2017年4月23日日曜日

泉美術館へ行く

 有意義な一日の終わりはBSの「経済フロントライン」。初めて見る。番組案内に一人旅or豪華グルメとあり「特集 フロントライン大型連休間近!変わる余暇の楽しみ方」がテーマの放送だった。2月に東京に住む姪が我が家に来た際、東京駅付近が紛らわしいため、ツアーを案内するバスツアーがあると聞いた。昨夜のテレビは東京駅でなく羽田空港内を案内する日帰りバスツアーの模様を映し出す。案の定、アナウンサーは「東京駅もこんなのがあるといいですね」と話す。するとほかの人が「すでにツアーをやっていますよ」。姪の言う通りだった。

 先日の日本画教室でこの頃のツアーは添乗員同行であってもEチケットを受け取ると各自でカウンターに赴き、航空券を受け取り、出国手続きなどすべてする、と話すと驚かれてしまった。以前は旗を持った添乗員が旅の一行を引き連れて機内に乗り込むことが多かった。しかしこの頃はツアーであってもだれがどこに座っているかわからない。どういっても各自に任される。わりと旅慣れたモノでもこれは大変。それが、旅慣れなくて一人でするとなるとあらかじめ空港内を知っておくツアーがあるのもうなづける。旅のやり方もおひとり様参加が増えているようでその楽しみ方も年々様変わりする。おひとり様参加ツアーはクラブツー〇ズムの会社。旅を再開する前はよくこの会社を利用した。とはいっても20年近く前のお話。おひとり様参加は他の人と相部屋だった。今でもその人たちとは連絡を取り合っている。いい人たちに恵まれた。

 話は変わって午後からは西区にある泉美術館に出かける。一昨日、新聞で池内紀の講演を知る。すぐに美術館に問い合わせると予約不要とのこと。俄然聞きに行く気になる。早めに家を出て美術館へ向かう。行く度、場所の把握ができていない。途中、人に聞くと目の前が美術館だった。とはいっても広い通りを挟んでいる。展示されているのは「柚木沙弥郎いのちの旗じるし」。それとともに彫刻家セカールの作品もある。

 展示会の予備知識もなくチラシも見ていない。ただ池内紀の講演が聞きたくて出かける。以前にも出かけたことを思い出す。15年以上前に講演後、喫茶ルームで珈琲をいただきながら数人が講師を囲んで本に挿絵入りのサインをもらった。昨夜、その本をわが家の図書館(池内氏はご自分の美術館を池内美術館と称される。これを真似て)で探すと2002年3月2日のサインがあった。

 氏が東大を早めに退官されるときの新聞記事を読んだ。偉ぶらず素晴らしい人だと思った。それ以後もFMの日曜喫茶室の番組コメンテータでの出演でラジオも聞いた。さらにはテレビの「日曜美術館」でコメントもされている。究極は氏のエッセイ。これがまた素晴らしい。

 講演が始まるまで柚木の染の作品を見ていると、にぎやかになる。何?と思ったら会場にいる人が椅子に腰掛けている。講演会場は1階下と聞いている。おかしいと思ってかかりに聞くと講演前のヴァイオリン演奏があるとのことだった。演奏者はヴァイオリニストの上野真樹。この人は広響に関係ある人でよく知っている。まさか、ここで演奏が聴けるとは…。

 演奏曲目はいずれもよく知られた小曲だった。🎵ユモレスク🎵、🎵G線上のアリア🎵、🎵美しきロスマリン🎵、♪母の教え給いし歌♪、他にもベートーベンの1795年作曲の曲があった。このミニミニコンサートは知らずに行ったのに聞けて良かった。

 先日の佐渡裕のフルートではないがこの上野のヴァイオリンの演奏も伴奏なしのソロ演奏だった。この5曲もフルートでさらっているのもある。後でフルートの自分の18番に加えるのもいいかもしれない。

 大事な講演会が抜けている。講演タイトルは「彫刻家セカールのこと」。なんと以前池内氏の話を聞いたのもセカールだったと今回聞いてわかった。だが、その内容は覚えていない。泉美術館開館20周年が今回。15年前は開館5周年の記念行事だった。前回の講演でサインをいただいた本は『小さなカフカ』。本に当時の講演資料を挟んでいる。だが見てもよくわからない。

 ところが8年前に開始したブログのお蔭でそれ以降からはメモを取る癖がつき、ブログにアップ。講演を聞いても理解するようになった。セカールの展示品について池内氏は特徴を3点述べる。

1作品が小さい
2作品のタイトルは無題が多い(見る人がタイトルをつければよい)
3触ってみる作品(目の不自由な人は触って作品を理解できる)

 セカールの作品は東京のギャラリーTOMからで、その美術館オーナー村山ご夫妻の一人息子は目が不自由だった。

 1923年にチェコで生まれたセカール。しばらくするとこの辺り一帯は戦火に見舞われセカールは兵役に就く。1969年故国を離れたセカールはなくなるまでの約30年間をウイーンで過ごし創作活動をした。話の中に出てきたセカールが生きたチェコやポーランド、ドイツといった当時の政治状況。中でもユダヤの話。ポーランドのアウシュビッツにはユダヤを収容する収容所が2種類あり、ユダヤの根を絶やす収容所と反ナチズムの収容所だった。近いうち、この辺りに行くので関心を持って聞く。

 セカールと池内氏の結びつきはセカールが初めてカフカの著作をチェコ語で翻訳。それを池内氏は日本語訳する。氏はセカールの作品を翻訳するという文字から知った。その後、村山ご夫妻を知ってセカールの彫刻も知る。セカールは2度来日し、1度は広島の宮島にも来ているそうだ。そこで木の枠組みで作られた厳島神社に惹かれる。小さな「骨組」の作品は昨日の展示品にもあった。セカールは当時の時代背景から安らぎのなかった生涯を送る。「無題」は見るものが題目をつける。骨組みは「命の原型」では…と池内は述べる。

 セカールは「尊厳をはぎ取られた顔を和らげて作品にしている」と池内氏。尚、柚木とセカールの結びつきは生きる希望を失くした柚木がセカールの作品を見て「希望の星」とあがめたことにある。その為今回のタイトルは「いのちの旗じるし」。阪神淡路大震災など困難な状況のなかで「いのち=生きること」の再考を迫られた現代の私たちに対する柚木からのエールとチラシにある。

 陶酔して話をしているという池内氏。聞く側も同じく陶酔しっぱなしだった。どういってもいろんな形でのファンが押し寄せている。再度サインをしていただくのも年老いた追っかけ婆さんと思われそうでそれはやめる。会場を後にする時、またもや人と知り合う。どこへ出かけてもよく人と知り合う。最寄りJR駅に向かう道を歩きながら話をするとなんとその方は画家。明後日から始まる展覧会の案内をいただく。100号の作品を出品するそうだ。案内葉書を見ているとこれまたびっくり。社会人大学生で共に学んだ人の名がある。学部を出て早10年。この人はもとは東京の美大を出ている。展覧会を見に出かけるのが楽しみになった。

 帰宅後、上野真樹を検索するとブログがある。池内氏からサインをいただいておられる。楽しい一日は終わった!

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