年末年始にかけてパソコンの検索入力が使用不可能な時があった。それより前はパソコンのバッテリー消耗で機種変更?と思った。ところが、バッテリーがリフレッシュできなくてもACアダプターを使用すればOK。バッテリー云々は必要以上の心配しすぎとわかる。年末年始の検索画面での入力やブログなどの文字入力ができなかったことも今となっては何だったのか、と思われる。
パソコンに関しては頼る人がいない。唯一の頼みはパソコンの検索画面に困ったことを入力すれば大概のことは解決がつく。頼みの入力画面が使えないとあっては心配し過ぎとなったのも仕方ない!?ともあれ、お正月が過ぎるといつの間にかパソコンはいつも通りの使いやすい状態になる。
心配性の性格は昔とあまり変わらない。しかし、長く生きただけナニゴトも「居直る」気持ちになっていく。パソコンがなんじゃ、ブログがなんじゃ、といつの間にか居直っている。怖ろしいと言えばそうだけど、いつ何が起こるかわからない世の中。何があっても「居直る」ことも大事だ。
先日、ブータン関係の3人で会った際、台湾の花蓮で早朝の日の出を見るツアーに参加云々の話をした。結論は出ず先延ばしになる。その矢先の一昨日の台湾花蓮の大地震発生。日本では寒波襲来で、福井県は何百台もの車が雪で立ち往生となっている。
月に人が行くような時代になっても大雪を除雪するとか溶かす技術は進歩しないのだろうか。車一台に何人もの自衛隊員が出動して雪を取り除く様子をテレビ画面をとおしてみているとデジタルの時代どころかアナログ、と思ってしまった。というか、人がどれほど偉くなっても自然の前では何もできない、本当に弱い生き物だ。
年末年始にかけてパソコンだけに依存するのでなく、五木寛之の本をよく読んだ。自分自身では何もできないこともすべて「運命」ととらえればこれも「居直る」ことに近いかもしれない。
ともあれ、今日も元気で楽しく過ごしましょう!
以下は『人間の運命』(五木寛之 東京書籍、平成21年)の抜粋から。
★今幸せである人は、余裕をもって過去を振り返ることができるからだ。…過去とは、人間の置かれた状況によって変わる。131p
★現在の自分の状況をもたらしたのは、みずからの過去の行為であることになる。これからの未来もそうだ。明日の自分の運命を決めるのも、いまであり、昨日の自分の行為である。147p
★過去、現在、未来はこれからの明日にかけては可変的なのだと考えたい。運命は、ときに私たちの手の中にあるのだ。151p
★アウシュヴィッツの『夜と霧』のなかを生きのびたフランクル自身が、その証明でもある。…極限状態のなかで生きのびた者はみな悪人である。そもそも人類とは、生物とは、最初から悪を条件として誕生し、地上で生きのびてきたのではないか。私たちは命を大切にしたいと、と思う。しかし、人間社会においてさえ、人間が人間を犠牲にして生きるのが現実なのだと、記憶の深いところからの声が聞こえる。158p
★人間は他の生命あるものを殺し、食う以外に生きるすべをもたない。173p
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