2021年2月16日火曜日

『日本民族のふるさとを求めて』

 2か月間、図書館が閉館だった。その間、以前に買って積読のままになっていた本を読み漁る。2年ほど司馬作品を読んでいて、途中から他の人の本を読むと読み始めは読みづらい。だが、読み進むにつれてそれもなくなる。今回、読み終えた『日本民族のふるさとを求めて』(新潮社、平成元年)は森本哲郎の本だ。森本哲郎といえば他にも世界の旅シリーズが積読のままになっている。いつかそれも読みたい、と思う。が、図書館が開館したので読む本はまた司馬作品に戻りそうだ。

 この本は紀行文で著者自身がカメラ2台、テープレコーダなどを持参しての旅だ。そのため、読んでいて臨場感にあふれる描写が続く。さすがに旅の達人、と思いながら読んだ。以下はその中から気になる箇所を抜粋したもの。

 このうち「文明とは放浪のたまものであり、文化とは彷徨のあげくに築かれるものなのである」(224p)に惹かれる。とり分け「放浪」と「彷徨」の2つのキーワードは旅に欠かせない!そして、これらは人生の旅にも欠かせない!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★モエンジョ・ダロとは、シンド地方の言葉で「死者の丘」という意味であるが、まさしくそこは遺体の上につぎつぎと築かれた文明の墓標のような丘なのだ。同じ場所につぎつぎと掘り起こされて行った井戸は、こうして煙突のようになってしまった。20p

★モエンジョ・ダロやハラッパーに毛細管のようにめぐらされているあの排水設備のあとは、その苦しい戦いを証言しているのかもしれない。彼らはドロを焼いてレンガをつくり、それで見事な都市をくりかえし建設した。だが、そのレンガを焼くために樹木を乱伐し、自然の生態系を破壊していよいよ洪水に悩まされることになった。そして、土地の隆起によってじわじわと逆流してきたドロ水の防戦に、ついに力尽きて滅び去ったのであろう。ドロを焼いて築いた文明が、水に溶けたドロによって滅び去る――そのドロが、私のクツにも、ズボンにも、両手にもべっとりとこびりついていた。38-39p

★そう見るならば、シヴァという神こそ、インドそのものといってもいいであろう。そして、この神の属性はさまざまに姿を変えて仏教へも入りこみ、吉祥天(きっしょうてん)となる。その吉祥天の母とされる鬼子母神が手にしている吉祥果は、なんとあの果物、柘榴(ざくろ)なのである。172p

★カミュはこのシーシュポスに人間そのものを見た。人生の不条理を見た。そして、その不条理に反抗し、不条理に挑戦することこそが生きることなのだ、と主張した。そのカミュは一九六〇年に自動車事故で不条理にも急死してしまった。もし彼が生きていて、この石を見たら、どんな印象を受けただろう。私はカミュにこの石をみせてやりたかったと思った。187p

★南船北馬というように風土が全く異なる以上、中国の南北で対照的な性格を持つのはとうぜんであろう。たとえば宗教である。なかんずく禅宗だ。達磨大師を初祖とする中国の禅宗は、五祖弘忍ののち、南宗と北宗とに分かれた。弘忍の弟子慧能は江南で、もうひとりの弟子神秀は北京で、それぞれ活動したので、いらい、前者を南宗、後者を北宗と呼ぶようになった。……南宗は「頓悟」を主張し、北宗は「漸悟」を力説するのだ。南宗が直感的にすみやかに悟れ、と教えるのに対し、北宗は段階的にゆっくりと悟るべし、と説くのである。おなじように絵画でも南宗画と北宗画が二つの流れをつくっている。そのちがいは、南画がやわらかな筆使いで主観的な気分を大切にするのに対し、北画は描写の正確さを重んじ、力強い線を強調する点にある。199p

★私は思わず、うしろをふり向いて浜に並んでいる原始的な筏、カタマランをつくづくながめた。こんな舟で、たとえ岸づたいであっても、日本までたどりつくことができるだろうか。陸路をとるとすれば、あのヒマラヤの裾をどのように縫って行くのか。それは、どれほど苦難にみちた旅であろう。だが、そのような旅が文明をつくり、そうした旅から日本の文化も生まれたのだ。文明とは放浪のたまものであり、文化とは彷徨のあげくに築かれるものなのである。224p

★なぜ彼女の祖父たちが、レプチャ族やシェルパ族の女と結婚したのか。……イギリスは急速に接近し始めたロシアとチベットとの関係におどろき、対チベット工作に全力をあげていた。イギリスを頑として拒んでいたチベットに対し、一九〇三年、イギリスは武力でシッキムから侵入し、抵抗を排除して、翌年、ラサに入城、ここでラサ条約を結んだ。その条件はチベットに対し、巨額の賠償を課し、以後、イギリスの許可なしに外国人への利権の提供をいっさい認めない、というものであった。……そのようなわけで、チベットを監視すべくイギリスの兵士がダージリンにつぎつぎに送られれてきた。258p

★窮すれば通ずるものだ。不用意の旅とは、こういう出会いに深く感謝する旅である。273p

★私が言葉の壁にぶつかりながら、何度もききかえしていたとき、とつぜん、庭先に立ちこめていた雲が左右に切れて、そのあいだに、ヒマラヤの襞が目ざめるような色で出現した。それはちょうど仏壇を左右に開いたような感じだった。その山襞に一条、金色の光が矢のように走った。何という荘厳な風景だろう。レプチャ人は追いつめられてシッキムの山中に住んでいるのではない。彼らは世界でいちばんすばらしい場所を占領しているのだ――と、私は思った。275-276p

★ヴァイオリンはジプシーによってヨーロッパにつたえられたのだが、ジプシーはインドから流れ出た民で、彼らはこの楽器をインドからたずさえて行ったということである。321p

★生きるということは、すきあらば埃に埋葬してしまおうという自然の力に生命力で立ち向かい、不断に埃を払いつづけることなのである。文明とは、埃への挑戦なのだ。338p

★私はついに何一つ発見することなく、いま、コーカサスを離れようとしている。だが、私はとにかく、長いあいだ心にかかっていたコーカサスの山を仰ぐことができたのだし、「人類社会発祥の地のひとつ」といわれる国海とカスピ海のほとりを歩くことができたのだから……。そう思い直して、私はみずからを慰めた。369p

★イオが海を渡った場所は、ボスポラスと名づけられた。ボスポラスとは「牛の渡し」の意味である……。「ついでにいうと」と、ファティはつけ加えた。「そのボスポラスがそのまま英語に訳されて、オクスフォードOxfordになったんですね。オクスというのは牡牛、フォードは渡る、でしょう。牡牛が牡牛になってしまいましたがね」「ほう。そいつは知らなかったなあ」と私はいった。382p

★耳目をおどろかせるような発見はなかった。しかし、インダス河のほとりに始まり、南インド、ヒマラヤ、中国の雲南地方、そしてコーカサスからアナトリアの高原までたどってきた長い旅の道すがら、私はさまざまな民族の根(ルーツ)と足あと(ルート)を見てきたように思うし、実際、数多くの人間に出会ってきた。その記憶が、いつか、わが日本民族のルーツに関係を持つようになると私は期しているのである。402-403p

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