2017年6月27日火曜日

BSシネマ「炎の人ゴッホ」を見る

 最近、お昼のBSシネマをよく見る。昨日は「炎の人ゴッホ」を見る。会社に勤め始めてから辞めるまで映画館で観た映画は何本だろう。それくらい映画とは無縁の生活だった。それなのに、いつの間にか家のテレビで放送されるBSプレミアムシネマを見ている。これもすべてが見たいわけではなくテーマに惹かれて見る。

 「炎の人ゴッホ」は伝記映画。以前美学の講座に通っていた頃、自らの耳を切ったゴッホに関心を抱く。その前には、糸杉を描いたゴッホにも興味があった。ゴッホの絵に関してはよくわからない。それでも映画に出てくる絵を見ていると次第にその良さがわかってくる。

 弟、テオとの手紙のやり取りで映画を構成する。ゴッホが亡くなった年は1890年。この年、先日来から気に入っている画家、高島野十郎が生まれている。

 『愛国と信仰の構造』サブタイトルとして「全体主義はよみがえるのか」(中島岳志、島薗進 集英社、2016年)のなかで1880年代生まれは「煩悶青年」だという。その例として「北一輝も石原莞爾も、藤村操や三井甲之と同じく1880年代生まれで、煩悶を抱えながら、日蓮宗に帰依していった」とある。そして藤村は自殺へと至る。53p

 ゴッホは父の影響を受けて牧師を志す。しかし、自分のやりたいことは違うと試行錯誤の末にたどり着いたのが画家の道。だが描いても絵は売れない。孤独の中、ゴーギャンと生活を始める。それもうまくいかず、精神を病む。

 高島はゴッホが亡くなった年に生まれている。日本でいうエリートコースを歩みながら専門外の画家になる。存命中よりも亡くなってその良さが認められる。絵を描きながらも兄の影響もあってか、その時代が迷える時代だったのか、仏教に深入りする。絵に精神性が漂う。

 ゴッホが生きた時代は西洋も日本も「煩悶」の時代だったのだろうか。同じころに読んだ本とゴッホの映画を見て取り留めもなくそう感じる。その時代をもっと深く把握すればいいのかもしれないが…。

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