2017年6月18日日曜日

「ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~」を見る

  昨夜NHKで放送された「ある文民警察官の死 ~カンボジアPKO 23年目の告白~」を見た。途中、新聞の番組欄を見ると「~選」とある。再放送だった。番組HPを見ると以下のように書いてある。

「1993年5月4日。タイ国境に近いカンボジア北西部アンピルで、UNTACに文民として初めて参加していた日本人警察官5人が、ポルポト派とみられる武装ゲリラに襲撃された。岡山県警警視、高田晴行さん(当時警部補・33歳)が殺害され、4人が重軽傷を負った。湾岸戦争以来、日本の悲願であった人的な国際貢献の場で起きた惨劇は検証されることなく、23年の月日が流れた。しかし、今、当時の隊員たちが重い口を開き始めている。番組ではカンボジアPKOの襲撃事件を様々な角度から描き出す。そこには、戦後日本の安全保障政策が大きく転換しPKOでもさらなる任務が求められることになった今、私たちが目を背けてはならない多くの“真実”がある」。

 見ていて人的な国際貢献どころかまるで戦場に駆り出された人たちだ。1993年ごろから話が始まる。見ながら旅のメモ帳を取り出すとその2年後の1995年8月にカンボジアに旅行している。亡くなったPKOの話題は何となく覚えていた。しかし、これほどひどい光景だったとは…。国際貢献となれば「銃は持ってはいけない、~してはいけない」といろいろ制約があるそうだ。それでも何ドルか出せば銃も手に入る。国際貢献とは名ばかりの状態で現地に赴く。ある時、ある場所へ行くのが怖くなった隊員は名前を貸して現地の人を身代わりに参加させる。その人は襲撃されて亡くなる。それを依頼した隊員は悪かった、とテレビで話す。しかし、日本の大使館や政府はそれでも職務を全うするようにとけしかける。

 名ばかりの国際貢献。協力者だと思っていたポルポト派。そのうちの一人を隊員は23年ぶりに訪ねる。今でも職務に着く元ポルポト派の一人。懐かしさをもって日本人を迎えても決して当時の真相を語りはしない。

 戦時中でなくても国際貢献の下、職務を全うしなければならないコトがある。見ていて現地に赴く人の安全保障をもっとわかって送り出すコトも大事と知る。

 それにしても我々庶民には報道されないモノ・コト・ヒトは多くあるのだろう。朝からぶつぶつ言ってしまった。

 ブログをアップしようとするとまた再起動の表示が出る。ブログを中断してお墓へ参る。先月いろいろと取り込んでいてお墓参りをしなかった。帰宅すると頭から顔から汗が噴き出る。朝から大仕事をした感じがする。再起動は順調に終わっていた。

 昨日と言えば他にも日本画教室へ行く。スケッチした落ち葉をトレーシングペーパーに写して木製パネルに再度写す。地塗りのパネルはどう見ても黄土色が黄色すぎる。先生に話すと今度は全く異なる濃いワイン色で地塗りする。さてさてこの落ち葉、どんな日本画になるのやら…。

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