2018年2月24日土曜日

『情の力』

 『情の力』(五木寛之 講談社,2002年)を読んだ。いつものように気になる個所を記そう。取り上げたのはどれを見ても妙に納得してしまう。ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★白道を渡っている人間が、人生を設計図通りに生きられるものでしょうか。
 私はいままで、自分の人生の設計図なんてものは描いたことがありません。やりたいことをいまやって、あとのことは目に見えない大きな力に身を委ねてしまう。その力が自分をどこかへ運んでいってくれるのに任せる。無意識のうちに、そういう生き方を選んできたのかもしれません。
 しかし、マスコミなどが現代人の生き方を論じるときには、たとえば六十歳までにどのくらいお金を貯めればいいとか、年金だけでは心配だから投資信託で資産運用したほうがいいとかいう話が多い。設計図のための情報が非常に多いように思います。
 私たちはみな「白道」という危険な道を歩んでいる。いわば「きわどい人生」を生きているわけです。無計画だと怒られるかもしれませんが、人間は運命というか、目に見えない大きな力を感じるほうが大事なのではないか、という気がします。81p

★世間から身を引いて孤独のなかに入っていくことが、高齢者の生き方のよう見えますが、じつはそうではない。俗っぽいことを嫌わずに、できるだけ人間くさく生き抜くことが必要なのではないでしょうか。
 いくつになっても枯れることなく、俗っぽくに人間くさく生きたいものです。83p

★最近の医学関係の研究でいちばんおもしろいと思ったのは、人間の免疫をつかさどる細胞は、睡眠中に骨髄でつくられているという報告でした。これを聞いて「眠る」ということが人間にとってはいかに大事な営みか、とあらためて気づいたのです。
 …その免疫の細胞は、夜中に人間が眠っているあいだに体内でつくられているという。実は、人間は眠っているあいだに、自分とはなにかということを決定していく働きをつくりだしているのです。こう考えてみると、人生の三分の一を占めている睡眠は無駄な時間などではない。非常にクリエイティブで大事なものであり、人間にとって根源的な営みだということがわかります。99p

★日本人の多くはクリスマスを祝いますし、若い人たちは結婚式を教会で挙げることが少なくない。むしろキリスト教には非常に好意的で憧れさえ持っている。それなのに、魂だけは受けつけないのです。これは、アメリカ人にとってもヨーロッパ人にとっても非常に不可解でしょう。
 そのキリスト教を阻んでいる”バリア”とはいったいなにか。それが、日本人が持っている見えない信仰、見えざる宗教的感覚だと私は思います。119p

★『坂の上の雲』は明治維新以後、日露戦争までを描いた小説です。あの時代に、日本が欧米列強の餌食にならずに近代的な独立国家をつくるとなると、とにかく坂の上の雲をめざして突っ走らななければならなかった。
 夏目漱石は、日本人は欧米の猿真似をして上滑りに滑っている、という表現をしています。それを十分理解した上で、涙をのんで猿真似せざるを得ない、とも認めている。そこにも、明治人の「和魂洋才」に生きる苦渋が表れているといえるでしょう。
 しかし、当時の人々は「坂の上の雲」をめざすと同時に、「坂の下の雑草」から聞こえてくるうめき声やその深い闇というものもつねに意識していたのです。
 だからこそ、明治という黎明期には、光と闇が交錯する彫りの深さがあった。そのために、あの時代に生きた人びとの彫りの深い横顔というものが、現代でも浮かび上がってくるのだと思います。121p

★巨樹に注連縄を張って拝んだり、山を神聖なものとして信仰の対象にするのもそうです。アイヌ民族の文化や沖縄の人びとの文化を見ても、アニミズムには人間本来の非常に大事なものがある。山にも木にも岩にも海にも畏敬の念を持つということは、人間が生きていく上で非常に大事なことではないでしょうか。
 そうしたものを迷信だといって排撃するのは、キリスト教文化の思い上がりではないか、という気がしてしかたがありません。127p

★宗教にアレルギーがある人は、そこに近づく必要はありません。ただ朝日の昇るのを見て手を打ち、一瞬瞑目する。夕日が沈むのを見て一日に感謝する。夜空の星を見上げて永遠ということを感じる。それだけでも大事なことです。要は、自分ひとりを超えた大きな存在を感じ、それとともに生きていることを実感すればいいのです。
 ともあれ、そうやってまず自己を確立するところから出発する。それが、現代を生きる私たちの再生の道に違いありません。215p

★運命も天寿もすべて非科学的な話です。しかし、ブッダという人は約二千五百年も前に、山にも川にも海にも草木にもすべてのものには生命が宿ると考えた。これも、まったく証明できない非科学的な考えです。でも、信仰というのは、何の証明もないから信仰なのではないでしょうか。そのあたりで、運命ということは宗教と結びつくのだと思います。223p

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