今日は2017年4月3日の月曜日で今年度の「春」が始まる。目の前に小学校がある。それなのに新学期がいつ始まるのかわからない。学校は新学期を迎えていなくても新社会人は新たな人生がスタートする。新しく何かを始める、これは素晴らしいことだ。少々マンネリ気味に生きている。新たなことに挑戦するのもいいかもしれない。
新たなコト、といえばこれまで”6”のつく年に何かを始めている。次の”6”がつく年齢は…と考えると人生が恐ろしくなる。ナニゴトも成り行き任せでやってきた。それが振り向けば16歳、26歳、36歳、46歳、56歳…と6歳の節目に新たなことにチャレンジしている。これ、我ながら不思議だ。そう思うと次の6歳の節目に何が起こるか楽しみでもある。
ちなみに6歳の節目にやり始めたのは、琴、エレクトーン、中国語、フルート、社会人大学生…と続く。このなかでも36歳はチャレンジ精神が一番大きい。中国語のほかに自転車に乗ることと、水泳の習い始めがある。この3つのうち、自転車に挑戦が最初と思う。とにかく自転車に乗りたかった。運動音痴が人に後ろを持ってもらって手を離されたときに自転車が前に進んだ。もう、嬉しかった。それからというもの毎日、自転車に乗っている。まるでよちよち歩きをし始めた子供のように嬉しくて広島駅やその先の三滝の観音まで自転車で行ったこともある。
自転車に乗り始めて人生開眼。これ本当のお話。半端なく嬉しかった。「できないと思っていたことがやれば何でもできる」、と確信した瞬間だった。誰もが乗れる自転車。普通に人が聞けば笑い話であっても本人にとってはもう大変なことだった。それくらい鈍かった(というかやらなかった、が当てはまる)。このおめでたさは水泳の時もそうだった。とはいっても自転車よりも水泳はその何十倍もの挑戦だった。だから、泳ぎもやめられない。どういっても楽しんで泳いでいる。6歳の節目以外には国内外の旅と日本画がある。余談として車の免許は視力の悪さで教習所に行ってお金を支払う時点であきらめた経緯がある。その余波は海外の旅へと向かう。もしも免許があれば車で日本全国へ行けるのに…と思うととても残念!
かなり前に読んだ『年を取るのが楽しくなる教養力』(斎藤孝 朝日新聞出版、2016年)。以下はその抜粋。最後にあげた「表現したいものや学びたいものがあり、自分自身を更新していこうという意欲があれば、人は力強く生きていけるということです」。そうであれば嬉しい!!
★長生きすれば、楽しみ多く益多し。
日々にいまだ知らざることをしり、月々にいまだいまだ能(よく)せざる事をよくす。この故に学問の長進する事も、知識の明達なる事も、長生きせざれば得がたし。(『養生訓』巻第一の十九)はじめに
★吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順がう。七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず。(『論語』為政第二)16-17p
★未だ堅固かたほなるより、上手の中に交じりて、毀り笑はるゝにも恥じず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。(『徒然草』第百五十段)73p
★社会に何かを残していきたいと思うとき、自分を残すという手ももちろんあります。いまの時代でいうなら、ブログを毎日書き続けることも一つの方法でしょう。けれど、「こんなものを食べて、こう思った」などと自分の日々の感想を書いたところで、なかなか価値があるものとは認めtられないでしょう。ならばブログという形は借りても、古典の翻訳をのせたら文化貢献になる可能性が高いかもしれません。114p
★表現したいものや学びたいものがあり、自分自身を更新していこうという意欲があれば、人は力強く生きていけるということです。179p
0 件のコメント:
コメントを投稿