先ほどスペイン語とフルートのレッスンを終えて帰宅する。忙しい火曜日も後3回行くと大学のスペイン語も終わる。そう思うとちょっと淋しい。
お昼前、家を出て大学へ向かう。JRに乗り、大学近くの最寄り駅からバスに乗ると路面に雪が残っている。学生に聞くと昨日はかなり雪が積もったらしい。講義を終えてすぐに広島市内へ移動する。
広島駅でJRを降りると誰かが後から背中をつつく。振り向くと同級生だった。
フルートのレッスン時間が早まった。そのため時間との競争になる。友だちは同じ乗り物に乗ろうという。だが時間にせかされて駅ですぐに別れる。どうにかレッスン5分前に無事到着。
フルートはソノリテを済ませると基本的な音出しの練習になる。今日のレッスンでは右手でフルートのキーを押さえて薬指だけを離して素早く動かす。これが簡単なようでかなり難しい。練習するしかない!?
指の運動は老化防止になる。そう思えばフルートの練習は丁度いい。
老化防止といえば作家で医師の渡辺淳一の『老い方レッスン』(渡辺淳一 新潮社、2012年)を読んだ。
図書館の検索でエッセイの新刊を探す。そしてその中から気に入った本を次々に予約する。高齢化社会の到来を反映してか、それとも自分自身が老人(?)だからか、「老」のつくものばかり読む。もっと他にも目を向けないといけない。
そう思いながらもこの本を読んでしまった。またいつもの如く、気になる箇所をメモしよう。
「暇なのに病気になるとは」から、「定年退職者のほとんどが共通して実感していることは、生甲斐のなさである。・・・もはや自分は社会の第一線から身を退き、企業や人々から必要とされることもなくなった。この必要とされなくなったという喪失感、生甲斐のなさが退職した人々から覇気を失わせ、さまざまな病気を生み出すのではないか。・・・気の持ちようが、我々の躰に影響することはきわめて多く、かつ大きい。実際、血管のすべてには神経が張り巡らされていて、これによって血管は太くなったり細くなったりして、血流が良くなったり、悪くなったりする。いつも気持が暗く、沈みこんでいると、頭から内臓まで、全身さまざまなところの血流が悪くなり、その末端が変性し、そこの新たな病変が現れてくる。いつも明るく、気持が前向きで生き生きしている人は、病気になることは極めて少ない。これに反して常に暗く、沈みこんでいる人は、病気がちで、まさに病は気から、そのものといえる。」(56-57p)
「絶えず『忙しい、忙しい』といっている人がいる。・・・そんな人を見ているとそんなに忙しく大丈夫なのか、もしかして過労で倒れるのではないかと不安になるが、そういう人が倒れたり、病気になったという話はまず聞いたことがない。・・・結局、こういう人は、自分が今、これだけ仕事があり、社会のために働いていることに納得し、満足しているのである。そしてこの忙しさが精神の緊張とともに生甲斐を生み出し、全身の血の流れも代謝も活発になり躰が前向きに、プラスの方向に動き出しているのである。」(58p)、
「高齢者よ、明るく前向きに」から、「すべての薬や注射は、基本的に躰に好ましくない、毒なのである。病院に長く通って薬をもらうことは、病院から長いあいだ、毒をもらい続けている、ということでもある。だから、ときに病院に行くのをやめることは悪いことではない。いや、むしろ推奨すべきことでもある。」(196p)
筆者の渡辺は元々は整形外科医であった。だが、その辺りのことを本音を交えて語っている。腰の手術も整形外科医でありながら受けなかったという。
よく「病院には近づくな」と言われる。悪い「気」に惑わされるからだろう。筆者の言うように病院に通うよりもむしろ前向きな生き方が病いを遠ざける近道になるのかもしれない。
けっこう前向きに生きているつもり。お蔭で元気!?
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