2021年2月28日日曜日

幸運の女神!?

 日本画教室には5人が通う。昨日はそのうち2人が欠席。先生を入れて4人の教室はいつもよりもさらに話で盛り上がる。話の中で知らない言葉を2つ聞いた。その1つは「幸運の女神には後ろ髪がない」。ネットで検索すると以下のように書いてある。

★チャンスはやって来たそのときにつかまなくてはいかない、ということ。
[由来] 「ギリシャ詩華集」に収められた、紀元前四~三世紀のギリシャの詩人、ポセイディッポスの詩の一節から。時の神カイロスについて、出会った人がつかまえやすいように髪を顔の前に垂らしてあるが、追いかけてつかむことはできないよう、後頭部には髪がない、と書かれています。カイロスは男性神ですが、のちに、幸運の女神についての話に変化して広まっていきました。

 もう1つは「お前の脳みそは鳥以下だ」。これは教室の人の家での会話に出るらしい。鳥の脳みそは小さいから賢くないことを言うのだろう。

 石段に銀杏の葉が落ちた絵を描いている。昨日で何とか絵は完成し、次に描く絵のモチーフの話題になった。以前日本画にしようとした葉が落ちた桜の枝が真っ青な秋空に伸びる絵をトレースした。その絵のバックになる青空の色が強すぎてトレーシングペーパーで描く際に見えにくい。それでなくても目が悪い。コロナ禍で教室が休みの間、このモチーフをやめてほかのモチーフにやり替えようと思った。

 昨日、教室で用意したモチーフとなりそうな写真を先生にみてもらっていると皆が集まってきた。どのモチーフも寂しい、との意見が出る。人間が寂しいから……、と思わず口にする。決して派手好みではないので地味な絵を描くと落ち着く。さすがに先生は寂しい絵とは話されなかった……。

 ということで結局、次に本画に仕上げる絵は予定していた桜の枝を描き、バックを黒っぽくせず淡い色使いにすることになった。まずはパステル画で下絵にしてゆく。メルヘン調の春らしい色使いの絵になった。これを手本にして本画にする。

 話は変わって昨日は教室に行くときも家に帰るときもJRが遅延していた。遅れてきた列車が来たのですぐに乗ると教室に早く着く。教室に入る前に同じビル内にある区の図書館に入るとすぐのところに目につく本があった。それは『司馬遼太郎をなぜ読むか』。この本を手に取ってすぐに借りる。先日は家の近くの図書館で借りた本の中にも司馬遼太郎のことが書いてあった。この2年間、司馬作品に明け暮れている。幸運の女神は後ろ髪がなく、その恩恵に浴していないかもしれない人生。だが、女神はいた。それは司馬作品に出合ったこと。

 図書館の書架から自然に目に入ってきた本を見つけたときはびっくりだった。そして教室へ。お陰で気分よく絵を描けた!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月27日土曜日

球春到来

  新聞のテレビ番組欄を見ると野球、サーッカー、バスケットボールといずれもプロスポーツの実況が本日一斉にある。プロ野球はカープ、サッカーはサンフレッチェ、バスケは広島ドラゴンフライズとまさにスポーツの春到来!?地元の地上波テレビ6局のうち、NHKを含めて3局がこの3つの試合を本日午後に放送する。

 プロ野球は練習試合だが、サッカーとバスケは開幕試合のようだ。スポーツ王国広島は官民挙げてプロスポーツを応援する。それはテレビもラジオも新聞も、と。これからカープの試合が開幕すればその日の試合にこれまた官民挙げて一喜一憂する。この中でプロ野球が一番好きだ。

 関西や関東ではプロ野球球団が1つでなく複数ある。地元のNHKはどの球団を応援するのだろうか。広島はその点、NHKであってもカープオンリーとなる。それはサッカーでもバスケでも同じく地元チームびいきであるに違いない。

 スポーツ以外にも広島には広島交響楽団というプロの楽団がある。もちろんこれも官民挙げて応援している。昨日、次年度の広響会員手続き更新の振込用紙が届く。コロナ禍で今年度はほとんど演奏会に出かけていない。自分自身も歳を取った。夜の演奏会に行くのはやめようと思い、次年度の更新はしないつもりでいる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月26日金曜日

「人生の目減り」

 新聞の情報告知欄に大手旅行社と地元旅行社の国内旅の発売がある。来月1日から旅を再開するらしく、その詳細は明かされていない。近いうち、旅の情報誌が送られてくるはず。楽しみにして待つことにしよう。昨日、プールの再開は?と思って隣町の役場のHPを検索する。2月22日からプールが再開されていた。
 
 数日前の新聞記事にコロナ禍の現状を「人生の目減り」と表現した人がいた。この言葉に妙に納得する。コロナ禍であっても確実に歳をとる。思い通りに行動できない人生は確かに目減りしたように感じる。コロナで始まった1年はあっという間に過ぎて2年目に突入した。いつまでコロナ、コロナと言い続けるのだろうか。本来の自分を早く取り戻したい。

 国内旅であっても旅が再開され、プールで泳げればかなり元の自分になれる。とはいいながら泳ぎ始めは3,4百メートルぐらいの泳ぎになりそうだ。コロナ禍真っただ中の頃は歳だけ取ってゆき、もう泳ぐ機会もなくなるのでは、と思ったこともあった。その心配もなく、これまでどおりプールで泳ぎ、旅にも行けそうだ。が、海外への旅はまだまだ望めそうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月25日木曜日

『冬』

 中村真一郎の『冬』(新潮社、1984年)を読んだ。著者の中村は1918年生まれ。ということは自分の両親が中村と同時代を生きたことになる。ハードカバーの単行本は文字が小さく、一段落の文が長い。加賀乙彦の解説のように「息の長い、嫋嫋(じょうじょう)とあとを引く文体……」は悪く言えば長々とした文に思える。今から36年前に購入した本だが、当時は読まずにほったらかしていた意味が今になってわかる。この本は『冬』のタイトル通り、人生の冬に向かう人が書いている。当時はまだ人生の春を過ぎて初夏に差し掛かかり、冬の季節到来とはまだなっていなかった。それもあるのか買っても読まずにいたのだろう。それなのにこの本をなぜ買った!?

 36年前の自分は精神面では今の方が若い。若い時にこの本を手にしたように当時は人生の冬の季節だったのかもしれない。改めてこの本を読み終えて自分の若いころを思い出す。

 本に登場する人物はいわゆる上流階級の人たち。「四季」のうち『冬』しか読まなくてもこの1冊を読むと「四季」に登場する人物が回想となってあらわれる。また登場人物もどんな人たちなのか、解説ととともに別紙がついているのでわかりやすい。

 著者は仏文の専攻だからか、やたらと日本語の文なのにフランス語訳のルビがつく。また、文中にカタカナが頻繁に出てその意味を電子辞書で調べながら読んだ。ほかにも、わからない漢字が頻繁に出て、電子辞書が片時も話せなかった。

 「ユマニスム」はヒューマニズムや人文主義で文中は哲学的描写が多い。当時は60歳が高齢者。今は60歳は高齢者に入らないほど36年前と今の年代差を感じる。今や60歳をとっくに超えて70代に突入した。今になってこの本を読んでわかることも多い。

 以下は気になる箇所を抜粋したもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★しかしそうした私の傾向はそれはやはり父にとって痼疾ともなっていた女性愛好癖同様にひとつの個性的習癖であり、度を過せば社会から悪徳とも見做されかねないものである。それを積極的な生きるための哲学にまで高めて行き、現実の悲惨と不条理とに対比させて我が心を守る盾ともすることができるようにしてくれたのは、二十歳前後に毎夏私が接した秋野氏の薫陶であることは間違いない。

 私はいつか当時の私が氏から学んだものは、「本の読み方」ばかりでなく、実に「生の読み方」そのものであったと回想したものであったが、それこそ秋野氏が自ら示してくれた氏自身の人文主義的態度の見本による感化というもなのであった。

 近江教授は迫り来る時代の悪気流に向かって「ユマニスム」を説いていた。そして教授の親友であった秋野氏は自然の姿勢でそれを実践していたのだった。そうして二十歳の私はこの二人によって私の生き抜くための哲学の理論と実践とを学んでいた、ということになる。(143p)

★「いやになるな。おれは昔から友だちというものを大事にしてきたが、その相手がひとりずつ枯れ葉が落ちるように消えて行く。あとには何も残りゃしない。人生なんて、結局、無駄な努力だったんだな。そう覚ったら、おれも早く枯れ落ちたくなってきたよ」と、昨日のS とそっくりな感慨を洩らした。これが無信仰な現代日本の知識人の死を間近にした平均的感想かと、私は思った。(353p)

★そして三十年の昔、私自身は「女ひとりを掴みそこねて」しまった経歴を持つ男なのだ、と思いがけない感慨が胸の奥から突き上げて来た。その挫折がそれ以後の私の人生の道を紆余を極めたものにしたのだった。が、そのために私はもしその道が直線だったら出会うこともなかったろう幾多の認識にも突き当たったのだから、と急いで自分を慰めようとした。しかしそれらの認識のために流した血の量は、と私の中の何かが反問した。が、それをまた押し伏せるように私は、だからこの長い『四季』の物語を書くことができているのではないかと言い返した。曲折に満ちた人生の記録としてまたその苦悩から脱するために魂が出口を求めて徨った幽暗の世界の消息の報告として……。(377p)

2021年2月24日水曜日

『冬』を読んで

  1月20日から読み始めた中村真一郎の『冬』をやっと読み終えた。単行本の分厚い本で読みづらさは半端でない。が、1か月余りかけて昨夜、読み終えた。1984年発行なので今から36年前の本だ。その頃は出版社のPR誌を2冊取っていた。新潮社の『波』と岩波の『図書』である。中村真一郎のこの本はおそらく『波』を読んで知ったに違いない。加賀乙彦は『冬』について<老年と雪と氷の世界『冬』>と題して解説している。そういう点ではまさに、今の歳のこの時季に、読むにふさわしい本になったかもしれない。

 加賀は次のように書いている。

★文章に力がある。息の長い、嫋嫋(じょうじょう)とあとを引く文体は、対象をやわらかく包み、しかも正鵠(せいこく)を射ている。それは作者の批評眼が物事をたしかに見詰め、それを的確な抽象語で置きかえて論じていくからで、多用された抽象語は、よく未熟な批評家がやるような抽象語の遊び、物事よりとびはなれた抽象語の放恣なひとり歩きに終わっていないからである。とくにこの『冬』のように、生涯の総決算としてそれまで読み溜めた文学作品が曼荼羅をつくっていく作品の場合、作者の批評眼と文章化の才能が生きてくるのだ。

★――『冬』では、一九八〇年代半ばの暮れから正月にかけてが小説の現在であって、この短時間性は小説を濃密にし、ほとんど日常的な時間のなかで回想がおこなわれることを可能にしている。

 「回想」と記されているように本の半分くらいは()でくくられた文である。読み始めはなんと()が多い、と思って読んでいたがそれは作者の「回想」と知って意味が分かってきた。

 本の気になる箇所は後日に……。

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2021年2月23日火曜日

1枚の写真から

  お天気につられて主のいない2階に上がり窓を開ける。しばらく経って掃除機で掃除する。ついでにと気になっていたライティングビューローを開けるとジッパー付きの小さなビニール袋が目に入る。中を見ると写真が数枚入っていた。写真は2002年2月20日付だ。やたらと「2」が並ぶ。

 日付を見てふと気づく。それは秋にリストラされた年だ、と。それなのに写真は意外にも楽しそうに写っている。当時、週1度、夜に通っていたアジア塾の後の飲み会での写真だ。その翌年、8年間通ったアジア塾に別れを告げて大学に入りなおした。写真に納まった人は7名。その中にその年、塾のゼミ担当の若い先生もいらっしゃる。

 1枚の写真から19年前のことが鮮明によみがえる。8年間、塾に通っていると8人の先生のゼミを受け、ゼミ以外では何十人、何百人もの先生の講演を聞いた(塾は1年の前半が講演会で後半がレポートなどを書くゼミ形式だった)。どのゼミも楽しく、塾が終われば毎回、何人かで飲んだり食べたりした。それも楽しい思い出だが、職場では到底知りえない様々な職種の人たちと知り合うことができた。塾を離れてお花見をしたり旅行をしたりとその時々の塾生や先生を交えて楽しく過ごしたこともある。

 2002年は会社をリストラされる憂き目にあい、その瞬間は悔しかった。けれども、あとになればそれはそれでよかった、とどれほど思ったか知れない。今になってもやっぱりあのリストラが今の自分になっている、とつくづく思う。

 写真を撮るとき、ほとんど日付を書き込まない。だが、写真に日付が入っていたおかげでいろんなことがよみがえる。これからは写真に日付を入れて写すようにしよう。

 さて写真。7名のうち自分を含めて4名でその年、北海道大学に赴任された若い先生を頼って北海道に出かけた。当時は先生ご夫妻は新婚で、きれいな奥さんともども札幌や小樽をレンタカーを借りて観光した。当時の人と連絡があるのはこの先生ご夫妻だけ。

 これまで長く生きてきてたくさんの人たちと知りあった。どんな時も全員とはずっと連絡を取り続けられない。が、なぜか、いつもそのうちの1人だけは連絡が続く。北海道へはその年の夏に行った。旅行から帰って間もなく、アジア塾に行く途中の交流プラザで大学募集案内を手にする。試験はその年の11月。それからがさあ大変。その時、北海道の先生にアイデアを請うとすぐに長い返信メールでいろいろと受験について教えてくださった。

 1枚の写真を見て若い先生の教えをありがたく思う。当時20代の先生は19年たってもまだ40代と若い。今は大阪の大学の教授になっておられる。今や、3児の父親だ。

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2021年2月22日月曜日

「先々の楽しみが張り合い」

  今日は予想最高気温が21度。2月に21度は何か変。今朝の地元紙に石井哲代さんの記事がある。100歳の哲代さんの記事は毎月掲載される。97歳のころの哲代さんをテレビで見た時は五右衛門ぶろを薪で沸かしていた。今朝の記事によると去年まで沸かしていた五右衛門ぶろはデイサービスに通うようになってここで入るそうだ。それにしても100歳で一人暮らしとは見習うことが多い。

 「100歳きょうも好日」の2月の見出しの小見出しは「先々の楽しみが張り合い」とある。100歳で先が楽しみでそれが張り合いになっているとは恐れ入る。自分自身を振り返ると今の年齢に対してなるべく先のことは考えないようにしている。これは石井さんとは真逆。先を楽しみにして生きてゆかないと元気で長生きすることはできないのかもしれない。

 「今は誰にも気兼ねせんと、自由を謳歌してるんでございます」と哲代さんは話す。これに関しては全く同感。元気であれば一人暮らしはこの点が一番いい。「楽しみをたくさんこしらえて、明日を心待ちにして、哲代さんは自分の人生を生きる」、と記者。

 コロナ禍で行動が以前とはだいぶ縮小気味だ。ここは哲代さんを見習って方針を変えた方がよさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月21日日曜日

石段を描く

  昨日は中国地方に春一番が吹いた、と報道で知る。道理で風が強い日だった。ただ、気温はこの季節としては高く17度。

 日本画教室で寺院までの石段に銀杏の葉が落ちているさまを描いている。石段に落ちた銀杏の1枚1枚を描いていると、教室の人から絵のモチーフについて言われる。教室の人は自分を除いて絵が上手だし、長年習われている。その人から1枚1枚葉っぱが描けないような話をされる。こちらとしては逆にモチーフの難しい絵は到底描けない。

 絵を習い始めた年に先生と教室の生徒で八ヶ岳の旅に出かけた。出かけた人たちは先生のほかの教室の人が大半で顔見知りはほとんどいない。どこへ行くにも知らないツアーに入るのは抵抗ないので知らないメンバーも苦にはならない。だが、皆さん、絵を習って何年、何十年選手だ。その中に、わけのわからないものが1人入る。

 あとで先生は「〇〇さんは人とすぐ馴染みそうだったから」と私のことをそう話されて誘ってくださった。それは当たっている。が、絵の素養が全くないものが2泊3日のスケッチ旅行に図々しくもついて行ったと我ながら思った。いざ、スケッチ、と、途中、車を止めて皆さん、スケッチを始められる。何をどうしていいかわからずぼーっとしていたら先生曰く「風景全体を描くのでなく、木の1本でいいから描くように!」。この言葉のおかげで今まで絵を続けてこられたように思う。翌日の八ヶ岳散策でまたもスケッチが始まる。その時は前日の先生の言葉を思い出して山道の石段を降りる際、前方に見える階段を描かず振り向いて下から上がる石段を描いた。

 夜、先生ははがき大にスケッチした皆さんの絵を批評された。自分の絵になった時、先生は石段が面白い、と話された。それもあるのか、旅に出ると描けそうな風景などを写真に撮っている。それ以来、自分が描けそうな樹木の根っこから始まって風景を描くようになった。とはいっても描くたびに絵の難しさがわかる。描いている石段は来週には本画となりそうだ。

 次は、さて何を……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月20日土曜日

「負けへんで!」

 今日の予想最高気温は18度。明日からは21度と暖かくなりそうだ。一昨日までは3,4度の世界も一気に春になる!?

 報道によると広島県が独自に実施するPCR検査の出だしはよくないようだ。初めの予定では80万人のPCR検査だった。ところがコロナの新規感染者が減少し、予定を変更して8000人の検査となる。地元紙の記者が中区の住民らしく、実地検査に赴いたそうだ。検査のやり方は何事もなく行われたようだが、いざとなると唾液が出るのにてこずったとか。検査を実施しても翌日の午後6時までに検査結果の電話がなければ陰性で、陽性だとその時間までに電話連絡があるという。

 もしも自分が仮に実施したとする。結果の電話の有無までの時間が地獄の待機となりそうで到底実施するどころではない。これはコロナのワクチン接種も同じこと。一般の健康診断でもそうだ。どこも悪くないとわかっていてもいざ検査を受けてその結果が来るまでのあの嫌な気持ちを思うとワクチンも何もかも受けたくない。

 市からがん検診の案内も届く。これもそうだ。誰が受けに行く?と思って受診をすすめる葉書が届くとその場で破棄している。ある本によると一般の健康診断もすべて受ける義務はなく、最低限何か一つ受ければ受けたことになるらしい。そう本に書いた人は有名な医師で、勤め先から健診を受けるようにせかされて仕方なく最低限の検査を受けたという。これを知って健診会場であれこれ言われる検査のうち基本的な検査しか受けていない。自分の体は自分が守るしかない、と思っている。

 朝から怒り爆発のブログになりそうだ。話を変えて気持ちを落ち着かせよう。

 いつも見ている人のツイッターの最後の言葉に「負けへんで!」がある。ほんま、この「負けへんで!」はいい言葉。這い上がってゆく人の言葉は美しすぎる!そういえば昨日はマイナンバー・カード申請の封書が送付されてきた。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月19日金曜日

「冬物語」

 昨日は日中の最高気温が4度と寒い一日だった。お昼前にちょっとだけ日が射す。それを見計らってお墓に参る。外に出るとちらほらと粉雪が舞っている。墓地に着くとさすがに人の気配はない。冬であっても墓地の周りには草が生える。これから春になれば草ぼうぼうの世界が待っている。塩をまくと草が生えないとか。それなのにいつも塩を忘れて参る。

 お墓参りを済ませるといつもならばお宮の方へ行って帰宅する。が、昨日は寒くて早々に我が家に帰る。この2,3日は寒い日が続く。今日は最高気温12度の予報で明日からは気温もぐんぐん上がるようだ。

 お昼にFMラジオを聞いているとこの時季に相応しいフォークローバースの「冬物語」が流れる。曲は聞いたことがあるが歌っているグループも曲名も初めて知った。ネットでグループを調べると「小さな日記」を歌っているグループだ。この曲はよく知っている。

 歌を聞いて若いころを思い出す!?あんまり思い出したくないけど、この曲はいい!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月18日木曜日

あっという間に10年が過ぎた!

  旅行社から旅のカタログが送られてきた。この会社はよく利用するところでなく、チャーター便などの旅を利用していた。久しぶりにカタログを見るとGO TOとは関係ない旅だが、国内の辺境の地へチャーター便を飛ばしている。行きたい箇所が何点かある。だが、昨日の朝と今朝のような冷え込みだと気持ちが旅どころではなくなる。また、いつも出掛けていた大手の旅行社の旅に参加したい気持ちが強く、その方面からのカタログ待ちとなりそうだ。

 昨朝と今朝の冷たさは今季一番とも思える寒さだ。今日は母の祥月命日。天気予報で寒くなると知って3日前からお墓参りの花を用意する。今朝はかなりの冷え込みだが、明日は12度と暖かくなるとか。お墓参りを明日に、と思ったりする。

 いつもは仏壇前にある経机にお水を供え、大きな花瓶に花を活けている。が、昨夜から閉めたままの仏壇を開けて明かりを灯す。そして、ご飯、お水、果物、お菓子などを供える。線香はにおいがきついので使わず、蝋燭も火をつけると危ないので使わない。

 早いもので母がいなくなって丸10年になる。10年前のこの日も寒い日だった。その日から今日までの10年間はあっという間に過ぎていった。最初のころは何を見ても、何をしてもただ涙に暮れていた。それも時の経過とともに何事もなかったかのような日々を送っている。とはいっても親がいなくなると同時に「じっとしていてはいけない!」と自分にいい聞かせ、行動することを肝に銘じた。その手始めが以前のブログを改め、新たな今のブログ開設となる。寂しい気持ちを奮い立たせてくれたブログは一番の相棒のようだ。そして、母がいなくなって丸10年になるように、「敏々日記」ももうすぐ10年を経て11年目に突入する!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月17日水曜日

マルチェッロ作曲「アダージョ A.Marcello Adagio 」から

 今日と明日は真冬に戻ったような気候になるらしい。真冬といえば雪が降る!?フルートで「雪の降る街を」と「ペチカ」を吹いていた。だが、昨日までの4月並みの気温であれば、この2曲はフルートを吹くのが似合わない。そこで今年は吹きこなそう、と練習していた「アダージョ」を吹く。マルチェッロ作曲の「アダージョ A.Marcello Adagio」はGoogle先生の動画で練習する。

 練習する速度は♪=76で練習。だが、曲が進むにつれて♪の八分音符の中に十六分音符、三十二分音符と曲が細分化され、吹いているとリズムが怪しくなる。リズムを♪=66に遅くして吹いてゆく。譜面の音符の下に八分音符(♪)の長さに区切って(|)の縦線を入れて拍を取る。こうやって練習してもうまくリズムが取れない。リズムが取れなくてはフルートの練習をいくらしても曲にならない。

 できなければ口に出してリズムをとる。幸い今はコロナ禍で声を出すこともあまりない。これはいい声出し、と思って譜面の前に立ってメトロノームの♪=66に合わせて音符を歌う。だが、それも譜面通りに歌うのは大変。歌えなければフルートは吹けない。できない個所を今度は手で拍を取りながら声を出す。何日か続けていたらできるようになった。だが、これをフルートで吹いてリズムと合うかどうか、それが問題。

 この曲は吹いていて吹きがいがあるいい曲。時間はかかってもうまく吹けるように練習しよう。久しぶりにGoogle先生のHPを見ていると次々と動画のアップがある。某フルートメーカーとタイアップなのかフルートの練習方法のアップもある。いろいろと参考にさせてもらってフルートの練習をしよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月16日火曜日

『日本民族のふるさとを求めて』

 2か月間、図書館が閉館だった。その間、以前に買って積読のままになっていた本を読み漁る。2年ほど司馬作品を読んでいて、途中から他の人の本を読むと読み始めは読みづらい。だが、読み進むにつれてそれもなくなる。今回、読み終えた『日本民族のふるさとを求めて』(新潮社、平成元年)は森本哲郎の本だ。森本哲郎といえば他にも世界の旅シリーズが積読のままになっている。いつかそれも読みたい、と思う。が、図書館が開館したので読む本はまた司馬作品に戻りそうだ。

 この本は紀行文で著者自身がカメラ2台、テープレコーダなどを持参しての旅だ。そのため、読んでいて臨場感にあふれる描写が続く。さすがに旅の達人、と思いながら読んだ。以下はその中から気になる箇所を抜粋したもの。

 このうち「文明とは放浪のたまものであり、文化とは彷徨のあげくに築かれるものなのである」(224p)に惹かれる。とり分け「放浪」と「彷徨」の2つのキーワードは旅に欠かせない!そして、これらは人生の旅にも欠かせない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★モエンジョ・ダロとは、シンド地方の言葉で「死者の丘」という意味であるが、まさしくそこは遺体の上につぎつぎと築かれた文明の墓標のような丘なのだ。同じ場所につぎつぎと掘り起こされて行った井戸は、こうして煙突のようになってしまった。20p

★モエンジョ・ダロやハラッパーに毛細管のようにめぐらされているあの排水設備のあとは、その苦しい戦いを証言しているのかもしれない。彼らはドロを焼いてレンガをつくり、それで見事な都市をくりかえし建設した。だが、そのレンガを焼くために樹木を乱伐し、自然の生態系を破壊していよいよ洪水に悩まされることになった。そして、土地の隆起によってじわじわと逆流してきたドロ水の防戦に、ついに力尽きて滅び去ったのであろう。ドロを焼いて築いた文明が、水に溶けたドロによって滅び去る――そのドロが、私のクツにも、ズボンにも、両手にもべっとりとこびりついていた。38-39p

★そう見るならば、シヴァという神こそ、インドそのものといってもいいであろう。そして、この神の属性はさまざまに姿を変えて仏教へも入りこみ、吉祥天(きっしょうてん)となる。その吉祥天の母とされる鬼子母神が手にしている吉祥果は、なんとあの果物、柘榴(ざくろ)なのである。172p

★カミュはこのシーシュポスに人間そのものを見た。人生の不条理を見た。そして、その不条理に反抗し、不条理に挑戦することこそが生きることなのだ、と主張した。そのカミュは一九六〇年に自動車事故で不条理にも急死してしまった。もし彼が生きていて、この石を見たら、どんな印象を受けただろう。私はカミュにこの石をみせてやりたかったと思った。187p

★南船北馬というように風土が全く異なる以上、中国の南北で対照的な性格を持つのはとうぜんであろう。たとえば宗教である。なかんずく禅宗だ。達磨大師を初祖とする中国の禅宗は、五祖弘忍ののち、南宗と北宗とに分かれた。弘忍の弟子慧能は江南で、もうひとりの弟子神秀は北京で、それぞれ活動したので、いらい、前者を南宗、後者を北宗と呼ぶようになった。……南宗は「頓悟」を主張し、北宗は「漸悟」を力説するのだ。南宗が直感的にすみやかに悟れ、と教えるのに対し、北宗は段階的にゆっくりと悟るべし、と説くのである。おなじように絵画でも南宗画と北宗画が二つの流れをつくっている。そのちがいは、南画がやわらかな筆使いで主観的な気分を大切にするのに対し、北画は描写の正確さを重んじ、力強い線を強調する点にある。199p

★私は思わず、うしろをふり向いて浜に並んでいる原始的な筏、カタマランをつくづくながめた。こんな舟で、たとえ岸づたいであっても、日本までたどりつくことができるだろうか。陸路をとるとすれば、あのヒマラヤの裾をどのように縫って行くのか。それは、どれほど苦難にみちた旅であろう。だが、そのような旅が文明をつくり、そうした旅から日本の文化も生まれたのだ。文明とは放浪のたまものであり、文化とは彷徨のあげくに築かれるものなのである。224p

★なぜ彼女の祖父たちが、レプチャ族やシェルパ族の女と結婚したのか。……イギリスは急速に接近し始めたロシアとチベットとの関係におどろき、対チベット工作に全力をあげていた。イギリスを頑として拒んでいたチベットに対し、一九〇三年、イギリスは武力でシッキムから侵入し、抵抗を排除して、翌年、ラサに入城、ここでラサ条約を結んだ。その条件はチベットに対し、巨額の賠償を課し、以後、イギリスの許可なしに外国人への利権の提供をいっさい認めない、というものであった。……そのようなわけで、チベットを監視すべくイギリスの兵士がダージリンにつぎつぎに送られれてきた。258p

★窮すれば通ずるものだ。不用意の旅とは、こういう出会いに深く感謝する旅である。273p

★私が言葉の壁にぶつかりながら、何度もききかえしていたとき、とつぜん、庭先に立ちこめていた雲が左右に切れて、そのあいだに、ヒマラヤの襞が目ざめるような色で出現した。それはちょうど仏壇を左右に開いたような感じだった。その山襞に一条、金色の光が矢のように走った。何という荘厳な風景だろう。レプチャ人は追いつめられてシッキムの山中に住んでいるのではない。彼らは世界でいちばんすばらしい場所を占領しているのだ――と、私は思った。275-276p

★ヴァイオリンはジプシーによってヨーロッパにつたえられたのだが、ジプシーはインドから流れ出た民で、彼らはこの楽器をインドからたずさえて行ったということである。321p

★生きるということは、すきあらば埃に埋葬してしまおうという自然の力に生命力で立ち向かい、不断に埃を払いつづけることなのである。文明とは、埃への挑戦なのだ。338p

★私はついに何一つ発見することなく、いま、コーカサスを離れようとしている。だが、私はとにかく、長いあいだ心にかかっていたコーカサスの山を仰ぐことができたのだし、「人類社会発祥の地のひとつ」といわれる国海とカスピ海のほとりを歩くことができたのだから……。そう思い直して、私はみずからを慰めた。369p

★イオが海を渡った場所は、ボスポラスと名づけられた。ボスポラスとは「牛の渡し」の意味である……。「ついでにいうと」と、ファティはつけ加えた。「そのボスポラスがそのまま英語に訳されて、オクスフォードOxfordになったんですね。オクスというのは牡牛、フォードは渡る、でしょう。牡牛が牡牛になってしまいましたがね」「ほう。そいつは知らなかったなあ」と私はいった。382p

★耳目をおどろかせるような発見はなかった。しかし、インダス河のほとりに始まり、南インド、ヒマラヤ、中国の雲南地方、そしてコーカサスからアナトリアの高原までたどってきた長い旅の道すがら、私はさまざまな民族の根(ルーツ)と足あと(ルート)を見てきたように思うし、実際、数多くの人間に出会ってきた。その記憶が、いつか、わが日本民族のルーツに関係を持つようになると私は期しているのである。402-403p

2021年2月15日月曜日

「シルクロード絶景地帯をゆく」を見る

 一昨日の夜、NHKのBSで<体感!グレートネイチャー SP「シルクロード絶景地帯をゆく」>を見る。シルクロードといえば今から30数年前の喜多郎のシンセサイザーの音で流れる映像を思い出す。まさにそのブームに便乗してシルクロードに出かけた。それ以来、辺境の地にあこがれ、徐々に足を西に伸ばしてエジプトまで行った。だが、今回放送のシルクロードはこれまで出かけたルートより違っていた。

 番組HPによると「イタリア・ローマから奈良に至る、全長1万5千キロのシルクロード。かつて旅人が行き交った東西の回廊は、ヒマラヤ造山運動などによりできたという。東西に延びるいくつもの山脈が誕生、その山肌を縫うように生まれた東西の回廊。そこには息をのむ絶景が広がっている。中国奥地にある七彩丘陵、火焔山から中央アジアの泥火山、神秘の水鏡を生む塩湖。そしてトルコのカッパドキアでは近年発見された地下都市と暗闇教会に出会う」とある。

 まるでこの世のものとは思えないほど美しい光景が映し出される。中国シルクロードの火焔山も映し出されるが、そこは熱砂で自分たちが出かけたのはその山を見て通るだけだった。今回のテレビ・クルーが山に近づいて気温を測ると46度以上で暑さも半端ではない。トルコは以前に出かけてもカッパドキアへは行かずじまい。以前、スリランカの旅で知り合ったお坊さんたちからトルコの旅を誘われた。だが、一度トルコに行ったので行かずに終わった。昨日のテレビを見て一緒に行けばよかったと今になって悔やまれる。

 画像はテレビ画面を写す。

トルクメニスタン 地中からのガスが燃え続ける
カザフスタンの塩湖
カザフスタンの塩の海
トルコのカッパドキア

中国甘粛省の魔鬼城

 番組の最後にナレータは「シルクロード、そこは地球の営みと人間の営みが重なり合ってできた道だったのです」と。場所ごとに専門家がついていた。近年、カッパドキアで発見された暗闇教会。ここはずっと昔はキリスト教徒がイスラムに隠れて住んでいたとか。想像を絶するほど広い地下都市と暗闇教会。いつの日か、エジプトのピラミッドの中を見学したように、この暗闇教会の中を見学するツアーができるかもしれない。

 今はコロナ禍で海外へはどこへも行かれない。「ひらめきノート」に行きたい場所など記すが、それも徐々に増えてゆく。ロマンあふれるシルクロード、もう一度行きたくなる。が、今のこの世界情勢では到底それは望めない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月14日日曜日

久々の日本画教室

 昨日、2か月ぶりに日本画教室に出かけた。教室には日本画で使用する水干絵具や絵皿、膠などを置いたままにしている。他にも描いている途中のサムホールもそのままだ。家から持参するのは筆一式とほかにも少しある。いかに家で絵を描かないかがこれでよくわかる。威張れることではないが……。久々に教室の人と会うと話が弾む。家にいると声を出して笑うことがあまりない。これは自分一人だけかと思ったら家族がいる人もそうらしい。

 先ごろ終わった院展での話題もある。同じ趣味を持つ人の集まりなので話題は尽きない。改めていいメンバーに恵まれた、と思った。他の人もそう感じたらしく長く休んでいた人も絵が始まってよかった、と感激のようだった。

 サムホールに寺院までの石段に銀杏の葉が落ちている様を描く。年に一度、習っている文化センターの区民作品展に小さい絵を展示する。今年は今月の開催予定が中止となった。あせり気味に描いていた絵も来年用に仕上げればいい。ましてや昨日は久々の絵の教室だ。若い人も今日は絵のリハビリ?と言って話が弾む。

 前回、先生が教室の岩絵の具を貸してくださった。だが、長い休みの間に溶いていた岩絵の具の絵皿同士がくっついたままになる。鍋にお湯を沸かしてくっついた絵皿を入れて離すと絵具も溶けてしまった。先生はまたも岩絵の具を貸してくださる。

 石段に落ちた葉の1枚1枚を銀杏の形に描いてゆく。筆は面相筆を使用。この筆は細いので描くのがむつかしい。好きな筆は削用筆。だが、用途に応じて先生に教えてもらった面相筆で銀杏の葉を描いてゆく。石段に落ちている銀杏の葉は同じ色ではない。黄色や茶色に色づいた葉もある。昨日は筆が動くよりも口の動きが勝り、思うような絵にならない。

 日本画教室も早いもので習い始めて7年半が過ぎようとしている。絵心が全くないものが絵を習う。絵を習い始めて当分は教室に行く楽しみがなかった。その一番の理由は自分が教室で何をすればいいのか、わからなかったことにある。日本画を描くには手順が多くあり、わからないことが原因だった。が、今はそれもなくなり、教室にいても楽しい。

 10年ごとに新たなことを始めている。あと、1,2年すれば節目の10年がやってくる。次に始めるのは何?と思ってみても今は何も浮かばない。そのときになってひらめくものをやり始める。それまでの楽しみとして今は待つ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月13日土曜日

「おとなび」設定から

 青春18きっぷが発売されると知って久々にこれを使って……、と思ったりした。が、これよりも以前よく利用していた「おとなび」がいいと思いつく。ところが昨年7月にパソコンを買い替え、「おとなび」の設定を新たなパソコンにし直さないと利用できない。そう気づいて一昨日、ある程度入力していたらメールアドレスの設定になる。何かのはずみで小さく表示されるアドレスの途中からを削除してしまった。削除が利きすぎてどうやっても入力できない。10分以上やり続けるもできない。これはダメじゃ、と思ってJR西日本 Club J-WESTの画面であれこれ処理方法を検索。

 やっていたことをあきらめて再度、Club J-WESTの会員になる手続きをする。IDが先方からメールで送られてきて入会は無事完了。これで「おとなび」が利用できそうだ。

 昨日、JR西日本 Club J-WEST事務局 から早速、旅の動画をアップ云々のメールが届く。以前はこういった情報が送られて来なかった。こういうメールはいらない、と思って設定を削除しようと試みる。これがまたできない。仕方なくこのままにする。

 有名人の動画を見ているとチャンネル登録をすすめる。むやみやたらと登録しているといろんな情報が送られてきそうで登録せずに見ている。昨日のJRの動画もチャンネル設定が必要のようだった。だが、やるのはやめた。

 便利なことを利用すればするほどIDやパスワードなどの設定が発生する。いろんな場面で設定すると何が何だか分からなくなってくる。パスワードなどは控えるようにしていても老いぼれてしまったらどうなる?と恐ろしくなる。こんなことを思っていたら何も行動に移せない。訳が分からなくなったらそれまで、と居直ってせいぜい今を楽しむ!?こう思うしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月12日金曜日

『老いてこそ生き甲斐』

  一昨日、図書館で借りた『老いてこそ生き甲斐』(石原慎太郎 幻冬舎、2020年第一刷)を一気に読んだ。華やかな世界に生きてきた人のように思える著者だが、この本を読んで凡人と変わらぬ人のように思えてきた。有名無名の人たちを取り上げて高齢社会を生き抜くヒントを説いている。とりわけ驚いたことは江藤淳の死と両親、弟などの死である。そして今は病気がちな奥さんの話もある。

 江藤淳のお手伝いさんは石原の息子のお手伝い募集に応じた人から選んだ。その人がたまたま2,3日休みを取って実家に帰り、江藤の家に戻る際、乗った電車が遅れたそうだ。その間、江藤はお風呂で手首を切って自死していた。その思いを複雑な心境でつづっている。また弟である裕次郎の死について「弟の場合、苦しみぬいた挙句に死んでいったのです。それは彼に言わせれば泥の中に浸けられて切りなく沈んでいくような耐えられぬほどのだるさだそうな」(55p)。

 石原自身は脳梗塞で利き腕の左手が不自由になる。が、ワープロのおかげで入院中も本を一冊完成させている。今年89歳になるそうだが、高齢社会を生き抜くヒント(?)として「老いてこそ生き甲斐」を書いた!?まだ今は著者ほどの年齢には至らない。が、それでもすぐに歳はとっていく。他人事とは思わず偉い人の知恵を拝借して高齢社会を元気に生き抜こう。

 以下はいつものごとく気になる箇所を抜粋したもの。萩本欽ちゃんやここには取り上げていないが、あのスーパーボランティアの尾畑さんの話題もあった。そうそう、大事なことを書き忘れている。弟のことを運動嫌いだった、という。高齢社会は体を動かすこと、と書いている。

 小さいころは弱く生まれたためか、大の運動嫌いだった。しかし、30代半ばで何かを悟ったかのように自転車に乗り始め、泳ぐようになった。そして海外旅行にも目覚めだす。運動嫌いが歳を取るにつれていつの間にか動くようになった。この気持ち、いつまでも忘れずに!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★高齢社会で若者たちに見下されて不本意な老後を過ごす代わりに、年齢は違っても対等な人間として胸を張って生き抜くためにも自分の感性に従っての趣味を持ちとおすことです。はたから見て下手だろうと、まずかろうと己の感性に則っての趣味を持ち通すことです。感性さえ衰えなければ、その人は個性的に見え、一目置かれる老人としての存在感を保ち尊敬されるはずです。25-26p

★現代の高齢社会は、その気になりさえすれば若いころし残した、自分自身を活かす試みを受け入れる機会をふんだんに設けているはずです。要はそれを自分自身への責任として欽ちゃんのように選んでいってこそ、百二十歳というエベレストへの頂上への登攀を成し遂げられるに違いありません。28p

★老いてからの生活を活性化し、充実させるために必要なことは機械的な仕事、つまりルーティンを自分に強いることです。それがいかに退屈でも、それを必ず反復することで一日がアクティブに展開されていくのです。93p

★老いてから自分の体に自信を欠いてきたなら、いたずらに医者などに頼らず自分で出来ることを日頃試みて、老いの不安を取り除きたいものです。105p

★老いは折節に若いころの自分との比較での意識を醸し出します。老いに対する立ち向かいの術は。まず何よりも慨嘆しないことです。つまりこの自分位は必ず明日があり、さらにまたその翌日もあるのだと自覚して、その日何をするかを積極的に考え、その日の計画を立てて臨むことです。老いのもたらす怠惰のままに行き当たりばったりに過ごすことは、人生の無駄な浪費でしかありはしない。どんなことでも計画を立てて、それをこなしていくことでのささやかなりともの達成感が生き甲斐を育むのです。109p

★老いても何か新しいもの、趣味にしろ新しい運動にせよ、新しいものを試みる姿勢は必ずや新しい生き甲斐をもたらしてくれるものです。130p

★世の中には思いもかけず若死にしてしまうものが多いが、彼らに比べて高齢を窮め生き続けてきた私たちは、何かの大きな意志によって選ばれ、祝福された存在であって、その恩に報い応えるためにも老いたる者たちはたとえささやかでも、老いてはいても常に新しい生き甲斐を見出し、与えられた天寿を全うすることこそが人生の見事な完成になり得るはずです。205p

2021年2月11日木曜日

久々に図書館へ

 もうすぐ5年前のことになる「ターリク・イブン・ズィヤード&コルセーロ」とタイトルをつけたブログの閲覧数が昨夕、急激に上がる。何で?と思ってテレビ番組表を見るとBSで夕方、再放送していた。凡そ、一日のブログ閲覧数は50前後。それが一気に閲覧数が200以上になると我がブログながら驚いてしまう。

 自分自身、テレビを見ていてどんな番組かを知りたいとき、ネットで検索する。これと同じように他の人もネットで検索して我がブログに行きついたのだろう。これはこれでありがたい。 

 昨日といえば2か月ぶりに地元の図書館に出かける。予約確保の本を2冊受け取った後、雑誌や司馬作品のコーナーを見渡す。司馬作品を久しく読んでいない。借りようとするが、家の本を読んでいるし、また2冊予約確保の本がある。司馬作品を借りるのをあきらめて、しばし館内で雑誌を読む。

 月刊誌を見ていると大谷直子の記事が目に留まる。まだ若い人と思ったら年齢は同世代のようだ。この人も司馬作品の歴史小説が好き、とある。こういう記事を見るとなんだか親しみを覚える。若いころ、この人のテレビドラマを見たことがある。タイトルは忘れたがなぜかドラマにあった「小谷村」だけは覚えている。

 家で読んでいるのは中村真一郎の『冬』。分厚い単行本で、文字も小さい。400頁あるが、まだ150頁ほど読み終えていない。司馬作品に明け暮れているとこの人の本が読みづらい。だが、それもおのずと慣れてくる。とはいっても一日に読む頁数が多くない。読み終えるまでにはまだ当分時間がかかりそうだ。

 昨日は中村の本を読むのを中断して借りてきた石原慎太郎の『老いてこそ生き甲斐』を読む。中村の小説と違って同じ単行本でもエッセイは読みやすい。すぐに読み終えた。他に借りたのは本郷和人の『日本史ひと模様』。これを今日から読むつもり。コロナ禍でくすぶりがちな生活も少しは晴れ模様となりそうだ。

 青春18きっぷはこれまで通り発売されるとのこと。久しぶり青春18に乗って、と思ったりするが今一歩気持ちがはっきりしない。行きたい場所が決まれば切符を買ってもいいがそうでなければ、といろいろと気も揺れる。こういう時は行くな、との暗示がする。ただ、梅の季節の防府天満宮に久しぶりに行きたいという気持ちになる。重い腰はさてさて……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月10日水曜日

パスポート取得

 冷たい朝を迎える。だが、日中は気温も上がって暖かくなりそうだ。昨日、4月で期限切れとなる新たなパスポートを受け取りに出かける。先週、申請に出かけたときは旅券センター到着までに場所を2人に聞いた。今回は最寄りバス停から歩くと迷わずに到着した。中に入ると相変わらず客(?)はいない。新たなパスポートを受け取る際「おめでとうございます」といわれる。旅券発行日と自分の記念日が同じだった。

 コロナ禍のこのご時世、パスポート申請は少なくて当然。海外に関係ある企業人は必要に迫られて旅券を申請する。が、一般人は当分、海外に行かれそうにない。「申請者が少ないでしょ?」と係に話す。「今回は更新でよかったですね」と係に言われた。

 パスポート取得後、そごうデパートで開催中の西田俊英の個展を見に行く。昨日が初日にも関わらず、展示されていたと思われる位置に何点か絵がない。すでに購入済み!?日本画の第一人者の絵は見ていて飽きない。青を基調とした絵で個展のタイトルは「美之國・IN THE BLUE」とあった。

 絵を堪能後は広島駅までバスで移動する。駅前のデパートでお昼を食べに入ると先週よりもにぎやか。だが、デパート内の人出は少ない。地下に降りて和菓子を購入。このお店の和菓子が好き。「春の和菓子」は今月20日くらいから発売のようで昨日は他の和菓子を買った。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月9日火曜日

『幕末』

 幕末は世の中がひっくり返るほどの時代であり、斬ったり斬られたりの日々が続いた。そんな時代を改めて『幕末』を読んで知る。ここに登場する人物は皆、そういう時代を生きていた。母の父である私の祖父は慶応2年生まれだったように思う。我が家のお墓より、もっと山の方にある墓地へは母が骨折する半年前に一緒に参ったことがある。その際、お墓の後ろに生まれた場所や生年月日、亡くなった日付などが刻まれていた。もう一度参ってそれを確認すればいいのだが、何しろ墓地までが遠く我が家の墓地しか参らずにいる。

 その祖父の顔は写真で知るだけであり、両親の両親である祖父、祖母という人たち4人にこれまで会ったことがない。いずれにしても母の父は今、生きていれば155歳くらいになる。慶応は江戸末期で1868年(慶応4年)に終わり、その年に明治が始まる。母は生きていれば105歳。100年前がつい最近のように思える。

 以下は『幕末』(司馬遼太郎 文藝春秋、2011年第24刷)を読んで気になる箇所を抜粋したもの。メモが長くなってしまった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★井伊は政治家というには値しない。なぜなら、これだけの大獄をおこしながらその理由が、国家のためでも、開国政策のためでも、人民のためでもなく、ただ徳川家の威信回復のためであったからである。井伊は本来、固陋な攘夷論者にすぎなかった。だから、この大獄は攘夷主義者を弾圧する一方、開国主義者とされていた外国掛かりの幕吏を免黜し、洋式調練を廃止して軍政を「権現様以来」の刀槍主義に復活させているほどの病的な保守主義者である。この極端な反動家が、米国側におしきられて、通商条約の調印を無勅許で断行し。自分と同思想の攘夷家がその「開国」に反対すると、狂気のように弾圧した。支離滅裂、いわば精神病理学上の対象者である。(25p「桜田門外の変」)

★この桜田門外から幕府の崩壊がはじまるのだが、その史的意義を説くのが本篇の目的ではない。ただ、暗殺という政治行為は、史上前進的な結果をうんだことは絶無といっていいが、この変だけは、例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。三百年幕軍の最新鋭といわれた彦根藩は、十数人の浪士に斬りこまれて惨敗したことによって、倒幕の推進者を躍動させ、そのエネルギーが維新の招来を早めたといえる。この事件のどの死者にも、歴史は犬死させていない。(52p「桜田門外の変」)

★諸国の士氏のなかでも怪物的な才人といわれた出羽浪人清河八郎の刀は、業物で、引きぬくと七ヶ所に光芒が立った、といわれた。剣相のほうでは、こういう刀をもっとも瑞剣であるとし、「七星剣」といった。……この瑞剣をもつ者は天下取りになるというのである。むろん、百万本に一本もない。(57-58p「奇妙なり八郎」)

★帰宅して、剣相の書物を調べてみると、七星剣は聖徳太子の佩剣もそうであったといい、この相の剣をもつ者はかならず王者になるという。また覇者として天下をとる、ともいう。(おれが、将軍になるのか?)清河はまじめにそう思った。そういう男であった。(61p「奇妙なり八郎」)

★徳川家に仇をなそうとする者はことさらに村正を帯びたという故実がある。大坂の陣の豊臣方の軍師真田幸村などがそうであったし、木村重成も冬ノ陣の講和使節に立つときはわざと村正の脇差しを用いたという。河内介の村正佩用この方尊攘の志士はあらそって村正をもとめ、のちに西郷隆盛でさえ村正の短刀を身につけていた。(78p「奇妙なり八郎」)

★「あの、後家鞘というのは」と、お桂はその理由を聞いた。……彦六の貧乏を嗤ったあだ名なのだ。後家鞘とは刀身と反りあわない鞘のことで、彦六は、そういう差料を帯びていた。銘は、土佐鍛冶久国で、新刀ながらも上乗の作。これは国許でもきこえていたほどだから、大坂の蔵役人まで知っている。(117p「花屋町の襲撃」)

★鞘と刀身と別々のものを一つにしたものを刀剣の世界では、後家鞘という。(118p「花屋町の襲撃」)

★大和十津川といえば秘境といっていい山地だが、「古事記」「日本書紀」によれば、神代、九樔人(くずびと)という人種が住み、神武天皇が熊野に上陸して大和盆地に攻め入るとき、この天孫族の道案内をつとめた土着人がかれらの祖先である。以来、朝廷が、大和、奈良、京都とうつってもこの山岳人はさまざまの形で奉仕し、京に政変があると敏感に動いて、禁廷のために武器をとって起った。古くは保元平治ノ乱、南北朝ノ乱などの登場し、南北朝時代には最後まで流亡の南朝のために、足利幕府に抗した。水戸学は、北朝を否定し南朝を正統とした史観を確立した学派である。東湖が、金王史の生きた化石ともいうべき十津川の赤龍庵の出現をよろこんだのはむりもなかった。(241p「祇園囃子」)

★郷士とは、土佐の制度では最下級の武士で、上士からは人間あつかいにされない。たとえば上士ならその家族でも日傘をさせるが郷士はそれを許されないといったきびしい差別がある。土佐におけるこの差別問題が、ついに維新史を動かすにいたったことは後述する。(276p「土佐の夜雨」)

★維新は、この三年後に来る。その間も、おびただしい数の志士が、山野に命をすてた。が、桂は生き残った。新政府から、元勲とよばれる処遇をうけた。皮肉ではない。元勲とは、生きた、という意味なのであろう。維新後、政治家としての桂は、なにほどの能力も発揮しなかったが、そこまで生き得たというのは、桂の才能というべきであろう。維新後の桂(木戸)の毎日は、薩摩閥の首領大久保利通に対し、長州閥の勢力を防衛することに多くの勢力をさかれた。(350p「逃げの小五郎」)

★(おのれ幕府目)、と、かれらは、慄える思いで、暴虐・酷烈な政府を呪った。桂小五郎にとって倒幕の情熱は、この安政六年十月二十八日の早暁の刑死体(注:吉田松陰)からはじまったといっていい。さらに言えば、幕府の瓦解はこの朝からはじまったといえるだろう。(367p「死んでも死なぬ」)

★幕末、最も多く血を流した集団の一つは土佐人であったが、藩としての行動ではなかったために、維新政府は薩長に独占された。維新後よくいわれた比喩に、「土佐の志士は、長州のミカン畑のコヤシになり、薩摩の諸畑(いもばたけ)のコヤシになった」というのがある。かれらの流血はほとんど酬われず、維新後、自由民権運動に奔って、反薩長政府の行動をとったのは当然であった。(470p「浪華城焼打」)

★九十を過ぎてから朝日新聞の記者が、「閣下の御長寿の秘訣は。――」と訊きにきたとき、しばらく考えて瞑想した。おそらく幕末風雲のころを想い出したのであろう。めずらしく生真面目な顔で、

 長生きの術やいかにと人問わば 殺されざりしためと答へむ

 と詠んだ。才質さほどでもなく、維新の志士のなかでは三流に近かったが、一流はほとんど死に、顕助(注:田中光顕のこと。97歳まで生きた)、ただ奇蹟的な長寿を得たために多くの栄誉をうけた。晩年は維新殉難の志士を毎日回向して暮らした。かれが自筆でかいた大冊の過去帳が、故郷高知県佐川町の「青山文庫」に保存されている。(481p「浪華城焼打」)

★幕末、志士として非命に斃れた者は、昭和八年「殉難録稿」として宮内省が編纂収録したものだけで、二千四百八十余人にのぼっている。そのうち、おもな者は大正期に贈位され、すべては靖国神社に合祀された。ただ二人、三枝と朱雀だけはそのなかにふくまれていない。とくに三枝蓊のばあい、文久三年の天誅組幹部の五人のうちの一人として、もしかれが時流に乗る気さえあれば……その旧同士でしかもおなじ和州出身の平岡鳩平(明治後、北畠治房)は男爵となり、おなじく土佐出身の伊吹周吉(明治後、石田英吉)も、男爵になっている。三枝蓊のみは極刑になった。節を守り、節に殉ずるところ、はるかに右の両男爵よりも諄乎としていたが。(523-524p「最後の攘夷志士」) 
                                    
★暗殺は、歴史の奇形的産物だが、しかしそれを知ることで、当時の「歴史」の沸騰点がいかに高いものであったかを感ずることができる。ロシア革命党が、皇帝アレキサンダー二世を暗殺しようとし、執拗な計画をたて、計画をかえること十一回、失敗を重ねつつ、じつに十五年の長きにわたった。歴史の平静な時期の人間には、想像もできない異常さである。……書きおわって、暗殺者という者が歴史に寄与したかどうかを考えてみた。ない。……暗殺は否定すべきであるが、幕末史は、かれら暗殺者群によって暗い華やかさを添えることは否定できないようである。(526-527p「あとがき」)

2021年2月8日月曜日

ダグニー・カールソンさんの今

 毎日見ているダグニーさんのブログは今年になって変化がある。ブログのトップに以下のように表示される。

「残念ながらコロナ大流行のため、私はどんな活動にも出ることができないので、トピックを見つけるのは難しいでしょう。私はブログで短い休憩を取り、私は伝えるために何か楽しみを持っているとすぐに戻ってきます。
私は大丈夫ですし、私はあなたが私を忘れてはいけないと思います。
皆さんへのよろしくお願いします
ダニー」(自動翻訳機能による日本語)

 スウェーデンのブロガー、ダグニーさんは108歳。5月には109歳になられる。100歳で習い始めたパソコンでブログを開始。これは世間にそうある話ではない。スウェーデンのテレビ番組で100歳過ぎのブロガー、ダグニーさんは認められて一躍時の人になる。BSで「100歳から始まる人生」を見てダグニー・カールソンさんを知った。その頃は103歳だった。それ以降、毎日ダグニーさんのブログを見ている。だが、最近は上に記したように投稿があったりなかったりしていた。
 
 ダグニーさんよりも若く元気であってもコロナ禍には悩まされる。ましてやダグニーさんは何歳になっても外へ出てゆく人。それがコロナ禍で家に閉じこもるようになるとブログの話題もなくなる。それも当然のことでブログのアップをしばし休憩するのだろう。

 年齢の高い人で元気に活動されている人を見るとこちらまで励まされて元気が湧く。ところがどの人も年齢を重ねて思うようにならなくなる時が来る。ましてやこのコロナ禍のご時世、それも致し方ない。

 先日は山口県の106歳のスイマー、長岡さんが亡くなられた。亡くなる4日前は車いすから降りてプールで水中歩行されたという。この記事を見て素晴らしい生き方の人だと思った。だが、誰もがいつまでも生きてゆくことはできない。長岡さんは母よりも年上。80歳過ぎて水泳を始められた。これも素晴らしいことだ。何歳になってもやろうと思えばやれる、と改めて思い知らされる。

 いずれにしてもその人たちから元気と勇気をもらった。ダグニーさんは健在なので再度ブログがアップされる日が来るだろう。その日を楽しみに待つことにして……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月7日日曜日

立春も過ぎて

 休館だった市の施設が明日から開館する。だが、図書館は月曜日が休館日。そのため火曜日から以前の日常を取り戻す感じになる。絵の教室も始まるので、今週から外へ出る機会も増えそうだ。とりあえず火曜日は更新中のパスポートを受け取りに街中に出かける。梅の花も咲き始めたとの情報もある。

 立春も過ぎて春らしい日が続く。くすぶっていた生活から抜け出して徐々に動くようにしよう。図書館のマイラブリーに「本棚」という項目がある。休館中、予約できずにいた本をこの「私の本棚」に入れている。それを開館になると予約に入れ替えよう。いずれにしても人と会って食べたり飲んだりできるまでは本来の日常に戻ったとは言えない。

 この時季、例年ならばフグを食べる季節。だが今年はフグを食べるどころか、外での食事さえままならない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月6日土曜日

中国etc.

 見逃し配信でNHK のBSで放送された<ザ・ヒューマン「それでも、自由のために闘う 中国人権派弁護士と家族」>を見る。番組内容はHPによると以下のように書いてある。

★去年4月、中国で「国家政権転覆」の罪で服役していた“人権派”の弁護士が、4年半にわたる刑期を終えて出所した。私たちに証言したのは、中国政府が推し進める「法治」の名の下で行われた過酷な取り調べの実態。さらに家族を待ち受けていたのは、当局による監視や妨害といったさまざまな圧力だった。法を用いて社会の安定を図ろうとする一方、批判的な意見への締め付けを強める中国政府。強大な権力と闘う家族の日々に密着した。

 自由な国、日本で生まれ育ったモノにとって「自由」とは空気と同じように必要不可欠な存在となっている。ところが中国においては、この自由をめぐる闘いが人権派弁護士であってもどうにもならないようだ。国家が都合よく決めた法がすべてを勝る国では、いくら自分が正しいと思ってもどうすることもできない。メディアを通して知る情報と人々が望む社会の実態は大きくかけ離れている。

 番組の登場人物、金さんは中国の人権派弁護士40人余りとともに国家転覆罪で逮捕される。逮捕後、他の人たちが罪を認めて釈放されても金さんだけは罪を罪として認めず、釈放されないままになる。その間、子供と奥さんが面会に訪れる。いつもはやわからな金さんがその日訪れた奥さんたちに対して怒りをあらわにする。出所後、その理由を聞くと面会する奥さんたちにも逮捕のターゲットになるのを恐れての「怒る狂った様子」の金さんだった。

 釈放されても理由なく玄関の覗き窓を外からガムテープでふさがれる。外へ出る際、外にだれがいるのかわからなくして四六時中、金さんを監視するためだ。出所後に外に出ると町中に監視カメラが設置されている、と気づく金さん。弁護士資格は剥奪され、仕事もなくなる。私立小学校に入ったばかりの長男は学校から辞めさせられる。公立学校へ通わすよりも、とフリースクールへ転校させる。子供への自由もない!?

 国の都合よく決めた法に逆らうものはすべて排除される社会。なんとも恐ろしい、と思いながら番組を見た。中国人の中には登場人物のように国を何とかよくしようとする人たちもたくさんいる。が、それは思うようにならない。テレビに登場した金さんたちは後々まで大丈夫と心配になる。
 
 37,8年前に中国語を習い始めて以降、中国に関心を抱く。政治面では外野がとやかくは言えない。が、中国の風土や人々は親しみやすさがある。これまで12回ほど中国に旅しているモノにとっては以前のような、おおらかな中国であってほしい。

 中国といえば中国語。昨日、姪から届いたメールを見るとわからない言葉がある。「赤パンチェック」と「直播」。パンダ好きの姪は仕事が休みになるとパンダの本場中国へ出かけてパンダのボランティアなどやっていた。今はコロナ禍で中国のパンダを見に行かれない。その代わりとして日本で居ながらにして中国のライブ配信という意味の「直播」で、成都基地や臥竜基地の赤ちゃんパンダの様子をチェックしているという。「赤パンチェック」とは赤ちゃんパンダをチェックすることのようだ。姪がメールで送ってくれた添付写真はライブ放送で写した赤ちゃんパンダなどだった。

 新たなキーワードが出てくるとまずは電子辞書で調べる。だが、それも時代に追いついていってない。ここでネットでの検索となる。日本語もメディアで通してみると新たなキーワードが次々に出てくる。これと同じように中国語も以前に習ったことがない単語が出現する。この頃は中国語講座もご無沙汰気味。ネットで中国語講座を聞くと「超市」がある。これは何?と調べるとスーパーマーケットだった。以前は「商店」で習ったが、その時はスーパーはなかった。新たなキーワードが出てきてもおかしくはない。

 ということでNHKの見逃し配信を利用して中国語講座を見るようになった。ナニゴトも進化し続ける。言葉の世界も進化している。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月5日金曜日

「城の怪」<『馬上少年過ぐ』収録>

  今朝の地元紙によるとこれまで休館の市の施設が来週からやっと開館する、とある。昨日の新聞では全国で演奏活動が再開される中、広島市だけが活動中止とあった。いつも見ている東京都内の交響楽団の人のツイッターでは演奏活動を多方面でされている。なぜ広島市だけが図書館も区民文化センターも、また芸術分野における演奏活動なども中止なのか不思議でならなかった。コロナの陽性か否かのPCR検査を80万市民に課すとの報道もある。何でも全国に先駆けて目立てばいいものではない。そこには何か隠された意図があるように思えてならない。こう考えるのは自分だけだろうか。

 気を取り直して以下は以前に読んだ「城の怪」<『馬上少年過ぐ』収録>(司馬遼太郎 新潮社、平成二十四年第七十八刷)から気になる箇所をメモしたもの。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★公家の幽霊はあっても武家の幽霊はない、という。公家の菅原道真公は罪なくして太宰府にながされ、配所で死に、そのためうらみが残って都でさまざまな怪異を現じ、それを鎮めるために天満社ができたが、それは道真公が公家だからで、公家は生死に未練がましい。そこへゆくと例えば源氏武者の幽霊などありうるか、ないだろう。武家はもともと勝負で生死しているからたとえ敗死しようともさっぱりしている。平家の幽霊のはなしはあるが、それは平家が性根まですっかり公家になってしまっていたからだ、とお義以はいう。299p

2021年2月4日木曜日

「記す」

 NHKのETV特集で放送された「一所懸命に漕(こ)いできた~“歴史探偵”半藤一利の遺言~」を後日、見逃し配信で見る。番組HPによると以下のようにある。

★歴史にこそ現代を生きるヒントがあり、未来につながる道がある。昭和の軍人や官僚一人一人に取材して「日本のいちばん長い日」「昭和史」がベストセラーとなった半藤一利さん。いつもニコニコと軽妙な語り口で、歴史を照らす語り部として愛された。自らの原点である東京大空襲の体験や司馬遼太郎との秘話を語る秘蔵映像、晩年まで共に活動した“歴史探偵団”メンバーのインタビューなどから、半藤さんが残したメッセージに迫る。

 夜遅い放送はこのような見逃し配信で見ている。半藤氏の本を読んだことがあるので興味深く話を聞いた。この人のこれまでを一言で表すと「漕ぐ」だそうだ。学生時代にボート部で活躍し、オリンピック代表まで行きそうな強さだったという。人の一生を表現する言葉が「漕ぐ」とはなんと響きがいいことだろう。さて、自分の場合は、と取り留めもなく考える。

 自分自身が特別な信念もなく生きていると自身を表現する言葉が見つかるはずがない。とはわかっていても探してゆく。あえて言えば「記す」!?

 若いころはノートに日記を記したり、本を読めば気に入った文章を記したりした。だが、今はすべてブログがそれにとって代わる。「記す」は「ノートに記す」や「心に記す」など目に見えるものと見えないものとに分かれる。どちらにしても自分を表現することばを「記す」にしてこれからも生きてゆく。いいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月3日水曜日

旅券センターへ

 節分の日の昨日、春の陽気に誘われて4月に切れるパスポート申請に出かける。隣町での申請ならば徒歩で行ける距離だ。しかし、隣町は市でなく町制を敷いている。そのため、隣町での旅券申請は住民票が必要だ。が、それも面倒。お天気も良く散歩を兼ねて市の旅券センターに出かける。コロナ禍で市の管理する施設は閉館のままだ。旅券センターはいくらコロナ禍であっても閉館とまではならないはず。しかし、旅券を申請する人がいる?と思いながら10年ぶりに出かける。案の定、人の気配がない。係は1人でなく、かなりの数いる。

 客として現れたモノの一挙手一投足を見守られているようで落ち着かない。ましてや気候も良く、センターに入ると暑すぎる。着ていた服を脱いで帽子をとって、とするうちに係に声を掛けられる。記入済みの書類を提出すると更新期限まで2か月残っているとか、有効のビザの有無、旅行の行き先などを聞かれる。どういっても今は海外に行かれる状況にない。それなのにパスポート更新手続きをするからややこしくなる。

 某会の会長は3,4年前に10年のパスポートを更新された。その時、パスポートを利用するしないは別としてある種のお守りみたいなものとして更新した、みたいなお話をされていた。更新が切れた後で、どこかへ行く予定ができたときに申請も可能だ。が、会長と同じく旅券があればまた旅に行きたくなるだろうし、旅に行こうと思えば元気でいられそうな気がして更新の手続きをした。来週には新たな10年のパスポートが取得できる。

 10年のパスポート取得は嬉しい。が、10年先を考えると人生の行き先が見えてきそうで怖くなる。そう思いながら旅券センターを後にして最終日となる院展を再度見に行く。鈴木恵麻の絵が気に入る。あとで前回もこの人の絵を気に入っていた、と気づく。いい絵は何度見てもいい。院展会場の福屋八丁堀店の地下に降りて恵方巻を購入。1本の恵方巻購入も昨夜の夕食では全部を食べきれない。

 次に向かうは金座街にあるカフェ。ここで軽くお昼をたべる。その後は広島駅前店に移動する。だがここの院展は見ないでJRに乗って我が家へ。携帯万歩計は久々に8910歩だった。

 家に引っ込んでばかりいず、温かくなったら外に出るに限る。これから数日は10度半ばくらいの気温になる。ただ、プールはまだ行けそうにない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2021年2月2日火曜日

パスポートの更新!?

  昨年、お正月が明けるとすぐにミャンマーに出かけた。その時のガイドは選挙に勝ってスーチーさんが政権につくのを願っていた。願い適って政権に着いたはよかったが、昨日からの報道をみると大変なことが起きている。敬虔な仏教徒であるミャンマーの人たち。軍が制圧となれば国の安寧が危ぶまれる。ミャンマーの寺院で購入した大きなカレンダーも今年になって使用不可能になった。まさか、ここにきて軍事行動に出るとはなんと恐ろしい。早く収まれば、と願うばかりだ。

 4月で10年のパスポートの更新期限が切れる。今どうこういっても海外に出かけられる状況にない。それなのに昨年初めに更新の書類を人に頼んで取り寄せた。すべて記入し、あとは書類を提出すればパスポートが取得できる。それなのに暇つぶしに書類の隅々を見ていると市に在住していても隣町の役場で更新可能とある。その際は、住民票の添付が必要。昨夜、寝る前になってしきりに頭をかすめる。住民票を取るには何がいるのか。今朝、住民票の個人番号はいかに?とタンスを探す。番号通知のはがきがあった。10年前、期限切れとなったパスポートを新たに取り直した際はどうだった?思い出せない。その時は市の旅券センターで更新したので住民票もいらなかったのだろう。

 いろいろ思いを巡らすうちに寝はぐれてしまった。よく眠られるものでも寝る前にこういう考え事をしてはいけないと思い知らされる。今朝はこの1,2日の悪天候とは打って変わって晴れている。家でくすぶらずに散歩がてら、市の旅券センターまで出かける!?いいかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2021年2月1日月曜日

ワクチン接種

  ネットニュースを見ていると時事通信社の記事が目に留まる。それは「ワクチン懐疑論、世界で後退=接種希望急増、日本は停滞―国際調査・新型コロナ」の記事だ。コロナのワクチン注射を受けたくないものにとっては記事をしっかり見つめる。ワクチン接種は強制でなく任意と思っているのでその点は楽観的。の、はずが結構「ワクチン」云々と叫ばれるたびに嫌な気持ちになる。

 接種といえばインフルエンザや肺炎球菌に関しても受けたことがない。同居する親がインフルエンザになってもかかからなかった。もう20数年前になるだろうか。高熱が出てどうにもならず近くの内科へ這うようにして出かけた。その際、何も口にせず出かけたのが悪かったのか、熱さましの注射を打たれて何秒か意識が無くなった。意識もうろうとする寸前、医師に何か変、と訴えた。しばらく横になっていると意識はすぐに戻り、家に帰ったことを思い出す。それ以来、内科へは行っていない。

 そのせいか、注射を打たれることはしないようにしている。ただ、健康診断で血液を採られるのは仕方なく応じる。何も食べず飲まず、高熱を下げるために注射した。このことが体に応えたようだ。ということでコロナワクチン接種は何が何でも受けたくない。病院嫌いというか医者嫌いはこういうところにも関係がありそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!