習っている日本画の先生たちの展覧会が県立美術館で開かれている。県立美術館そのものはコロナの影響で閉館となっている。が、展覧会は開催されている。暇つぶしに街に出て絵を見ようとした。ところが連日のコロナ感染者の増大で見に行くのもどうかと思えてくる。
『功名が辻』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋、2010年第10刷)を読んだ。この本は4巻ある。残り1巻もすでに読み終えている。いつものように気になる箇所を記そう。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★――民力を痩せさせれば自然、諸大名も富力も尽きる。富力さえなければ戦争はおこすまいゆえ、自分の死後、秀頼の天下は安泰であろう。というのが、秀吉の政策であった。すべて秀頼を愛することにかかっている。この幼児ほど、天下四民に迷惑をかけた子は古来なかったであろう。……工事は、六月からはじまった。しかも、秀頼の屋敷だけが営まれるのではなく、諸大名に対し、そのまわりに屋敷を持つように命じた。(33p)
★秀吉はその本願寺夫人を愛するあまり、彼女の実子が次男であるにもかかわらず本願寺を継がせて、准如上人としている。前夫人の子で、長子であった教如上人は隠居させられ、不遇をかこった。家康の世になってから、家康は一つは宗教政策ということもあって、本願寺二万の末寺を二つに割り、この教如上人に別の本山を点てさせた。それが東本願寺である。(39p)
★おもわず千代は、この幸福を、こわい、という実感でいったが、たしかにそうであろう。ひとのもてなしのうれしさは、うれしさのあまり、すべてをそのひとのために捧げてしまうというおそるべき感動をともなう。古来、人の世にはそういう話柄が多い。(112p)
★秀吉はなるほど、痛快りんりたるいかにも日本男児の代表、というような男であった。この点、陰湿な家康とは、ひどくちがう。ちがうが、秀吉の晩年は、成功者にありがちな巨大な痴愚におち入っていた。第一に、無用の外征をしたことである。何の利もえない外征をし、諸大名におびただしい軍費をつかわせ、さらに、物狂おしいほどに各地に豪奢な建築をおこし、そのために民力が疲弊し、物価があがり、(はやくこの御時勢いが一変せぬか)と願う声なき声が、世に満ちはじめていた。(179p)
★随所ニ主トナレというのは、禅のいわば神髄のようなものだ。いつ、どの時期、どの場所、どの瞬間でも、つねに自分が客観情勢の主人である。ということで、客観情勢のドレイにならない、ということだ。(192p)
★一所懸命ということばがある。一所とは、自分の所領のことだ。それにいのちを懸ける、というのが、一所懸命の語源なのである。古来、武士の大鉄則であって、天下の主がたれであろうと、自分の所領を安堵してくれる側につくのである。平家が興れば平家につき、源氏が興れば源氏について、土地を保全してもらうのが武士の考えかたの基本であるべきであった。(235p)
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