇往邁進したくなるという心理的なものもあって、室町末期の商業時代のにない手たちに相応しい宗旨だったといえる。(33p)
★重隆にあてはない。妻子をつれて備前福岡を出るときは寂しかったであろう。後年、官兵衛の子の長政が筑前(福岡県)に封ぜられてここに城を築いたとき、城下の名を福岡とした。家系の者がいかに備前福岡を懐かしんでいたかということのあらわれといえるかもしれない。(46-47p)
★この若い播州の士豪の子が、京へのぼろうとおもった理由の大きな部分は、かれの想像を越える世界が、堺や京にまできているということなのである。キリシタンのことであった。(136-137p)
★ほかに、もっと鮮烈な夢がある。ローマというものの雄大な世界を、官兵衛は同時代の過敏なひとびととともに知ったということである。……世界には広趾(コーチン)国(ベトナム)もあり、呂栄(ルソン)国(フィリピン)もあるということを室町期の貿易家たちが確かめてしまっている上に、万里の波頭のむこうにはローマ世界という一大文明があることを、官兵衛はその時代の鋭敏なひとびととともに知ることができたのである。(138-139p)
★信長がこの窮状のなかで決意したのは、叡山という中世的権威の亡霊のようなこの一大宗教勢力を襲い、寺を焼き、僧俗をみなごろしにすることであった。……叡山の僧の腐敗というのはこの時代には極に達していたといわれるが、信長の元来的ともいうべき中世的な旧秩序への生理的嫌悪と、さらに生理的といえばかれの独特な倫理感覚が、平然と腐敗的状況のなかではびこっているこの一山の僧侶たちの存在を生かしがたく思った。……信長は不意を襲った。殺された僧俗は数千である。山上の根本中道、山王二十一社、霊仏、霊社、僧坊、経蔵、一つの建物ものこさずに焼いた。学僧も僧兵まがいの無頼僧も、稚児も、行者も、学生(がくしょう)も、堂衆も、ことごとく殺された。信長の特徴はその革命的気分にあり、かれは中世的権威の代表である叡山を、火と血をもって葬ったのである。(313-314p)
★かといって官兵衛は栄達欲のつよい男ではなく、どちらかといえばその点、うまれつき欠けて此の世に出てきたような気配が、かれの欠陥であるといえばそのようでもある。かれは体を裂かれても半身で生きている山椒魚のように欲望や生命力が強くなかった。たとえば備前で自立している宇喜田直家などが、その山椒魚であろう。(340-341p)
2021年11月22日月曜日
あわい(間)
今朝、地元紙を読むと「島々のあわいを、巨大なタンクが埋め尽くす奇観を……」とある。この「あわい」の意味がわからない。新聞を読んでいてカタカナ表記や略したアルファベット表記などが意味不明なことはあるが、ひらがなで意味がつかめない、とは情けない。すぐに電子辞書の出番となる。あわいとは「間」と漢字表記がある。これだけ見てすぐに意味がつかめた。コト・ヒト・モノ・色・機会などとの間がらなどといろいろとある。
言葉、といえば司馬作品を読んでいても途中で意味がわからずに躓くことがある。その際もその都度電子辞書で調べる。司馬作品は時代的なこともあって日常、使わない言葉が頻繁にある。その時はいつも電子辞書が手放せない。が、テレビなどでタレントや芸人が話すわからない言葉は電子辞書にも載っていない。ましてやツイッターやブログを見ても新語なのかどうかさえわからない若者言葉がある。その究極はパソコンに頼る。別に若者言葉を知らなくても不自由はしない。が、新聞掲載の言葉は知らないとまずいのでは、と思ったり。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月21日日曜日
日本画教室で
昨日午後は日本画教室に出かける。午後の教室は6名だが、絵よりも優先するモノ・コトがある人がいたり、また、その日のコンディション不良で全員がそろわない日がある。昨日も1人は他のことで忙しくて休みだったり、もう1人は教室に来る途中で体の不具合に見舞われたとの連絡がある。が、その人は何とか教室に着いたはいいが3時間のうちすでに2時間10分が経過しており、絵を描かずに話すだけで終わった。それでも何とか自宅に帰られたようだが、これは他人ごとではない。
今年の日本画の作品展は先日終わった。昨年はコロナ禍で作品展が開催されず習っている教室以外の人たちとは2年ぶりの再会だった。皆さん、長年習われており新たな人が習われることはあまりなく、ほぼ同じメンバーだ。会わなかった2年の間に亡くなった人や教室をやめた人もおられる。また久しぶりに出会うと(年を取られた)と思える人もいる。他の人から見れば自分自身もきっとそう見られているに違いない。そうとわかっていても(自分だけは元気)と勝手に思ってしまう。だが、人は皆、平等に年をとる。
作品展の芳名禄を先生に見せてもらった。作品展の案内を出さない人も来場されていた。もしかして習っている人の知り合いや市の情報誌を見ての来場かもしれない。
先生は来年の作品展について話される。本画2作品以外に各自、サムホール大のパステル画、鉛筆画、本画などなんでもいいのでそれを加えて出品するようにとのことだ。日本画は1年描いても作品としては数多く描けない。それくらい1枚の絵を仕上げるには時間がかかる。というか教室でしか絵を描かないのでそうなるのかもしれない。
描いているのは信州・鬼無里の風景。先週、先生から次は樹木に色を施すようにと聞いて色番を控えていた。すぐにメモしなかったのでし忘れていたのがあった。昨日、「どの色を樹木に施した?」、と先生に聞かれて色を示す。すると「もう1色の黒っぽい色も……」、と言われる。この色をメモし忘れていた。次の教室では絵全体が暗過ぎるので明るくしようとアドバイスされる。
写真をカラーコピーしてそれを真似て描いている。(まるで模写?)と言いたいところだがそこまでには至らず。模写でも何でも絵らしく描ければそれでいい。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月20日土曜日
またもドンジョン「アダージョ・ノーブル」
昨年の2月にドンジョンの「アダージョ・ノーブル」の練習する。ところがその時はYOU TUBE先生の動画のアップがなく、他の人のを見た。昨夕、何気なくパソコンを触っていると今年の2月にYOU TUBE先生の動画のアップがある。これまでアップがなかった動画を日々、更新されている。まだアップがない動画も気にかけていればそのうちアップされるに違いない。
話は変わって先日のお墓参りの帰り道に少しだけ残っている段々畑の横を通る。そのうちのひとつである横に細長い畑に男性が4人畑仕事をしていた。畑に人がいるのを見かけることはなかった。声をかけると玉ねぎを植えているという。畑を2列にして1列には6月になると300個の玉ねぎが出来るそうだ。4人組は地域のお年寄りが暇つぶしを兼ねて農作業をしているのかもしれない。「玉ねぎを植えるのを初めて見た」、と話すと「結構きつい仕事」と言っていた。2021年11月19日金曜日
臨時記号&装飾記号に躓く
新しい曲を練習していて楽譜に出てくる臨時記号や装飾記号に戸惑う。練習する楽譜の臨時記号には(ダブルシャープ・重嬰記号)や装飾記号のターンなどが多々ある。何ごともわからなくなるとgoogle先生の出番となる。ダブルシャープはピアノなどの鍵盤を思い浮かべるとすぐに理解できた。ターンは少々戸惑いながらも笛を吹いて試して理解する。さらった曲であっても同じ曲ばかりを吹くわけではない。時にいろいろな曲を吹くようにしないと忘れてしまう。それにしても頼もしいgoogle先生だ。
昨日、午前中は母の月命日のお墓参りをする。墓地入り口に人の気配がする。以前一度だけ会ったことがある人だ。若くして旦那さんを交通事故で失ったという。帰宅後、眼科へ。眼科の帰り、自宅最寄り駅に隣接するスーパーに立ち寄る。ここはいつものスーパーにない品物がある。たまに行くと物珍しさもあって楽しくなる。
帰宅後に吹くフルート。♯を付けた音をさらに半音上げるダブルシャープの音に躓く。ファの♯のダブルシャープは「ソ」だ。ピアノの鍵盤を思い出して理解する。ターンは横や縦にしたのがある。今、練習するのは横のターン。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月18日木曜日
「秋の紅葉絶景ハイライト」日帰りバスツアー
ぐるっと歩いて回る「渓聲の小道」 |
これはカラー? |
御調八幡宮 |
まさに燃える秋 絵になりそうだ |
絵にできたらいい |
2021年11月17日水曜日
「私にとっては幸せな生涯でしたよ」
昨日は 県内4か所の名所旧跡を訪ねて紅葉狩りを楽しむ。コロナ禍の中、久ぶりに出かけるバスツアーだ。かなり楽しみにしてこの日を待った。案の定、好天にも恵まれ、お日柄もよかったのか三景園と今高野山では新郎新婦の写真撮影が行われていた。
広島駅新幹線口2階にあるペデストリアンデッキに集合。久しぶりのツアーで緊張するが待てど暮らせど添乗員は現れず。(どうしよう?困った)とあたりを見た時、女性連れがいる。(もしかして同じツアー?)と声をかけるとそうだった。この人たちも途方に暮れていたらしい。集合時刻間際で添乗員が来た。その言い訳はなんとトイレが混んでいた、と。
22名のツアーはまずは三景園を目指す。ここは広島空港ができた時点で作られた公園だ。この春にもツアーで出かけたが、春の時季は秋の紅葉のような感動はなかった。今回出かけた場所は連日、新聞やテレビで話題となった。とくに佛通寺と今高野山は紅葉の美しさを連日メディアが賑わす。
1時間ほど三景園の園内を歩く。この観光だけですでに5000歩近く歩いていた。この調子だと一日、かなり歩くはず、と思ったら携帯万歩計は1万5千歩になる。空港エリアにある三景園のそのまた近くに八天堂がある。ここも今春のツアーで訪れた。このカフェテリアで早い昼食をいただく。ここはパンで有名だ。
県内のバスツアーなのでバスの乗車時間は少ない。そのためかどこの観光地についても1時間くらいのフリータイムがある。次の観光地である佛通寺に着くと紅葉の美しさに目を奪われる。本堂では特別拝観もできた。
何度も出かけている佛通寺だが、今回初めて開山堂に参った。開山堂への参道は含暉坂(がんきざか)というそうだが、時間もあるので石段を登ろうとした。後でパンフを見ると200段近い階段とある。登り始めはよかったが、途中、戻る人に聞くと急な石段があるとのこと。今回もトレッキングシューズで出かけたので足元は大丈夫。たった200段だった、とは後で言える数字だが、結構登り切るまではきつかった。とくに途中から一段の石段が高く、上まで登り切ったことで大分気をよくする。そして、まだまだどこへでも行けそう、と安堵する。
佛通寺を後にすると御調八幡宮へ。御調(みつぎ)八幡宮のある御調へは初めて出かける地だ。その後、今高野山へ行く。ここも今春に来ている。和服の新郎新婦の姿があった。真っ赤に燃える紅葉と黄や緑のグラデーションは今朝の地元紙にも紹介されている。今年の秋の紅葉を満喫した一日は終わった。まだまだ元気を出して遊びたい。
話は変わって一昨日のNHKの「鶴瓶の家族に乾杯」の番組最後に浅村スミ子さんが出られた。御年104歳。戦争で婚約者を亡くし、今までその人を思い続けて結婚せずに生きてきたそうだ。家を継ぐために養子を迎え、今ではひ孫も生まれてお幸せそう。2年前の102歳になる頃、自宅庭にいた時に鶴瓶が突然現れる。それから2年後の今回、104歳になられてテレビのリモートで出演された。その人が番組最後で話された言葉に出演者一同の涙を誘う。見ている者も涙なくしては見られなかった。その人曰く「考えてみればあわれな生涯だったかもしれませんが、私にとっては幸せな生涯でしたよ」。この「私にとっては幸せな生涯でしたよ」と言える人は素晴らしい。我が人生もそう言える生涯でありたい!
旅の続きは後日のブログで。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月16日火曜日
大仕事になる!?
先日、2階の掃除をしていて窓を開けた。ふと1階の屋根に目をやると外れた瓦が1枚、そばに落ちていた。すぐに近くの電気店に急ぐ。電気店と瓦は関係ない。が、昨年、電気店で2階のエアコンの室外機を取り外してもらった。その時は瓦に何ら変化はなかった。が、台風などで瓦が飛ばされたのか外れていた。瓦とは関係ない電気店にお願いしたのは外れた瓦の様子を分かってもらえそうと思ったことによる。
昨日お昼、電気店と一緒に瓦屋が屋根を見に来られた。瓦屋根はこれまでも葺き替えたことがある。だが、長年住んでいると屋根も傷むようであちこちを見た挙句、ベランダの下の瓦棒の葺き替えや屋根瓦に漆喰を施すようにと言われる。瓦棒の葺き替えにはベランダの床を外してするという。
瓦1枚外れたのにどうも大仕事になりそうだ。姉に電話すると義兄が家にいて話を聞いてくれた。傷んだ箇所はなおした方がいいとのこと。業者は見積もりをとる、と言って帰られた。コロナ禍で海外などの遠出が出来なくなった。おのずとその方面でのお金が要らない。その代わりなのか家の補修でお金がかかりそうだ。ここは病気や怪我ではないのでこれも仕方ないと気持ちを切り替える。困ったときの何とか、ではないが信頼できる近くの電気店にお願いするしかない。初めに電気店に頼んだ時、店主は「食い物以外は何でもやる」と話された。パ〇ソニックのお店なのでリフォーム全般はOKと言いたいのだろう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月15日月曜日
またも夜来香
「夜来香」を中国語の歌詞で歌えるように練習している。歌詞のなかに「莺」 と「芬芳」があり、その意味が分からない。「莺」は「鶯」の簡体字でうぐいす。「芬芳」は電子辞書で調べると「ふんぽう」とあり、「よい香り、またはよい香りを漂わせること」とある。夜来香の中国語歌詞をはじめて見たときは繁体字だった。繁体字は今、台湾で使われている。中国語は簡体字で習ったが、日本人なので台湾ほどではないにしても漢字はわかる。ところが繁体字の「擁」を日本語で読めても簡体字で書くことができない。なお、簡体字は中国本土で使われている。
社会人大学生の頃は中国語の電子辞書をもっていた。が、電子辞書は所詮、電気製品のためいつまでも使えない。手もとにあっても画面が暗く廃棄状態だ。もう1つあるスペイン語対応の電子辞書は簡単な中国語ならば調べられる。だが、これは語彙が少なく辞書としての機能は生かせない。紙の辞書もあるが電子辞書を使っていると紙の不便さを感じる。ということで最終兵器はパソコン、となる。
夜来香を簡体字でノートに書いて覚えようとした。ところが文は読めてもすぐに書けない簡体字がある。「愛」や「為」などがそうだ。愛は「爱」、為は「为」と書けば簡単なのに忘れている。これは困った、と思い直した。ノートに書いて覚えるしかない。
スペイン語の「その名はフジヤマ」をいきなりリズムを聞いて覚えようとした。が、それは無理だった。ノートに書いて意味を理解してやっとメロディにあわせて歌えるようになった。夜来香も歌えるようになるには時間がかかりそうだ。ボツボツ、覚えて歌えるようになろう。以下は夜来香の簡体字の歌詞。
那南风吹来清凉,那夜莺啼声细唱,
月下的花儿都入梦,
只有那夜来香、
吐露着芬芳。
我爱这夜色茫茫,
也爱这夜莺歌唱,
更爱那花一般的梦,
拥抱着夜来香,
闻这夜来香。
夜来香,我为你歌唱!
夜来香,我为你思量!
啊 啊 啊
夜来香 夜来香 夜来香
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月14日日曜日
『生きているのはひまつぶし』
昨日は日本画作品展が終わってから初めての教室に出かける。どの人からも作品展の話になる。先生曰く「絵が趣味の人は私も含めて変人が多いね」と。ふと思った。「絵が趣味?」と。習っているから趣味と言えるしれない。が、人に趣味と言えるほどにはそう思っていない。とは言いながらも相変わらず樹木を描いている。
作品展に出した絵がまだ我が家に戻ってこない。画材屋さんの情報によるとこの秋は急に忙しくなったそうで絵が戻るのはまだ先になりそうだ。
『生きているのはひまつぶし』「深沢七郎未発表作品集」(深沢七郎 光文社、2005年)を読んだ。いろいろと本を読んでいると人の文章を引用した箇所がある。先日読んだ本に深沢七郎の『生きているのはひまつぶし』の引用があった。これまで深沢七郎の本を読んだことがない。タイトルに惹かれて図書館で本を探すと最寄りの図書館に本があった。深沢は父と同世代を生きている。本を読むとなかなか味がある人に思えてきた。こういう人の講演はきっと含蓄のある話が聞けるに違いない。が、今は時すでに遅し。此の世におられない。以下に気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★とにかく嫌なことは忘れて、楽しい瞬間をなるべく多く作ることだね。そのために稼いだり、乗り物に乗って移動したりするんだから。稼ぐのはめんどうだけど、楽しい時間を作るための支度だからね。とにかく、生きているうちは暇つぶしがいい。ギターを弾いたり野菜を作ったりするのも暇つぶしだね。オレには生きていることが青春だからね。死ぬまでずーっと青春の暇つぶしだね。
人生とは何をしに生まれてきたのかなんてわからなくていい。三千年前に悟りを開いたお釈迦様は、”それじゃわからない”と悟ったから悟りを開いたんだね。此の世は動いている。日や月が動いているのだから人の生も死も人の心の移り変わりも動いている。人間も芋虫もその動きの中に生まれてきて死んでいくということだね。まあ、暇つぶしながら、死ぬまでボーッと生きている。それがオレの人生の道、世渡り術というものだよ。(176-177p)
2021年11月13日土曜日
『新史太閤記』(下)
今日中には『新装版 播磨灘物語』の(二)を読み終えそうだ。これは黒田官兵衛の物語で計4巻ある。残る2巻は今年中に読めれば、と思ったりする。というのもコロナ禍の勢いが衰えて家にいるよりも外に気を向けるようになった。そのため本を読む速度がかなり遅くなる。来週初めには久々に行楽の秋を満喫しに外に出る予定。何はともあれ、家にばかり閉じこもらず外に出かけるのは健康にもいい。
大分前に読んだ『新史太閤記』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成二十六年八十八刷)。またいつものように気になる箇所をメモしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★おれは神を信ぜぬ――ということであった。なぜならばおれ自身が神ではないか。そういう論理での理解であった。神である証拠に地上の乱をこのように均しつつあるし、そのうえ藤吉郎の原理のなかに、どうやら愛に似たものが動いているようであった。いや、愛そのものであった。いや、愛そのものであるかもしれない。――官兵衛はよいことをいう。とおもったのは、その愛を意識的にもてばこの国を統一するもっとも大きなエネルギーになりうるのではないか。敵にさえ愛をあたえ、恨みを買わねば天下の人心は翕然(きゅうぜん)としてこの藤吉郎にあつまるのではないか。(48p)
★「古の頼朝も義経も、みな貴種の出だ。うまれながらにして武門の棟梁であった。おれをみよ。前身は尾張中村の草取り童である。御当家にあっては御草履をとる小者から身をおこした。こういう男は、唐天竺にもいまい」われながらたいしたものだとおもった。(49-50p)
★秀吉はこの種の――なんというべきか、人をおおぜい集めてやる催し(たとえていえば、のちにかれがやって後世まで語り草になった北野の大茶会や後陽成天皇の聚楽第行幸、肥前名護屋における仮装園遊会、醍醐の花見といったような)、そういうものを企画するだけでも血がわき頬がゆるむような気分になる。この信長の葬儀は、そういうことのすきなこの男の生涯における最初のそれであったであろう。「日本はじまって以来の大葬儀にするのだ」と、秀吉はいった。事実――かれがやった͡͡この葬儀の記録は、それ以前はおろか、その後もやぶられていない。(225-226p)
★ちなみに、この長浜城の城主は豊臣時代にあっては山内一豊、次いで関ヶ原ののち家康の家来の内藤信成がそれぞれ城主になり、大坂夏の陣ののちに廃城になったが、町民は秀吉を忘れず、彼の在世当時だけでなく徳川時代を通じてひそかに秀吉を追慕しつづけ、神として祀りつづけた。もっとも幕府に遠慮してその神社は表むきえびす神社であるとしていたが、祭神は秀吉であった。明治以後ようやくこの祭神を表に出し、社名も豊国神社とした。(261p)
★いままで、秀吉の意識や行動や才能をさえも束縛していた「織田家」というものが勝家の死によってかれの頭上からまったく取りはらわれた。秀吉は彼のおもうままにその政略をおこなえばよく、たれに遠慮することもなくなった。からをぬいだ蝉のように自分のその翅で自由に飛翔すればよく、すべてが自由になった。(372p)
★「参州(家康)という人は、右大臣家の死後、お人が変わられたようだ」といった。そのとおりであった。秀吉の家康観をあらためさせたのは、あの好人物であるはずの男が体のどこかにそれを蔵(しま)いかくしていたのか、人としての凄みをみせはじめていることであった。(424p)
★―ーあの男は、人を殺さない。というところにあるであろう。降服する敵将に対しては必ず優遇した。家康もいまその気になればさっさと兵を退いて降服してしまえば秀吉はかならず赦す。赦すどころか場合によっては現在の所領以上のものをくれる場合すらありうるのである。秀吉はいわば、大網をどっと海中に打ち入れた漁夫であろう。家康は、海で泳いでいるつもりでも、実は大網の中で激しくひれを動かしている魚にすぎず、魚は網のなかでできるだけ抵抗しようとしているが、いずれは上へあげられるであろう。あげられたところでその漁師は魚を殺さぬのではないかという漁師の心への奇妙な見すかしが魚自身にある。(463p)
★この時期、三河守家康の主題は戦闘であっても、秀吉の芸の主題は戦闘ではなかった。統一であった。「天下統一」というこの事業の華麗さはどうであろう。厳密な意味で日本列島は太古以来、一度も統一されたことがないといっていいであろう。鎌倉幕府も足利幕府もこの点で性格はあいまいであり、内実は多分に地方割拠であるといっていい。秀吉はすでに日本中の経済を一つにしようという、この国の歴史はじまって以来の事業にとりかかっていた。(482p)
★――三河の百姓。と、秀吉はひそかに家康の性格をそうおもっていたが、その言い方を借りるならばこの男は「尾張の商人」であろう。かれは、――土地は大名。富はおれ。と、明快に割りきり、その富を土台にしてこの大政権を築きあげようとしていた。(504p)
2021年11月12日金曜日
半年余ぶりにプールで泳ぐ
昨日午後、4月末に泳いで以来、半年余ぶりにプールで泳ぐ。自転車に乗って出かけようとすると雨が降り出す。自宅最寄り駅に行けばプールへの循環バスが走っている。駅に近づいた時点では雨もかなり降りだす。(バスに乗れば自転車をどうする?)と自問自答した挙句、そのまま自転車でプールへ。幸いパーカーを着て帽子をかぶっていた。何とか頭は濡れずにすんだ。
自転車でプールに行くのは久しぶりだ。片道20分弱の自転車だが早い人は10分もかからずにつきそうだ。が、ここは気をつけて自転車をこぐ。どういっても隣町にあるプールまでの道のりはトラックやバスなどが頻繁に通る大通りを横切らないといけない。
プールに着くとロビーで人が待っている。見知らぬおっさんが偉そうに指図する。機械に向かって体温を測れと言う。前日がプールの休館日だったので利用者が多いと予測した。ところがプールに入ると歩く人も泳ぐ人も少ない。半年ぶりに泳ぐので急に1キロ泳ぐのは危険と思った。出かける前から300m、と泳ぐ距離を決めていたので6往復で泳ぎをやめた。1キロだと20往復だが、6往復はすぐに泳げる。次回からは徐々に泳ぐ距離を増やそう。
久しぶりの水泳は何物にも代えがたいスッキリ感がある。それは体も軽くなった感じがするし頭も空っぽになった感じで気分爽快になる。家でじっとしているといい考えは浮かばない。体を動かす爽快感は何物にも代えがたい。
瀬戸内寂聴さんが亡くなられた。昨日テレビのお元気なころの様子を見ていると「人の幸せは自由であること」、とか「生きるとは死への準備」、みたいなことを話していた。そのためには「やりたいことをやる」とも。他にもたくさんいいことを話されている。が、ちょっとだけ見た訃報のニュースでこの2つに惹かれた。
いつかは燃え尽きる命ならば生きているうちに「やりたいことをやる」、これに尽きそうだ。若い頃、『嵯峨野より』を読んで感動し、寂庵を訪れたことがある。あいにく不在だったが……。市内で開催された講演会へは3回ぐらい聞きに行った。講演を聞いた影響なのか自分自身、その頃から動き出した気がする。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月11日木曜日
夜来香
那夜莺啼声细唱,
月下的花儿都入梦,
只有那夜来香、
吐露着芬芳。
我爱这夜色茫茫,
也爱这夜莺歌唱,
更爱那花一般的梦,
拥抱着夜来香,
闻这夜来香。
夜来香,我为你歌唱!
夜来香,我为你思量!
啊 啊 啊
夜来香 夜来香 夜来香
2021年11月10日水曜日
2021年日本画作品展終わる(その2)
信州・親海(およみ)湿原 サムホール 日本画 |
縮景園・今年竹 F6 日本画 |
信州・戸隠高原 F6 日本画 |
釧路湿原 F6 日本画 |
2021年11月9日火曜日
「日々満足して幸せに過ごせればいい」
文を読めばそうかと思ったりする。が、「感染症の最大の抑制策は、感染者に近づかないこと」、のこのことがわからない。文としてはわかっても感染者をどうやって見分けるのか。これがわからない。まあ、嘆いても始まらないので不安をあおる場所や人に近づかないのが無難なようだ。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月8日月曜日
ダグニーさんはお元気そう!
2021年11月7日日曜日
2021年作品展終わる(その1)
2021年11月6日土曜日
『在宅ひとり死のススメ』
図書館に予約していた『在宅ひとり死のススメ』(上野千鶴子 文藝春秋、2021年第4刷)をやっと確保した。本を受け取ると一気に読み終える。7年間、母の介護をした。母は3週間ほど救急病院でお世話になり亡くなった。最期まで面倒を見る、気持ちはあった。が、24時間1人で看ると寝ずにいなくてはいけない。それともうひとつ迷いがあった。いくら自分の親でも自分1人で母の最期の姿を看るのが怖かった。3週間の病院生活だったが親もこれに関しては許してくれるはず。
そういえば母は元気なころから「這ってでも家で過ごす」と言っていた。その気持ちは同じだ。最期まで母と過ごす生活を希望したのでデイサービスも施設も全く利用しなかった。これは自分自身が病院嫌いということにもよる。当然、自分自身もこの本に書いてあるように「施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい」。これは著者と同じ気持ちだ。
以下は気になる箇所を抜粋したもの。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★施設でもなく、病院でもなく大好きな自宅で自分らしい幸せな最期を迎えたい。その準備と心構えをお伝えします。「おひとりさまの最期」を支える医療・介護・看取りの最前線も紹介。意外とお金もかかりません。私、ウエノも、最期は「在宅ひとり死」でゆくつもりです。(裏表紙より)
★この三部作(注:辻川覚志『老後はひとり暮らしが幸せ』、『ふたり老後もこれで幸せ』、『続・老後はひとり暮らしが幸せ』の三部作)の結論はこうです。「満足のいく老後の姿を追いかけたら、結論は、なんと独居に行き着いたのです。/老後の生活満足度を決定づけるものは、慣れ親しんだ土地における真に信頼のおける友(親戚)と勝手気ままな暮らしでありました」(33p)
★施設が合う、合わないに個人差はありますが、ホンネをいうと、わたしは施設にもデイサービスにも行きたくありません。集団生活がキライだからです。……デイサービスに行くのを勧めるのは家族のつごう、家にいてほしくないからです。だましたりすかしたりしてデイに行って、行ってみたら居心地がよかった、それから愉しみにしているひともいるのはたしかですが、自分から進んで出かけるわけではありません。保育園に送られる子供と同じです。施設の機能はそこで生活が24時間完結することです。これを全制的施設(total Institution)と呼びます。その典型が刑務所です。だから施設はある意味、刑務所のようなものなのです。しかも刑務所なら終身刑でもない限り、いつかは出て行けますが、高齢者施設は死体にならないと出て行けません……お楽しみや気晴らしも含めて暮らしが24時間施設内で完結してしまうことを、全制的施設と言うのです。(61-62p)
★最近「ケモブレイン」という専門用語を知りました。近藤誠さんの近著『このクスリがボケを生む!「ケモブレイン」にならない13の知恵』(学陽書房、2019年)に教えてもらいました。薬が原因で起きる脳障害を表す専門用語で、こういうテクニカルタームが生まれるほど、欧米では知られているそうです。そのなかに、認知症薬も降圧剤も、コレステロール降下剤も、慢性病で飲み始めると止められない薬の多くが含まれています。……もし、わたしが要介護者になったら、投薬管理などやってほしくありません。ですから講演ではこんなふうに話します。このなかの5人にひとりが認知症になるとしたら、どなたでしょうね、その方を待っている運命が、拘束か薬漬けか、ふたつにひとつだとしたら、どちらがお好き?……と。5人に一人の高齢者を待ち受ける近未来が、物理的か生理的、そのいずれかの行動抑制という名の虐待だとしたら……あんまりです。(111-112p)
★生きるとは、食べて、出して、清潔を保つ、ということ。これが、食事、排泄、入浴という3大介護です。この3点セットが維持できるあいだは、生きられます。今日も目が覚めて機嫌よく一日を暮らせる……そしてそれを支えてくれる専門職のひとたちがいます。介護保険のおかげで、認知症になってもそうやって暮らしを支えてもらえる社会になったことを、わたしたちは喜べばいいのです。(136p)
★お家でひとりで死ねますか?――この問いこそが、本書で追究してきた問でした。答えは出ました。はい、できます。家族がいてもできますが、いなくてもできます。独居でもハードルは越えられます。ガンなら楽勝。認知症でもOKです。これもそれも、介護保険あってこそ。(170p)
2021年11月5日金曜日
世のなか変化している
昨日お昼前、友だちから電話がかかる。当番日に絵を見に行く予定をすっかり忘れていたとのこと。せっかくなので搬出日に会場に出向く旨、知らせてその時に早めに行って見てもらうことにした。
先日、レモンの木を切った請求書がシルバー人材センターから届いた。代金の支払いは地元銀行の振り込みだと手数料はかからないとある。早速、何年振りかで銀行窓口に行くと「印鑑は?」と問われる。「持って来てない」と答えると行員はタブレットを出して操作をはじめる。(窓口でタブレット)、と驚く。また(なかなかことが進まない、簡単には通帳を返してもらえない)と思った。コロナ禍で番号札は紙の印刷物だ。これは初めてのことで世のなか、自分が知らぬところで確実に変化している。なお、シルバー代金は4935円(剪定したシルバーさんへ3750円、残りが剪定で出た葉っぱなどの代金)と安かった。これからも何かあればシルバーにお願いしよう。
銀行の振り込みを終えて動きついでに郵便局へ年賀はがきを買いに行く。はがきを受け取る際、「早い者勝ちです」、と係は言ってミカンを3個くれた。そういえばティッシュも2つもらう。ティッシュなどはよくもらうことはあるが(ミカンはどうよ)、と思った。郵便局も世の変化にもれず変わっている!?
夜になると久々に友達から電話がある。コロナ禍で長い間、人にも合わず電話もしない生活が続いた。だが、それもコロナ新規感染者が減少すると徐々にそれも解消しつつある。電話の主は年齢的には2歳下だが、膝の半月板が損傷したという。膝が痛くなり病院に行ってやっと損傷に気づいたそうだ。膝といえば結構痛い人が多い。
今のところ、痛いところは皆無だが、いつの間にかそういうようになるのだろうか。というかいつも思うことがある。それは自分自身が全く覚えていない生まれてすぐの頃に大病を患ったと親から聞いて育った。人の一生の決まりごとがもしあるとすれば病に関しては人より早めにやり終えたのかもしれない。それで元気なのでは、と勝手に思ったりする。というか決して無理はしない。と言いながらも老いは誰もが避けられない事実。その時は今の考えとは別でそれなりに老いてゆくに違いない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月4日木曜日
気ままに過ごすと……
昨日半日は作品展の当番日。毎度のことながら作品展があると草臥れ果てる。昨日もそうだった。遊んだり、泳いだり、旅に行ったりして草臥れることがあっても、作品展の当番ほどには疲れない。これはなぜ?家で勝手気ままに生活している。何のしがらみもなく自由な生活はなんと幸せなことだろう、と改めて感じる。その意味でも年に1度はしがらみがある生活をせよ、という天の声かもしれない。勝手にそう解釈する。
搬入・搬出日も疲れるがじっと受付にいるのはそれよりもさらに疲れる。昨日は祭日のためか朝から絶え間なく来場者がある。受付前は人の塊があちこちにできる。時に「〇〇さん」と声を掛けられるが、すぐにはわからない人もいる。その人たちは以前、1度だけ教室から出かけた八ヶ岳にご一緒した人であったり、県内の美術館を巡った時に一緒だった他の先生方だったりと皆さん、よく覚えておられる。こちらは人の特徴を捉えると覚えるがそうでなければ名前を言われるまでさっぱりわからない。
昨日、いつも絵を見てくれる3人が会場に来ると話していた。が、来場者はそのうちの知人だけ。たまに会うのだからとそれぞれに手土産を用意していた。渡せなかった土産は、帰宅中、柿をくれた人の家によって渡す。すると、今度は渋柿の渋が抜けた、といってその柿をまたもらって帰る。ありがたい。遅いお昼はカフェで軽く知人と済ませる。久しぶりに会って話をする。しゃべりすぎて申し訳ない。
紙屋町で別れてエディオンで掃除機の紙パックを購入する。他にも購入するものがあるが売り場が判らない。レジの人に聞くと話した日本語がわからなかったのか、名刺入れから何やら探し物をしだす。小さく折った紙が出てきた。売り場案内の印刷物だ。手にしてみると文字が小さい。が、すぐに売り場が分かった。後でレシートを見ると中国名だ。一生懸命、お客の話す意味を理解しようとするのだろう。接客が通じた様子で嬉しそうだった。
一昨日、昨日と食事が不規則になった。今日は元通りの生活に戻してちゃんと食事をしよう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月3日水曜日
飛び乗った循環バスは……
市内を循環するバスがある。それはエキまちループ。循環バスはひろしま駅発で2通りある、と思っていた。ところが昨日、紙屋町へ行こうとして広島駅からそのバスに乗ると次は中電前、と車内アナウンスがある。これは紙屋町とは反対方向だ。見知らぬ人にこのバスは本通りに行くかどうかを尋ねると行かないという。すぐに中電前で下車して本通りまで歩く。目的場所の集合時刻は9時。急ぎ足で歩いて向かう。が、朝から気温も高く到着時は汗が出る。ましてやその後は作品展の初日のため業者とともに会場の設定がある。結構な立ち仕事で暑いし、足は疲れるしと大変だった。
昨年の展示会はなかった。2年ぶりの開催とあって会場もいつもの倍と広く、作品も倍以上ある。それも大作が多い。絵を習って先月で9年目に入った。習う人の動きはなくほぼ同じメンバーだ。昨日、会場設定が終わって先生の挨拶がある。見知らぬ年配者が来られていた。その人たちは絵が専門の方もおられて名誉会員として今回出品されている。いかにも絵を描く人、という感じで同じフロアに絵を展示されるのが恥ずかしい。
会場を出て本通りを通って三越に向かう。広島県のアンテナショップに立ち寄るが何も買わず。途中、カフェに入って軽くお昼を食べる。そういえば絵を習っている人から絵の会場に友だちが来るので一緒にお昼を、と誘われる。友だちとは小・中・高校時代の同級生だがどう考えても一緒に食事をしたい人ではない。絵を習っている人もその人と友だちらしい。朝から、習っている人から3人で食事を、と何度も誘われる。だが、意を決して話に乗らなかった。
三越に着くと7階の日本画展に向かう。伊藤哲の個展で江戸琳派の流れをくむ作品のようだ。ただ見て通り過ぎる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月2日火曜日
年には勝てない!?
昨日、朝一番で市に電話して大型ごみの集荷をお願いする。集荷日は2週間後だが、扇風機とストーブを出すことにした。どちらも費用は250円。コンビニに行って大型ごみの利用券を購入。その足で100円ショップに向かう。
台所の排水口のゴミ受けカバーを買った。買うのはいいのだが直径の大きさがわからない。売り場を聞いてやっと商品を見つけたのに直径135センチと145センチのものがある。以前、パソコンと光ファイバーのルータを接続するケーブルを大型電気店で買う際に使用中のものをもっていくこと、と悟った。そのはずなのにすっかり忘れて買いに行く。家に戻ってまた買いに行くのも面倒だ。考えた末、同じ大きさがほかにもある145センチを購入。家に帰って比べると大丈夫だった。ついでに付箋紙も買う。
午後、徹子の部屋に和田アキ子が出ていた。加齢により目が悪いという。目の悪さは視力もそうらしいが、加齢に伴う目の病気らしい。視力が左目0・1、とか話していた。右目は色は見えるがほとんど見えないそうだ。これを聞いて自分の目の悪さどころではないと驚くと同時にこれは大変、と気の毒になった。
視力の悪さは隠しようがないほどよくない。が、加齢がどうじゃこうじゃというほどの悪さではない。ただ視力がよくないだけ。視力がよくない不便さは誰よりもよくわかっている。が、病的な眼ではないのでこれはこれでいいかと思ったりする。とはいえ、誰もが年をとる。どこか悪くなれば加齢、と片付けられるのも嫌だ。が、これも人が老いて行く自然現象と思って気を楽にする方がいいかもしれない。といいながらもどこか悪いところがある、と言われたならば誰よりもがっくりすること間違いない。その時は「年には勝てない」、とあきらめる!?
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
2021年11月1日月曜日
『知の旅は終わらない』その2
『知の旅は終わらない』、サブタイトルとして「僕が3万冊を読み100冊を書いて考えてきたこと」(立花隆 文藝春秋 、2020年第2刷)を読んだ。このなかに「下関市の市民会館大ホールで『香月泰男のシベリア』と題して四時間半におよぶ大講演会をやった」とある。この講演会を聞きに行っていた。予定講演時間を大幅にオーバーして青春18きっぷで広島まで帰られなくなり、新下関から新幹線に乗って帰ったことを思い出す。講演時間は4時間くらいだったと思ったら4時間半だったとは、そして講演者も長くなったと覚えていたとは……。どういう感じの講演会だったかも鮮明に覚えている。それくらいインパクトのある講演会だった。
以下は『知の旅は終わらない』から気になる箇所を記した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★満州や朝鮮からの引き揚げ者は、殺されたり、強姦されたり、ほんとうに悲惨な目にあった人もいたんですが、北京からの引き揚げ者には命の危険なんかはなかった。というのは先に北京を制圧した国民党の蒋介石が、軍に対して「暴を以て暴に報ゆるな」と厳しいお触れを出して特別な計らいをしてくれたからだといいます。ウチの母親なんかは、「蒋介石様々でした」と述懐していました。(23p)
★哲学概念の中で、私が今も文章を書く際に指針にしているものが「オッカムの剃刀」である。オッカムの剃刀とは、中世最大の哲学者・論理学者といわれるウイリアム・オッカムが発見した思考上の大原則「不要で非合理多岐な概念はすべて剃刀で切り落としてしまえ」という不要概念切り捨て法のことだ。……オッカムの剃刀は、私に哲学の面白さを教えてくれた概念の一つだが、それは同時にものを書くときの要諦ともなった。論理的にわかりやすくスッキリがそれだ。……剃刀で切って、捨てずに残したもの。それはこのデラシネ体験であったり、知的なもののもふくめたノマド=漂流者的な生き方であったり、母親譲りのキリスト教という西欧思想の根っこの部分であることは確かなことのようです。(27-29p)
★人間の知的な営みについてひとこといっておくと、人間はすべて実体験というものが先なんです。これは何だろうという驚きがまずあって、それを理解したいから、本を読んだり考えたりするんです。これは外国文化だけの話ではありません。ひとつの文化体系を本で読むだけで勉強しようとしても、基本的には無理なんです。それはとても勉強しきれるものではない。ある文化体系を理解しようと思ったら、そこに飛び込んでその中に身を置いてしまうしかないんですよ。(110p)
★こうした文学を読んだことが僕にどんな影響を与えたかというと、第一に、ものを書いて食っていくという仕事を選んだことが、すでにその影響ですよね。読まないと文章は書けない。まず消費者にならないと、ちゃんとした生産者にはなれない。それから、文学を経ないで精神形成をした人は、どうしても物の見方が浅い。物事の理解が図式的になりがちなんじゃないかな。文学というのは、最初に表に見えたものが、裏返すと違うように見えてきて、もう一回裏返すとまた違って見えてくるという世界でしょう。表面だけでは見えないものを見て行くのが文学ですから。それから、もうひとつ文学を読むことで得られる大事なことは、それによってつちかわれるイマジネーションです。……相手が何をまだ喋っていないかに気がつく能力、それがイマジネーションなんです。(117p)
★第一巻に入っていたのが、A・チェリー=ガラードの「世界最悪の旅」、スウェン・ヘディン「さまよえる湖」、トール・ハイエルダール「コン・ティキ号探検記」など、どれもノンフィクションの歴史に残る傑作中の傑作です。アッという間にひきこまれて、一気に読み終わり、ノンフィクションというのはこんなに面白いものかと思った。……大学時代は大江健健三郎さんにあこがれて、小説家になろうとして作品まで書いていたわけですが、ノンフィクションがあまりにおもしろかったばかりに、小説家という文字は頭から完全に消えてしまいました。そういう意味では、これも自分史としては、大転換のひとつになります。(123-124p)
★すべての人の現在は、結局、その人が過去に経験したことの集大成としてある。その人がかつて読んだり、観たり、聞いたりして、考え、感じたすべてのこと、誰かと交わした印象深い会話のすべて、心の中で自問自答したことのすべてが、その人のもっとも本質的な現存在を構成する。考えたすえに、あるいは深い考えもなしにしたすべての行動、その行動から得られた結末について反省と省察をくわえたすべて、あるいは獲得されたさまざまの反射反応が、その人の行動パターンをつくっていく。人間存在をこのようなものとしてとらえるとき、その人のすべての形成要因としての旅の持つ意味の大きさがわかってきます。……旅は日常性の脱却そのものだから、その過程で得られたすべての刺激がノヴェルティ(新奇ささ)の要素を持ち、記憶されると同時に、その人の個性と知情意のシステムにユニークな刻印を刻んでいきます。旅で経験するすべてのことがその人を変えていく。その人を作り直していく。旅の前と旅の後では、その人は同じ人ではありえないのです。
旅の意味をもう少し拡張して、人の日常生活ですら無数の小さな旅の集積ととらえるなら、人は無数の小さな旅の、あるいは「大きな旅の無数の小さな構成要素」がもたらす小さな変化の集積体として常住不断の変化をとげつつある存在といってよいでしょう。(150-151p)
★砂漠で遺跡を見ていたころ、しばしば権力というもののはかなさを思った。遺跡というのは、みな本質的に権力の遺跡なのです。権力者が自分の権力の強大さを誇るために壮大な建造物御を作る。しかし、どんな壮大な建造物も時の流れには勝てない。やがて崩壊し、風化し、半分砂に埋もれてしまう。誰もそれを作った権力者が誰であったかなどということは記憶していません。田中角栄も同じです。あの闇将軍時代、あれほど強力な権力を誇っていたというのに、いまでは、若い人は田中角栄の存在すら知らない。つまり遺跡なのです。(198-199p)
★……大学のほうでは、僕の授業を「応用倫理学」という枠にはめ込んだわけです。「おや、応用倫理学か」と思いましたが、考えてみたら、僕がそれまでやってきたさまざまな仕事は、「人間はどう生きていくべきか」という問題をいろいろな角度から考えることに費やされていたわけなので、快くその枠組みを受け容れました。(291-292p)
★この講義以降、自分の仕事のやり方、質がそれ以前と比べて、ずいぶん変わったなと思います。改めて振り返ってみると、僕がやってきた仕事はみんな、人間はどこからきてどこへ行こうとしているのか、というテーマが底に流れているところがあったから、もともと「人間の現在」の流れの一つみたいなところがあったわけですが、この講義以後ますますそうなりましたね。(297-298p)
★『シベリア鎮魂歌――香月泰男の世界』の多くの部分はこのシベリア取材がベースになっています。NHKの番組の背景には六十時間におよぶ取材テープがありました。番組ではその一部しか使えなかったので、そのテープのほかに、番組のために調べたさまざまの情報を全部盛りこんで、放送後に下関市の市民会館大ホールで「香月泰男のシベリア」と題して四時間半におよぶ大講演会をやったんです。NHKはこの講演を記録に残し、それを編集したものが、九六年二月二十三日、ETV特集「立花隆戦争を語る――香月泰男のシベリア」という番組になって放送されました。まあこの記録も『シベリア鎮魂歌』のベースになっています(最終的には大幅に加筆した)。(330p)
★人には衝撃的な出会いというものがあります。出会った瞬間にいっさいの言葉を失い、呆然と立ちつくしてしまうような出会いのことです。雷に打たれ、背筋に電流が走ったかのような思いがする瞬間です。一九七二年(つまり再会する十年前)、僕がこの地方をさしたる目的もなく放浪しているときに(【第六章】参照)、そうした衝撃的な出会いをしました。それは一つの彫刻で、トルコ・エフェソスのアルテミス神像でした。……夕暮れの光の中に、これまで見たこともない奇怪な女神像が浮かび上がったのです。……これは奇怪な像なのですが、恐ろしいほどの吸引力がありました。なにか強力な磁石のようなものが放射させているような気持にさせ、とにかく視線をとらえて離さないのです。魔性の力というのは、こういう力のことをいうに違いあるまいと思いました。翌日、僕はセルチュクを発ったのですが、発ってすぐに、発ったことを後悔しました。……それから十年、アルテミスの魔力はいささかも衰えず、ついに再会を果たしたというわけです。(342-344p)
★死後の世界が存在するかどうかというのは、僕にとっては解決済みの議論です。死後の世界が存在するかどうかは、個々人の情念の世界の問題であって、論理的に考えて正しい答えを出そうとするような世界の問題ではありません。前にもヴィトゲンシュタインの『論理哲学論考』の言葉を紹介しましたね。「語りえないものの前では伸黙しなければならない」。死後の世界はまさに語り得ぬものです。それは語りたい対象であるのは確かですが、沈黙しなければなりません。(400-401p)
★「……ギリシャの哲学者にエピクロスというひとがいるんですが、彼は人生の最大の目的とは、アタラクシア=心の平安を得ることだと言いました。人間の心の平安を乱す最大の要因は、自分の死についての観念です。しかし、今は心の平安を持って自分の死を考えられるようになりました。結局、死ぬというのは夢の世界に入っていくのに近い体験なのだから、いい夢を見ようという気持ちで人間は死んでいくことができるんじゃないか。そういう気持ちになりました」……死んだ後については、葬式にも墓にも全く関心がありません。どちらもないならないで構いません。(403-404p)