2017年6月23日金曜日

「海軍兵手記」の記事から

 地元紙に「海軍兵手記見つかる」の見出しがある。シベリア出兵を「戦国時代の如く」と手記で言い表している。ロシア革命が起きた翌年から書かれた手記。100年前のこととはいえ、最近思うことがある。それは100年前は自分自身の今の年齢を考えるとそれほど遠い昔のことではないということ。両親はその頃に生まれている。戦争で駆り出された人の日本人の話をあまり聞かない。しかし、今朝の記事を見ると「銃殺」とある。一兵士がどうこうよりもすべては上からの命令!?「日本に於ける戦国時代の如く」の表現をみても戦争とは野蛮なことだと思い知る。

 それにしてもこれを書いた田辺和市という人。戦時下、冷静な状況判断で書いたのだろう。すべてを読んでみたくなった。

 今よりもずっと若い頃、歴史は好きでなかった。ところが今朝の記事のような100年前の話はつい最近のことのように思えて興味津々になる。両親の両親である祖父母は生きていれば150歳前後。しかし、祖父母4人のうち誰とも会ったことがない。もしも会ったり話をしていたら江戸時代も身近に感じるだろう。せいぜい100年前のことであっても歴史が好きになったことは自分自身にとって、おめでたいことかもしれない。

 話は変わって8月のバス旅。昨日、どうなるのやらと思っていた矢先、旅行社から電話がある。7月に催行とのことで日時を変更する。ともあれ、これも楽しみ!気分をよくしてプールで泳ぐ。背泳ぎで泳ぎながら気持ちに余裕が生まれるといろんなことが頭をかすめる。いつまで泳げるのだろうか、と負の感情もわいてくる。さらには今習っているコトに対してもそれを感じる。最後に行く着くのは他のコトは習うのをやめてもプールだけは歩ける限り、自転車に乗れる限り泳ぐだろう、と。

 今朝の海軍兵の手記を読んでいろいろと思いを巡らす。運動嫌いがここまでプールにのめり込む?これは我ながら不思議。それは歴史嫌いにもあった。絵もそうかもしれない。人は何歳になっても変わることができる。しみじみとそう感じる。

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