2019年8月4日日曜日

地元紙オピニオン&日本画

 昨日の地元紙オピニオンに萩博物館特別学芸員の一坂太郎は書いている。「明治維新150年という空気」のタイトルで「賛美一辺倒の世相に違和感」の大見出しがある。萩博物館があるのをこの記事で知る。記事によると「近代日本とは、軍人が政治を行う国であり、それをリードしたのが山口県出身者だった」という。筆者は「今の政府は明治維新を『建国神話』仕立てたいらしい。視界が悪く、不安定な国の人心をまとめる目的で、政治がナショナリズムを高揚させようとした例は古今東西、枚挙にいとまがない」としたうえで「『尊王攘夷派の志士』の松陰を『工学教育』『産業立国』の先駆者、松下村塾を『工学教育』の場とし、祭り上げようとの動きがある」ことに首をかしげる。

 今、吉田松陰と高杉晋作を取り上げた司馬遼太郎の『世に棲む日日』(全4冊)を読んでいる。司馬遼太郎は松陰を取り上げたものの松陰を嫌っていた。それは以下の文からわかる。

★思想とは本来、人間が考え出した最大の虚構——大うそ――であろう。松陰は思想家であった。かれはかれ自身の頭から、蚕が糸をはきだすように、日本国家論という奇妙な虚構をつくりだし、その虚構を論理化し、それを結晶体のようにきらきらと完成させ、かれ自身もその「虚構」のために死に、死ぬことによって自分自身の虚構を後世にむかって実在化させた。それほどの思想家は、日本歴史のなかで二人といない。(『世に棲む日日』(二)99p)

 このことを松本健一は『世に棲む日日』(四)の「解説」で次のように書いている。

★松陰がつくりあげた「虚構」は、日本国家論というより、幕末にあっては革命的な思想、つまり天皇=国家という国体イデオロギーだった。そのイデオローグ(思想家)としての松陰を、司馬は嫌ったのである。321p

 この辺りを一坂は懸念したのだろう。行政関係者が一坂に「尻尾を振らねば食えなくなると忠告」してくれる人もいたとか。しかし一坂はそれよりも「歴史の人物評すら統一され、理屈が通らない社会に向かう空気の方がよほど怖い」として文を締めくくる。

 萩博物館へも行きたくなった!

 気分を変えて、昨日は日本が教室の日。風景を写真を見てスケッチする。前回、スケッチして水彩で色付けした。これをA3に拡大して、F6のパネルで日本画にしようと思った。だが、今年の日本画展の作品はすでに3点あり、うち2点を出品する。日本画は木製パネルに描いて完成させる。どんどん描いていくと絵がたまってしまう。なるべく物を増やししたくない。そう思って本画に仕上げるのはやめて、しばらくは写真をスケッチする。北海道で写した写真から釧路湿原の1枚をスケッチ。鉛筆でのスケッチは慣れてきた。問題はこの後の色付けが大変だ。これはまとめてすることにして余った時間は野付半島のトドワラをスケッチする。だが、途中で時間切れで来週に持ち越しとなった。

釧路湿原 これをスケッチした

野付半島のトドワラ  次回にスケッチしよう

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 

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