手元に『漢字圏の近代 ことばと国家』(村田雄二郎、C・ラマール編 東京大学出版会、2005年)がある。この本によると、日本語、中国語、韓国語/北朝鮮語、ベトナム語は漢字圏。このうち韓国は「諺文」が「国文」になり、ベトナムは「コックグー(quoc ngu国語)」が漢字を廃してローマ字表記を規範化。こうして近代のいわゆる俗語革命(音声中心主義)が文字民族の「自立」化を導いていく。
今では「漢字」を使う国は日本と中国の2か国。しかし、漢字を廃したベトナムも漢字文化は7割、日本は6割ほどの影響を受けている。(『ベトナム語はじめの一歩まえ』富田健次 DHC、 2001年)。ということで日本よりもベトナムの方が漢字文化の影響は色濃く残る。空港に降り立った瞬間、文字さえローマ字でなく漢字で表記されていれば、そこは中国と見間違えるのもうなずける。
中国もベトナムも共産党一党支配の社会主義国。しかし、この2つの国の違いは大きい。何がどう違うのかは折りを見て調べてみよう。とはいっても、もっと調べたいことがある。それはべトナムはフランスに長く支配され、それから解放された後、アメリカと長い期間戦った。どちらにも勝利したものの、ベトナムのガイドの言葉によると独立後のベトナムは「自分」に負けてしまっているという。
2つの戦争に勝利しても現在のベトナムは遅れていると自嘲気味に話すガイドの言葉。今回の旅で引っかかるものを感じる。気になることはあっても楽しい旅だった。皆さん、旅が好き、人が好き、遊びが好き。この旅が終わっても、その後の遊ぶ(?)計画は旅の夜の反省会で決まっていく。
今回の旅の一番のキーワードは「ちょっと休もうか」。これは旅の紀行文のサブタイトルにしたいほど。そう、ちょっと休み、休み、旅の話をしていこう。それにしてもホテルも料理も観光も旅の参加者も、そしてベトナムという国も最高に素晴らしかった。そして、お天気にも恵まれた。旅の終わりのハノイでのこと。前日まで大雨だったとか。きっと参加者に晴れ男、晴れ女がいる!?もしかして前回の台湾の旅でも台風さえもよせつけなかった幹事のHさんの威力が今回も出た!?そうかもしれない。束の間の非日常。楽しい旅が始まった。
インドシナ半島に位置するベトナム。簡単な地図を用意しよう。
http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/vietnam/より引用
第一日目 2015年1月9日(金)
7時半、広島空港国際線出発ロビーに集合。9時、中華航空C1113便は定刻通り離陸し、台北の桃園空港に無事到着。台北と日本との時差1時間。ここからは現地時間で表記。広島出発では真冬の服装。台北は気温18度と温かい。一枚づつ服を脱いでホーチミンの暑さ対策をする。
服を脱ぐといえば可笑しいことがあった。団長は楽しそうに笑顔で話される。参加者の一人にベトナム通の女性がおられた。その女性の台北の税関でのお話だろうか。上着を脱いだあとだろう。
税関「何か肉などの持ち出しものはありますか?」
女性「生肉ならあります」、「干し肉より生肉の方がいいでしょ?」
聞いたとき意味がつかめず、何度も聞く。やっとわかると、やはり可笑しい。この話題で旅は一段と和んでいく。台北でホーチミンまでのトランジット休憩。搭乗まで1時間半ある。台湾ドルはなくてもここはカードの出番。空港内のカフェを探すとそこには早くも先客組がビールで乾杯済み。珈琲は4米ドル。見渡すと中国人が大きな器で麺類を食べている。他の人も同じものを食べている。美味しいと話していたが、どんな味だったのだろう。
14時20分 中華航空C1783便ホーチミン行に乗る。ところが、機内は空席も目立ち、ゆったりした気持ちで座る。15時、機内食はヌードル他。美味。16時50分、無事、ホーチミンに着陸。気温30度。台湾とベトナムとの時差1時間。日本との時差は2時間遅れ。飛行機を降りる際、ダウンジャケットを小さく畳んでリュックにいれる。
ホーチミン市内をバスで移動中、円をベトナムの通貨、ドンに替える。ガイドの用意した1万円=170万ドンに両替。持てないほどのドンかと思いきや、紙幣はたったの数枚。一番大きな紙幣は50万ドン、ほかに20万ドン、10万ドン、2万ドン、1万ドン。500ドン、1000ドンはお金にあらずとか。その単位になるとおつりは飴玉になるらしい。
ベトナムの空気をはじめて吸ったホーチミン市内。バスの車内から眺める街並みは文字さえローマ字でなく漢字であればそこは間違いなく中国。一番に感じた光景だった。そしてバイクの洪水。若者の街という感じがする。18時 レストラン着。19時半までベトナムのビールを飲みながらのゆっくりとした夕食。食事後ホテルに移動。その後、ベトナムの紙幣を小銭に替える目的で近くのコンビニに皆で繰り出す。
外へ出るといっても信号もない。たとえあってもないのと同じ。ベトナムの人は交通規則を守らないらしい。交通違反で取り締まりを受けてもそこは賄賂がまかり通る世界とガイドは笑って話す。そのガイドに誘導されてぞろぞろとバイクの行列の隙間を縫って道を渡る。この「ゆっくりと渡る」のが大事とか。急いで渡るとバイクは急に止まれない!?ゆっくりがいいらしい。ナニゴトもお国の風習に従うのがよろしいようで…。
ファミリーマートに入ってミネラルウオーター1本4000ドン(25円)で購入。安い。だが安いのは現地の人が買うお店だけ。旅行者が買うのはお土産物店になってしまう。お水を買ってホテルに戻る。おつりで翌日の枕銭の用意をする。枕銭は3万ドンとか。ホテルロビーにおしゃれなお店がある。ウインドーのワンピースに目を輝かせている人もいる。ワンピースの試着はよく似合っている。お直ししてもらってこの服をゲットされた様子だった。
なんといっても宿泊先のホテルはどこも一流。中に入っているお店、そして食事も一流。この一流、幹事のHさんによるとスケジュール、宿泊先、食事、観光などかなり事前に配慮されている。本当にありがたい!21時半、ホテルの部屋に入る。寝ようとするとエアコンのファンだろうか、音がうるさすぎて寝付けず。翌日ほかの人に聞くと静かだったとか。どこか切るところがあったのかもしれない。
第二日目 2015年1月10日(土)
ホーチミンの朝は早い。モーニングコールは5時半。6時に朝食。ベトナムでは欠かせない食べ物のフォー。朝食でコックさんに作ってもらう。この人、中国語がわかるのか「很好漢!」とほめてあげると嬉しそうに笑ってくれた。フォー以外にもオムライスもその場で作ってくれる。ホテルが豪華だと食事まで豪華。朝から1時間かけてゆっくりといただく。食べ物といえば果物。パッションフルーツ、ドラゴンフルーツ、レイシなど南国の果物は美味しい。
ホテル内レストラン 朝食でフォーを作ってもらう |
ベトナム料理 フォー |
ホテルロビー 大きな生花がお出迎え |
9時20分 メコン川クルーズに乗船。船から見る水は茶色く濁る。メコン川はベトナム語で”Sông Cửu Long”。乗船すると1人1個、ココナッツジュースをくれる。ココナッツの一か所を切ってストローをさして飲む。どう見ても清潔そうに見えない船。そこでいただくココナッツ。恐る恐る一口すする。味はよくわからない。水が飲めない国での果物やジュース。かなり慎重になってしまう。とはいっても、船以外の場所では美味しくいただく。
メコン川クルーズ船
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ココナッツミルクが出てくる |
手作りのココナッツ飴 |
ココナッツの木 |
民芸品を売っているお店 |
ニシキヘビを首に巻いた男性 |
ここでしばしティータイム。はちみつや金柑の入ったティーをいただく。甘くて美味。ティーを入れてくれた若い娘さんからベトナム語で「ありがとう」と「おいしい」を教わる。「カ オン」と「ノン」だった。さらに歩くと果物で一休み。果樹園らしく南国の竜眼などいただく。これはレイシの一種で小さい果物。さすがにベトナム。この辺りは暑い!汗が出る。
手漕ぎの小舟に乗り換えて奥地へ進む |
下船の風景 |
15分間ほど小舟に乗って束の間のジャングル体験。その後は、大きな船に乗り換えて10分でミトーの船着き場に到着。ここからバスに乗り換えて15分でレストラン到着。11時40分 お昼をいただく。昼食といっても豪華というかおしゃれな食べ物が次々とテーブルに出てくる。生春巻きはパイナップルに穴をあけて挿してある。これを抜いて各自2本いただく。
パイナップルに生春巻きが… |
エレファントフィッシュ |
昼食の一部 |
揚げ餅。ベトナム語でXoi Chien Phong (ソイ・チン・フォン) |
丸い揚げ餅をはじいて食べやすい大きさに切っていただく |
14時 戦争証跡博物館を見学。館内の左手入口にはベトナム戦争の枯葉剤による後遺症を、今、なお背負う子供たちがいる。まるで見世物のように。この光景、どう表現していいのだろうか、考えてしまう。館内の見学者はアジアよりもヨーロッパ人が多数を占める。今なお続く世界各地での紛争。皆さん、どんな気持で見学されるのか。見学しても日本語の説明書きは見当たらず、残念!
1時間15分、館の内外を見学。館外にはベトナム内紛時の処刑現場の跡もある。ダナンの空港に向かう途中、ガイドは「過去の戦争は問わない」、「アメリカを憎まない」、「若者たちの留学先はアメリカが一番多い」と話す。そして、日本が原爆を落としたアメリカを憎まないようにベトナムもそうだという。
17時35分 ベトナム航空でダナンへ移動。ホーチミン市内では真夏の暑さを体験。観光中も暑かった!19時 ダナンの空港着。ダナンは港町。日本のODAにより造られた橋を渡った後、レストランで夕食。豪華な食事だった。
17時35分 ベトナム航空でダナンへ移動。ホーチミン市内では真夏の暑さを体験。観光中も暑かった!19時 ダナンの空港着。ダナンは港町。日本のODAにより造られた橋を渡った後、レストランで夕食。豪華な食事だった。
ダナンの海鮮料理
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部屋は木目調の調度品で統一され、落ち着きがある。バスタブ、シャワー、トイレに加えて洗面台は2つある。ゆったりした部屋でぐっすり眠る。
ホテルの部屋にはウエルカムフルーツとスイーツがお出迎え |
6時から朝食。毎朝必ずフォーをいただく。他にいただく食事も美味しい。朝食後、浜辺を散策。目の前に見える海は南シナ海。浜辺に立つと吹く風は強く、波も荒い。
ホテル前のプライベート・ビーチ |
ホテルにある5つプーとガーデン |
ダナンから1時間後の9時半、約180年前の町並みが残るホイアンにバスは到着。かつてはアジアとヨーロッパの交易の中心地として栄え、16~17世紀には日本人街もあった。風情ある木造建築が立ち並ぶ。そのあたりをシクロ(人力三輪車)に一人1台15分間ほど乗って観光。一人6米ドルでチップ1ドルを払う。
日本橋(来遠橋) |
シクロ(人力三輪車)乗車体験 |
海のシルクロード博物館(貿易陶磁博物館) |
日本とホイアンの関係は文禄時代にさかのぼる。茶屋新六が御朱印船の船長となり、長崎からホイアンに渡航したとされ、その絵巻が残っている。京都で貿易を営んでいた茶屋家が寄進した絵巻らしい。今でも日本とホイアンの文化交流を深めるホイアン夜祭が毎月、満月の日に催されている。そして今でも日本人がホイアンの町並み保存に協力しているそうだ。
ホイアンの名物料理のお昼をいただいた後、バスは世界遺産のミーソン遺跡観光へ。ホイアンからミーソンに向かうバスの車窓から新婚夫婦を2組見る。他の場所でもその光景を目にする。乾季のこの時期、結婚する人は多いらしい。
1時間後にミーソン遺跡に到着。ここでバスを降りて歩いて橋を渡る。だが、ここはバスの乗り入れ禁止。帰りはバスに乗車して渡った。これはなぜ?橋が古いためか重量オーバーか、いずれにしてもわからない。バスを降りて5分ほど歩くと遺跡群が見えてくる。遺跡群は四方を山に囲まれた聖山であり、盆地の中央にある。現存する遺跡は8世紀から13世紀末までに建てられたもので、70棟を超える遺構が草木に埋もれて残っている。大きな木を見上げるとアリの巣があった。
この残った遺跡は900年もの間、チャンパ王国の聖地であり続けた。私たち一行もこの遺跡群の中に佇んでミーソンの雰囲気を堪能。1999年、ミーソン遺跡群は世界遺産に登録される。
ここでバスを降りて歩いて橋を渡る |
チャンパ王国時代の宗教寺院遺跡群 |
木の枝の上部の黒いものはアリの巣 |
ミーソン観光後、バスはベトナムの古都フエに移動。この間のバスのクラクションの音のうるさいこと。運転手は頻繁にクラクションを鳴らす。道の中央に左右の境界線が引いてある。しかし、バイクはその線に見向きもせずに走っていく。バスも左右のバイクに警笛を鳴らして真ん中を走る。危ない、危ない!16時 バスがフエに向かって出発すると車窓からリゾート地が見えてくる。浜辺は延々と続く。以前は別荘地も作られていた。だが、今はバブルもはじけ、売れない状態らしい。この海辺からベトナム戦争のあおりでボートピープルとなって外国へ出て行った人も多数いたと聞く。
『現代ベトナムを知るための60章』(今井昭夫ほか 明石書店、2012年第2刷)によると「ボートピープルとは1975年4月30日南ベトナム崩壊とともに中越関係の悪化や経済の社会主義化の影響を受けた中国系ベトナム人、就学就職差別や経済苦に苦しむベトナム人たちがボートピープルやランドピープルとして海外に脱出」とある。浜辺には丸いボートが見える。このボートでボートピープルとなってこの浜辺から出港した大半の人々は途中の海で死亡している。とはいっても、今、アメリカには300万人のベトナム人がいるとガイドは話す。
ベトナム戦争が終わって「北」による「南」の吸収としてベトナムはひとつのベトナムとして誕生した。統一後のベトナムは急激な社会主義的改造が行われ、大量のベトナム難民の流出が発生。1978年12月に勃発した「カンボジア紛争により、統一ベトナムは国際的孤立を招いた。こうした「戦争の後遺症」は、冷戦後の今日においても、「戦争の悲しみ」としてベトナム社会に深く刻み込まれている。(『現代ベトナムを知るための60章』)。このことがガイドの話したベトナム戦争でアメリカに勝利しても、ベトナムの発展が遅れた原因となっているのだろうか。
30分ほどバスが進むと目の前には大理石の山、仏教寺院のある五行山が見える。途中、大理石のお店でトイレ休憩。お土産店には螺鈿の入った手鏡もある。
延々とリゾート地は続く |
食事の最後に出たフィンガーボールにはお茶の葉とお湯が入っている。お茶のもつ消毒作用を利用するのかもしれない。
フエの宮廷料理 |
宮廷料理 |
宮廷料理 |
宮廷料理 |
宮廷料理
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宮廷料理 |
宮廷料理 |
宮廷料理 |
宮廷料理 |
第四日目 2015年1月12日(月)
6時からの朝食を終えるとホテル近くのフォン川に架かる橋まで散策。この橋は如何にもベトナム、という橋とか。吹く風は強く曇り空。行きかうバイクは通勤ラッシュ。この光景を見るだけで朝からベトナムの活気を感じる。
フォン川にかかる橋 |
カイディン帝廟 |
グエン(阮朝)王宮 |
バスで移動して4代のトゥドゥク帝廟観光。どの廟の周りにもプルメリアの木が多くみられる。しかし、今は花の咲く時期でない。花の咲くころはさぞかしきれいだろう。さらに移動してティエンム寺院を見学。廟や寺院は2度にわたる戦争で文化財は破壊されたとか。11時40分 バスは出発してレストランへ。食事後、国内線にてフエからベトナムの首都ハノイへ移動する。フエの空港で搭乗前にお土産店を見ていると団長に出会う。団長は何を購入されるのかと思いきや、なんと夜の反省会のおつまみだった。
15時半 ベトナム航空VN1542便はフエを離陸してハノイ空港に定刻の16時40分着。到着したハノイの新空港は日本のODAにより昨年の大みそかに完成したばかり。これまでの空港は国内線として利用される。日本のODAといえば高速道路も橋もそうらしい。日本は他にもベトナムへの観光客の数が中国、韓国に続いて3番目に多い。ベトナムのガイドは例を挙げて日本とベトナムの友好関係をしきりに話す。17時 バスで移動してハノイ(河内)市内のホーチミン廟など徒歩で観光。
ホーチミン廟前の広場&ベトナム国旗 |
高層デパート、共産党本部のある国会議事堂、市役所などが見える。中でも黄色の建物は王様の色とか。車道には街路樹が植えてあり、その間隙を縫ってバスは通り過ぎる。大木から伸びた枝がバスに当たると車体はゴボゴボと音を立てる。モミの木の枝だった。また車窓からはお店の外で食事をしている人の姿を多く見かける。ガイドによると台所が狭いため、外食が多いらしい。
中華料理の夕食後、水上人形劇場に行く。途中の道はモザイクへの道。壁には延々とモザイク画が描かれている。19時45分 水上人形劇場到着。劇場は観光客でごった返す。この劇はフォン河北部で行われた収穫祭や儀式がその始まりとか。上演時間は1時間。写真撮影をする人はあらかじめ、金銭を支払う、しかし、席に着くと誰が支払ったかはチェックされず。水面をステージにして向かって左横の上部に楽団員が歌ったり演奏したりする。農家の日常やベトナムの伝承芸能を操り人形で演じる。
見ていて演じる人はどこにいるのか、なぜ水の中なのかが気になる。フィナーレになると水の中のステージに人が出てやっと納得。それにしても、人形劇が始まる前の音楽はベトナムの感じが出ていて素晴らしかった。
水上人形劇の楽団
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第五日目 2015年1月13日(火)
モーニングコール5時半。6時朝食後、バスは7時45分と早い出発。本日のメインイベントのハロン湾クルーズ。ガイドはしきりに3・3・3と話す。この意味はハロン湾へ行くまでバスが3時間、クルーズが食事を含めて3時間、そしてハノイ市内帰着までにバスに3時間乗車ということだった。ホテルは日系の日航ホテル。部屋の調度品も日本にいるようで違和感がない。朝食後、ホテル内の売店はどの人も買い物で忙しい。女性好みのバッグなど買っていく人もいた。
15分ほどバスで移動するとタンロン遺跡に到着。もらったパンフによると千年の歴史をもつ首都ハノイの中心に位置し、11世紀から18世紀までの大越国家(ベトナム)諸王朝の都タンロン(昇竜)の最重要部分であるとか。遺跡群は2010年にユネスコの世界遺産に登録。博物館には遺跡で発掘したものを展示している。
タンロン遺跡 |
話はハノイの観光に戻って、11時、バスはハロン湾クルーズ船乗り場に向かう。1時間半後、船着き場に到着。船着き場も観光客でごった返す。クルーズ船といっても宮島航路の船よりも小さいくらい。決してきれいとはいえない船内。しかし、食事のセッティングや海鮮料理はフランス風でとても美味。
クルーズ船の横には果物などを行商する小舟がピタッとくっついてくる。そして観光客に向かって果物を売り始める。その時、台湾で初めて食べた釈迦頭を誰かが見つける。素早く投げ込まれ、皆でいただく。レイシもいただいた。美味しく食事をいただいた後は、真っ青に晴れ渡ったハロン湾を眺めに船上に出て観光。ハノイに来る前日まで大雨だったとか。それが、クルーズ船上は快晴。だれかれとなくここに晴れ男、晴れ女がいる話になる。
台湾旅行の際も前日まで予想された台風を退かせた幹事のHさん。きっと今回もその威力を発揮されたのでは…。Hさん、船上に出てお天気の良さを喜ばれる。もちろん、皆も一緒になって喜んで…。本当にお天気が良くて気持ちよかった!
クルーズ船に接近して果物を売る |
ハロン湾クルーズ |
船上に出ると、水上生活者の家も見える。
ハロン湾の水上生活者 |
クルーズ船は行く |
ハロン湾 |
ハロン湾のシンボル的な闘鶏岩 |
ハロン湾のシンボル的な闘鶏岩を見てクルーズのハイライトを迎える。この岩、船の動く方向でくっついたり離れたりする。ちょうどくっついた頃合を見計らってシャッターチャンス。いい具合に撮れた。クルーズ船は帆掛け船を模した船が運航しており、ハロン湾に浮かぶ奇岩を眺めながら進む。ちなみにハロン湾のハロンとは「龍が降りる地」という意味とか。奇岩は2000もあるらしい。海にそそり立つ風光明媚な景観は幻想的。「海の桂林」と形容されている。
ハロン湾の奇岩の洞窟内部を探検する |
17時半 民芸品店に到着。先ほどは国営とか。今回は民営らしい。ここでお菓子などのお土産購入。ドンはとっくに使い切っって、すべてカードで購入。
洞窟探検後、船に乗って帰る |
第六日目 2015年1月13日(水)
ベトナムの楽しい旅も最終日を迎える。ハノイの国際空港で離陸まで空港内のお店を見て歩く。完成したばかりの新空港。免税店には何もないかもしれない、と話していたガイド。お店はあった。しかし、ゲート近くのお店は開店しているものの、レジの故障で休業状態。他の店に移動してベトナム最後のお土産を購入。
梨の話で盛り上がったFさんとMさん。名前が面白いMMさんご夫妻。他にもご夫妻で参加されていた幸せな方たち。ただ笑ってばかりのKさん。野球に命のTさん。ベトナム通のNさん。おしゃれ心満載の女性陣の皆さん。カメラ自慢のUさんをはじめ男性陣の皆さん。いつも楽しい話題を提供されるT団長。今回の旅でも晴れ男間違いなしの幹事役のHさん。いつも笑顔満載の皆の良き秘書役のMさん。皆さん、ありがとうございました!
旅のお話も最後になりました。ベトナムに出かけて、自嘲気味に話していたガイドの言葉。2つの戦争に勝っても自国との戦いに負けている。この旅行記を書きながらいろいろと本を読みました。その中に、「ベトナム戦争は北ベトナム軍が南ベトナムを武力制圧する形で1975年4月30日に終結した。しかしあまりにも圧倒的な勝利をおさめたため、ハノイ指導部が戦後の経済復興政策の誤りを認識するまでには時間がかかった。また、戦争期は様々な愛国勢力が祖国解放に貢献したにもかかわらず、戦後の政府は共産党以外の政治勢力の存在を許さなかった。1970年代後半から80年代にかけて発生した新たな紛争と混乱はそれらの点に起因していたといえよう。」(『現代ベトナムを知るための60章』)とあります。
これだけが原因とはいえないでしょう。しかし、今回の旅で目の当たりにしたベトナムは活気があふれる国でした。ハノイの空港ロビーで広島空港まで一緒に行くと声をかけてきたベトナムの若者たち。彼らは習いたての日本語でこれから研修を受ける東広島や神戸のことに目を輝かせて嬉しそうに話してくれました。彼らのような若者にこれからのベトナムの発展を期待しましょう。
一緒に旅をした皆様、本当に楽しい旅をありがとうございました!
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