『私の財産告白』(本多静六 実業之日本社、2013年)を読んだ。サブタイトルに「多くの成功者が読んでいた!伝説の億万長者が明かす、お金と人生の真実」とある。著者は1866年生まれ。この年は明治時代が始まる2年前で慶応生まれである。私の母の父である祖父も著者と同時代を生きている。和服を着た写真でしか会ったこともない祖父である。が、見方を変えれば慶応時代もそれほど昔の話ではないのかもしれない。
この本は何かの本に引用されていた。何の本だったかは忘れてしまったが本多静六に関心を抱いた。すぐに図書館へ予約を入れると借りる人が多くいた。なぜこの人が今になって人気があるのか興味を持って読む。昭和25年(1950年)に書かれた本のため金銭の価値が今とは異なる。大体の価値を換算しながら読む。時代は慶応、明治、大正、昭和、平成、令和と変わっても何ら違和感なく読めた。いつの時代も人の生き方の基本は変わらないのかもしれない。
本の裏表紙に<誰でも豊かで幸福になれる!日本人が書いた最高の人生哲学。貧農に生まれながら苦学して東大教授になり、「月給4分の1天引き貯金」を元手に投資して巨万の富を築いた男、本多静六。全財産を寄付して働学併進の簡素生活を実践した最晩年に語った、時代を超えて響く普遍の真理。「金儲けは理屈でなくて、実際である。計画でなくて、努力である。予算でなくて結果である。その秘伝となると、やっぱり根本的な心構えの問題となる」>とある。
本を読み終えた最後に解説がある。このなかの以下の記事に「共感」する。「読書とは基本的に「共感」という感情を軸に行われる知的作業だ」。読んで気になる箇所を記しているが、これも「共感」した箇所になるにちがいない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★読書とは基本的に「共感」という感情を軸に行われる知的作業だ。たとえ知識を得ることを目的とした読書でも、既存知識や共感といったトリガーがなければ、読書という行為は成り立たない。したがって、一冊の本を読んだあとに、私たちが味わう読後感とは、煎じ詰めれば、共感できたか共感できなかったという感情が根元にあるといってよい。繰り返しになるが、本多静六の語る「一般解」を知らない人はいない。誰だって、稼いだお金を使わなければお金は貯まることぐらいは知っている。こういうことを知らない人間なんていないのだ。しかしその知っている人間は、まっぷたつに別れる。その「一般解」に共感する人と「こんなことぐらいわかっている」という人に、だ。(岡本史郎「解説」、211p)
ほかにも本文から共感した箇所を記そう。
★「幸福とはなんぞや」という問題になると、少しやかましくなるが、それは決して親から譲ろうと思って譲れるものでなく、またもらおうと思ってもらえるものでもない。畢竟(ひっきょう)、幸福は各自、自分自身の努力と修養によってかち得られ、感じられるもので、唯教育とか財産さえ与えてやればそれで達成できるものではない。健康も大切、教育も大切、しかし、世間でその中でも最も大切なのは、一生涯絶えざる、精進向上の気魄、努力奮闘の精神であって、これをその生活習慣の中に十分染み込ませることである。(57p)
★ここで、私も大学の定年退職を機会に、西郷南洲の口吻(こうふん)を真似るわけではないが、「児孫のために美田を買わず」と、新たに決意を表明、必要による最小限度の財産だけを残し、ほかは全部これを学校、教育、公益の関係諸財団へ提供寄付することにしてしまったのである。この場合、前にも一度あった例にかんがみ、世間の誤解を避けるために、またその寄付に対する名誉的褒賞を辞退するために、匿名または他人名を用いた。これが、私の考え抜いた上の財産処分法でもあり、またかねてから結論づけていた「子孫を幸福にする法」の端的な実行でもあったのである。(58-59p)
★要するに財産蓄積に成功しようとすれば、焦らずに堅実に、しかも油断なく時節を待たなければならない。いわゆる宋襄の仁で、世の薄志者を気の毒がって甘やかすのも禁物。(79-80p
★古往今来、天下滄桑の変の前には、天才者も凡人も、大事業家も小貯蓄家も、共に蒙るべき打撃に、大小軽重の差はなかったようである。世界が動けば、自分も動く、世界がいかに動いても、自分だけはどうあっても動かぬという決め手は、昔からついぞだれにもなかったようである。ここで私は、「時勢には勝てない」という詠嘆と共に、「人生は七転び八起き」という古い言葉をいまさらながら思い起こしたい。(104p)
★散る花を追うことなかれ、出ずる月を待つべしじゃと、くれぐれも過ぎ去った失敗にこだわらぬことを教えた。(106p)
★この折衝での大きな教訓は「正直に腹を立てる」ことが、時と場合によって思わぬ好結果をもたらすということである。(113p)
★私は体験社会学の一章としてこういいたい。「失敗なきを誇るなかれ、必ず前途に危険あり。失敗を悲しむなかれ、失敗は成功の母なり。禍を転じて福となさば、必ず前途に堅実なる飛躍がある」と。(119p)
★渋沢さんのやり方は「馬鹿正直」に近かった。しかも「馬鹿正直」一点張りが渋沢さんの身上で、利において失うところはチャンと徳においてつぐなわれ、財界の大御所として最後まで社会の尊敬を一身に集めることができたのである。もちろん、渋沢さんと一般の凡人とは同時に論ぜられぬかもしれぬが、「馬鹿正直」も一種の徳になるところまで徹底すると、それがかえって結局においては、儲かりもし、儲けさせてもらえることにもなる。ただ普通人は「馬鹿正直」で馬鹿をみると、すぐ今度は「馬鹿不正直」に早変わりしたりなどするからダメである。(131p)
★由来、賞賛は春の雨のごとく、叱責は秋の霜のごとしである。褒めることは人を蘇き返らせ、のびのびとさせるが、小言はどうも人を傷つけ、委縮させることが多い。だから、小言を人にいう場合も、称揚することを八分、注意することを二分、といった程度に心を用いるとかえって効果があるようである。子供のしつけ方についても、「三つ褒めて一つ叱れ」といった言葉もある。(176p)
★元来、名利は与えらるべきもので、求むべきものではない。自ら求めて得た名利は、やがてこれを失わざらんことに汲々としなければならず、しかも、それは瓶中の花のごとく、いつかはしおれてしまう。幸福の実は決して生(な)るものではない。(200-201p)
★人生即努力。努力即幸福、これが私の体験社会学の最終結論である。(204p)