連日の暑さに台風10号接近が重なって一歩も外に出たくなくなる。あれほど出ていたのにこう暑いと自転車にさえ乗りたくない。昨日は仕方なく家の前のドラッグストアに出かけて牛乳を購入。毎日定番の食べ物、飲み物は欠かすわけにいかない。ともあれ、今朝も暑い。朝6時に目が覚めると、いったんエアコンを切る。しかし、2,3時間経過すると室温が高くなり、すぐにエアコンを作動する。せめて1,2時間くらい、使わないようにしないと思って切るのだが……。とはいっても母を介護していた時は24時間つけっぱなしで、5年もしないうちに室外機が故障してしまった経緯がある。この暑さの中、エアコンがダウンすれば人間まで即ダウンとなりかねない。
外へも出ず、家の中でもっぱら本を読む。司馬遼太郎の『世に棲む日日』全4冊を読み終え、次は『菜の花の沖』全6冊を読もうとした。しかし、それはやめて『翔ぶが如く』全10冊を読むことにする。その前に『酔って候』を図書館で借りる。これは全1冊で、本の終わりにある吉賀徹の「解説」を読むと面白いことに気づく。
先日、所属する研究会から『史〇研究』が送付された。その中に薩長の論文がある。司馬作品を読んで「薩長」に目が行く。そして司馬作品を若いころから読んでいれば日本の近代史が分かったはずなのに、と悔やまれる。吉賀は徳富蘇峰の『近世日本国民史』をほめたたえるとともに次のようにも書いている。ここを読んでも司馬作品の素晴らしさが改めてわかる。その割には司馬作品を読むのが遅すぎた。遅きにあっても司馬作品にかなりはまっている。
★司馬遼太郎氏の幕末維新、そして明治の日本を舞台とする歴史小説の大群が、史論と小説とのジャンルの違いこそあれ、この蘇峰の大事業を継ぎ、それを発展させた「近代日本国民史」となるであろうことは今日ではもはや動かないところである。いや、すでにそれが「近代日本国民史」として、近来の他のどんな通史や叢書や研究書や、文部省の検定合格あるいは不合格の教科書にもまさる強い迫力とさからいがたい魅力とをもって、日本国民に臨み、おとな(傍点がつく)の読者層の圧倒的な支持を得ていることは、読者諸氏御自身がすでによく心得ておられる事柄であろう。……「最近人物研究が再び盛んになってきたのは、戦後ようやく社会科学として進歩を固めた日本の歴史科学の正道に逆らい、それをねじまげようとする反動攻勢の一環である」――数年前のことにせよ、こういった身ぶるいするほど勇ましい議論が中心的な専門雑誌(『史学雑誌』)の「学会展望」特集号に掲載されたりするような実に保守自閉的な日本の歴史学会なのであった。正気で、マジメでそのようなことを書いていたらしい人が、この『酔って候』をはじめ、『最後の将軍』や『坂の上の雲』や『世に棲む日日』や『花神』など、司馬氏の雄大豊麗な人物史論の世界に触れたら、いったいどんな顔をするのか。汽車賃を払ってでも見にゆきたいほどだ。(司馬遼太郎 文藝春秋、2012年第16刷332-333p)
今日午前中はブログのアップ中にWindows10のプログラム更新があり、長時間を要した。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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