2018年2月11日日曜日

日本画&『玄冬の門』

 毎日気にかけているのは今日の最低気温と最高気温。そして雨かどうかも気にかける。昨日の最高気温は見事に裏切られる。10度、との予報で雨が降り続く中、薄着で出かける。日本画教室でデッサンしていると途中から背中が寒くてダウンジャケットを着る始末。着ぶくれになると思うような動作もできない。ましてや絵を描くとなると不得手がさらに増す。

 絵のモチーフは先日もらった花束の中からチューリップ、アネモネ、スイトピー、ガーベラ、そして名前のわからない小枝に着いた葉っぱ2本を持参する。まずはチューリップをデッサン。垂れ下がる葉。これは描きにくい。まずは葉のカーブする上部に線を入れて下部を描くといいらしい。チューリップの花も部屋が寒いといいながらもつぼんでいた花びらが次第に口をあけてくる。

 これに気付かれた先生は白い壁を背景にしてチューリップを手に持ってくださる。そして写真に納めるようにとせかされる。こうすれば花の状態が変化しても色付けの時など写真を見て絵に出きる。仮の教室も昨日で終わり、次週からは元の教室に戻る。昨日の寒かった教室を出ると外はそぼ降る雨。寒いはずだ。昨日の最高気温は後で5度と知る。

 眼科、歯科以外の医療機関は20年近く行ったことがない。とはいっても母を介護していた時に通った医療機関はこれに含めない。どういっても小学校に上がるまで弱かったらしく、物心ついてからは健康第一に気を付ける。お蔭でいたって健康そのもの。ここで風邪を引くわけにはいかない。親がインフルエンザに罹った時、予防接種をしなくても罹らなかった。昨夜は、風邪予防には眠るに勝る薬なし、と思ってよく寝た。今朝は大丈夫。

 建国記念日の催しの招待ハガキが送られてきた。しかし参加はとりやめよう。毎日、動きすぎの感がある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『玄冬の門』(五木寛之 KK.ベストセラーズ、2016年)からの抜粋。

★「大河の一滴」という表現は、福永光司さんという、かなり年上の道教の学者の方に教わったものです。「面授」という古い言葉があります。人づてに聞いたり、本で読んで知るだけでなく、直接その人と向き合って、肉声で教えを受けることをいいます。本当の生きた思想や知恵といいうものは、やはり、そんなふうにして、生身の人間から人間へ伝えられていくものでしょう。128p

★道教の世界で、

大河の一滴
大海の一粟(ぞく)

 という対句があるということを福永さんに教わったのです。一粟というのは、一粒の粟(あわ)ですね。本当に小さなもの。それを伺ったときに、その二つが結びついて、大河の一滴は海へ流れていく。海の中の粟の一粒のように存在として、その中に溶けてしまう、というイメージが浮かんだのです。129-130p

★精神世界というか、想像の世界やそういうものに生きるとすれば、古人とか、外国の人とか、「なるほど、この意見は面白い。この人は自分と共通の感覚をもっているんだ」というように、精神上の友人はもてます。共鳴する人がいるということが大事。150-151p

★「再学問のすすめ」と言ったけれども、好奇心のある人は、改めてカルチャーセンターに行ってみるとか、何かの通信講座で勉強してみるとか、それをやると「こういう役に立つから」ということではなくて楽しみとしてやってみるといいと思います。…「そうか、人間は有史以来こんなことを考えていたのか」と思わずにいられないはずです。人に見せびらかすためでも、学位をとるためでも、職業のためでもなく、本当の好奇心からすることが大切です。その好奇心を持続させるということが、一番大事なことだと思いますね。157-158p

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