2017年6月4日日曜日

碰見!(出くわす)

 日本画教室を終えて外に出ると声をかけられる。ほんまにどこへ出かけても偶然とはいえよく人に出会う。アジアを学ぶ塾で知り合った人だった。「太極拳のミーティングに出席して…」とその人は言う。「この人たちもその先生?」と問うとそうでもなさそうだった。多分、教えている人たちと会合に参加されたのだろう。「この前、〇〇〇塾の賞状を眺めたわよ」、とその人は話す。8年間、仕事が終わるとその塾に勇んで通った。職場では知り合えない人たちと学ぶ塾。それは、それは楽しかった。塾を終えると皆でよく食べては飲んだ。この方が楽しかったのかもしれない。

 ともあれ、その8年間で自分自身の考え方にかなりの変化があった。どっちを向いても刺激ある人たちばかり。やる気に火がついた瞬間だった。そこでの講師陣にも大いに刺激を受けた。後に社会人大学生になるきっかけもここでの経験が大きい。

 結果として自分一人で動いているようであっても周りの人からの影響が大きいこともある。

 まさにこの塾がそうだった。いい人たちに恵まれた。昨日偶然出会った人もそうだけど、この塾のある年のゼミ担当だった若い男の先生。この人は今でも恩人。当時は某大学の助手だった。今は大阪の大学で地理学を教えておられる。この先生抜きにして再度、大学で学ぶことができたかどうか。本当に感謝している。

 話は変わって昨日の日本画教室。わが家の紫陽花を2本切って教室に持参する。ところが出かける2時間前に切ったために教室で水に挿してもすぐには元気が戻らない。急遽、デッサンをあきらめてこれまで描いていた落ち葉を一枚の紙に構成していく。自分で思っていた「落葉舞う」はやめて先生の言われるのを参考にしてデッサンする。

 それにしても日本画教室の後の疲れる事。パソコンの前では一日中、まるで事務所にいるように座っていても疲れない。ところが絵を描くということは本当に草臥れる。夕飯後に頭がぼーっとして全く集中できない。これは疲れた証拠!?

 以下は昨日のブログの追記。著者である木村が叔母を老人ホームに訪ねた後の感想から。「私は、最後まで自分の家で、寝るも起きるも、マイペースで、自分本位に暮らしたいものだと、その訪問をきっかけに決意を固めたのだった。そのために、心身の自由を失わないでおこう。そして、自分の時間や歳月は、自分で管理していたいと思った」。『明日も快晴』22p

 全く同感。母も元気なころいつも「這ってでも家にいたい」と話していた。その通りの人生だった。私もこのくらいの気概を持って…。

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