2019年8月29日木曜日

『世に棲む日日』(四)

 まるで梅雨のように雨の日が続く。この先1週間も雨が降るようだ。秋はいつになったらやってくる!?

 毎日、司馬作品を読んでいる。どの作品も1作品が1冊で終わるのはほとんどなく、ほとんどが数冊単位だ。『世に棲む日日』(四)(司馬遼太郎 文藝春秋)も4冊ある。以下はその中から気になる箇所をメモしたもの。この作品の出版年をメモし忘れている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「自分は不本意ながら決起する」という気持ちを表現するために、晋作のクーデターの翌日、髪を剃って坊主になり、おれは世を捨てた、と名も変えた、と言って、「素狂」と号した。素(もと)これ狂なり、という意味をこめている。松陰は、至純至高の思想を狂と定義し、狂でなければ国が救えないとしたが、この狂の思想を伝承するため晋作もその文字を号とし、山県もそれを号とした。54p

★晋作は 時代をうごかす巨大な勢力は経済であり、具体的には富裕有識の町人階級であるということを渾身をもって知りはじめていた。晋作が師の松陰から抜きん出た点は、こういうあたりであろう。206p

★「どの人間の生にも春夏秋冬はある」と、かれの師の松陰がいったことがある。幼少で死ぬ者もそれなりに春夏秋冬があり、長寿を得て死ぬ者も同様であり、春夏秋冬があることは人生の長短とかかわりがない。ゆえに自分が短命に終わることにすこしの悔いもない、とは松陰がみずからに言いきかせた言葉だが、晋作の人生の晩秋はみじかかった。しかしいかにみじかくとも、晩秋らしい晩秋を、晋作はごく自然に送っている。303p

★おもしろき こともなき世を おもしろく
とまで書いたが、力が尽き、筆をおとしてしまった。晋作にすれば本来おもしろからぬ世の中をずいぶん面白くすごしてきた。もはやなんの悔いもない、というつもりであったろうが、望東尼は、晋作のこの尻きれとんぼの辞世に下の句をつけてやらねばならないとおもい、「すみなすものは 心なりけり」と書き、晋作の顔の上にかざした。望東尼の下の句は変に道歌めいていて晋作の好みらしくはなかった。しかし晋作はいま一度目をひらいて、「……面白いのう」と微笑し、ふたたび昏睡状態に入り、ほどなく脈が絶えた。306-307p

★人間が人間に影響をあたえるということは、人間のどういう部分によるものかを、松陰において考えてみたかった。そして後半は、影響の受け手のひとりである高杉晋作という若者について書いた。『世に棲む日日』という題は、高杉の半ばふざけたような辞世の、それも感じようによっては秋の空の下に白い河原の石が磊々(らいらい)ところがっているような印象からそれをつけた。(文庫本あとがき316p)

★この小説は、国民軍の先駆的形態ともいえる奇兵隊をつくり、幕末の征長戦争――長州側からすると四境戦争――において幕府軍を敗北させた高杉晋作を主人公にしている。当時とすれば、坂本竜馬(『竜馬がゆく』)、土方歳三(『燃えよ剣』)にならぶ風雲児である。(松本健一 文庫本巻末解説318p)

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