2017年6月3日土曜日

『明日も快晴』

 「足腰が立つうちに、行けるところに行っておこうと思う。…」。これは木村治美著の『明日も快晴』のなかの一文。これを読んで先日届いた旅のカタログを眺める。日帰り旅で出掛ける四国の銅山。興味はあるがどういっても先日のポーランドで見た岩塩坑に勝る坑内はきっとない。そう思うと行く気も失せる。

 それでも「足腰が立つうちに…」とまでは今のところあまり思わない。旅に出かける前は他人に対しては「一人ですから…」とか「元気なうちに…」と話す自分がいる。これは自分の本心とは異なる。行きたいから行くのであってほかに何の理由もない。

 著者の木村は大学時代の恩師が外山滋比古。外山のエッセイは大好き。その人に教わったと知って木村に関心を持つ。エッセイストである木村は「エッセイは、自分自身を主人公にして、おめず臆せず、自分を真正面から語るものだとされている」という。そして恩師の外山の本も話題にする。31p

 著者が初めて習った楽器は琴で、次がギターだそうだ。ここまでの順序は木村と同じ。その後は異なる。著者は最近、絵を習い始めたらしい。これは歳を取って習い始めたので似ている。「いつか個展を?」とうまく描けた絵を「われながらよくできた。だれかに見せたい」とある。この「うまくできた」、は習いながらいつも自己満足の世界に浸るものとしては大いにわかる。それくらいの気持ちがないと教室で下手な絵を描ききれない。これは何を習ってもそうだ。できないから習うのであって、何もかもうまくできれば習う必要がない。

 話は変わって今朝の地元紙に96歳の人の投稿がある。何年も前から一人で暮らしていても寂しいと思ったことがなかったらしい。ところが今年1月に怪我をして4月に治ると、その際味わった寂しさが今はなくたったという。それには「体は骨と皮でも10本の指はしっかりと動いてくれる」、「またペンを握る気になった」とのことで再度投稿されている。「残り少ない命だと思う。それでも一日一日を大切にしたい」と書いている。

 この年まで元気で生きるとしたら「足腰が立つうちに…」との思いもわくかもしれない。ともあれ、今はまだ元気。何歳になっても体も心構えも元気な人を見倣いたい!

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