お墓参りを済ませるといつもとは違う道を歩く。目の前には黄色い蝋梅が咲いている。これは絵になると思い、しばし立ち止まる。梅の木の主の家は道路の下にある。木は背が高く、道からだと目の前で見える。のぞき込んで見ていると主の声がする。「枝を切ってあげますよ」。「ええっ、もらっていいんですか」と言うと大きな枝を折ってくれる。さらに、芽が出ているのでそれもあげるという。しかし、まだ小さいのでもう少しするといいらしい。
近くで蝋梅をじっくり見ることもなかった。早速、家に帰って花瓶に活ける。しかし、花も終わりのようで長くは持ちそうにない。梅と言えば縮景園が有名。寒いのを言い訳にして、冬の縮景園にでかける機会が少ない。来月になったら梅を見に行こう!
話は変わって以前の旅の道中、某会の会長が話された「遊びをせんとや生まれけむ」。地元の図書館で何と『遊びをせんとや生まれけむ』(久世光彦 文藝春秋、平成21年)の本を見つける。自分自身が関心を持てばいくら目が悪くても目に入るものだと妙に感心して本を借りる。昨夜、読んだのはいいのだが、とりわけブログにアップすることもないと思って付箋紙を取り外す。今朝、折角読んだのだからとその個所を探す。その言葉はタイトルになった本の初めにあり、すぐにわかった。ところがもう1箇所あるはずと思って探すが、すぐには見つからない。再度本を読み返すくらい時間をかけて探すとやっと見つかった。せっかく付けた付箋紙は「これっ」と思って付けた。これからは本を返却する前に取り外すようにしよう。
本のはじめに出てくるのは「神武綏靖」の小見出しの箇所。
★平安のころに庶民の間で歌われた<今様>を集めた、『梁塵秘抄』の中にこんな文句があります。年甲斐もなく、来る日も来る日も遊び呆けながら、私はいつも胸の底で、言い訳がましくこの文句を呟いているのです。
遊びをせんとや生まれけむ
戯れせんとや生まれけん
遊ぶ子供の声きけば
我が身さえこそ動(ゆる)がるれ(18p)
★<作者不詳>と言えば、この連載のタイトルに借りた≪遊びをせんとや生まれけむ≫の由来も、『梁塵秘抄』という平安後期の京の町の人たちに歌われていた、<今様集>からきている。…人の口から口へ歌い継がれて広まった、市井の流行り唄を拾い集めたものだから、みんな作者不詳、つまり<読み人知らず>である。こんなのもある――
仏は常にゐませども
現ならぬぞあはれなる
人の音せぬ暁に
ほのかに夢に見え給ふ
こうした巷の口伝歌謡を集めて編わしたのは、時の後白河法皇だった。いまで言うなら、天皇陛下が粋な<小唄>や<都々逸>の傑作選を作るようなものだから、これはなかなかいい話である。(78ー79p)
他にもナチスに因む歌もあるがそれは省略。目に見える、見えないは自分自身に関心があるかないかによるのだと改めて知る。ナニゴトもアンテナを張っておけばモノゴトもよく見えてくるのだろう。
本の著者と某会長は年齢的にはほぼ同世代。そういえば「遊びをせんとや生まれけむ」は五木寛之の本にも出てくる。3人でいえば五木、久世、某会長と年齢は少しずつ下がる。しかし、自分自身と同じ年代の人との話ではこういうこともなかなか聞かれそうにない。そう思えばいろんな人と知り合え、いろんなことを教えてもらえる旅は本当に素晴らしい!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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