夕方、人と外で話をしていた。その時、突然、人が立ち止まる。「〇〇〇です」と聞いてもうびっくり。なんと昨年暮れ、大連に出かけた時に知り合った人だ。今、自分がはまっている司馬遼太郎の本を読むように勧めてくれた人だ。町内に住んでいる人で我が家の前を歩いて最寄り駅まで行き来する、と聞いていた。会ったときは司馬遼太郎にはまっていると知らせたい気持ちがある。9か月ぶりに会ってやっと伝えることができた。話していると「水師営の観光をしなかったね」、と念を押される。その人曰く、「ツアー客の年齢が戦後生まれとなってその観光をしないのだろう」、と。
水師営は中国の大連市旅順の北西にあり、清朝海軍の兵営があった場所。日露戦争の際、乃木大将とステッセル将軍の会見が行われた。
乃木将軍は203高地の高台の後ろの山に自身の2人の子供を祀っている。それを祈念して203高地に立つ祈念碑を爾霊山(ニレイサン)と名付けた。この話はガイドに聞いたのではなく『坂の上の雲』の中に書いてあった。そのことを出会った人に話すと知らない、という。203高地の雪山を歩いて登った際、その人は息苦しくなってリタイアされた。私としてはあの大雪の中をよくも歩いて登った、との自負がある。それはその人も覚えてくれて「元気だ!」と言ってくれる。とはいいながら、生まれてすぐに大病をしている。それは自分自身は親から聞いて知ったことであり、全く覚えていない。そのこともあるのか、絶対無理はしない。それがいいのか、今は元気!
司馬遼太郎の本はこの人以外のツアー客からも読むように言われた。昨日、「150歳まで生きないと司馬作品は読めそうにない」と話すとそこまでしなくても読めると言って笑われる。海外は?と問われて、大連の後に出かけた台湾の話をする。その人はウラジオストックを、と思ったらしいが取りやめたとか。秋、冬の大連でなく、アカシアの大連に行きたい、というと清岡卓行の本を読んだのかと問われる。読んではいない。ただ、中国語を習ってアカシアの大連、を知った。この本も読もう。
本と言えば昨日は図書館で予約確保した光浦靖子のエッセイを読んだ。タイトルは『ハタからみると、凪日記』(毎日新聞出版、2018年)。エッセイはすぐに読める。ほかにも司馬遼太郎の単行本『ひとびとの跫(あしおと)音』を読みつつ、『翔ぶが如く(二)』を読む。もう目の前は本だらけ。昨日聞いた『アカシアの大連』もさっそく予約しよう。
そういえば、昨日、ばったり出くわした人はNHKのカルチャーセンターの帰りだった。今朝の地元紙に、10月からのそのカルチャーセンターのチラシが入っている。何を習いに?と思った矢先のチラシだ。これにもびっくり!
ここで余談。旅順の博物館で見たミイラ。これを昨日の人は見ていないという。博物館内はガイドもつかず自分で見るしかない。その人は203高地で草臥れて関心がなかったのだろう。大谷探検隊が持ちかえったミイラ、と知って自分自身は実物をしっかり見た。最近『西域をゆく』を読んで大谷光瑞が持ち帰った話が出てくる。これは後日のブログにアップしよう。
またまた余談。今、自分のブログで確認すると旅順博物館で見た2体のミイラはやはり、203高地観光後、お昼を食べてから出かけている。その人はだいぶ疲れていて見なかったのかもしれない。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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