2013年1月24日木曜日

『70歳生涯現役私の習慣』

今日の最高気温11度、最低気温2度でお昼は暖かくなりそう。

昨日昼前、福岡へお礼の電話をかける。だが、何度呼び出しても電話は通じない。しばらくして再度試みると通じた。まずは昨日いただいたことのお礼を述べる。話をしていると文字が書きにくくなったと話される。これはかなりの危険信号。父もあるときから年賀状の文字がまっすぐに書けなくなった。あれほど字が上手だったのに・・・とそれを見て驚いたことがある。それからしばらくして衰えも目立つようになる。

福岡からの年賀状が遅くなった理由もわかってくる。昨年までは便箋3,4枚にびっしり文を書いてくださっていた。それなのに・・・。

気を取り直してパソコンと遊ぶ。半年以上前からパソコンを起動させるといつも危険を知らせる表示が出る。そしてブログ投稿もパソコンの機嫌が悪く時間がかかっていた。

昨日コントロールパネルから「プログラムの追加と削除」を開けて、いらないものを削除する。いろいろやっているうち誤ってグーグル・クロームも削除してしまった。するとアイコンとして画面に残していたヤフーやグーグルも利用できなくなる。慌ててインターネットエクスプローラを立ち上げ、グーグルを出すと画面が出た。すぐにブログタイトルを検索し、パスワードなどを入れるとブログも投稿できた。これで一安心。

突然のアクシデントは悪い結果ばかりをもたらさず、いいことも起きる。これまでマカフィーとグーグル・クロームとの不具合で検索エンジンもすぐに表示できなかった。それがすぐにできる。

パソコンの画面に表示されるインストールの有無。これからはなんでもインストールをするのはやめよう。

このパソコンも使い始めて六年になる。そろそろ買い替え時と思った。だが、パソコンからいろんなものを削除するとその作動も早い。

とはいってもこれまでお気に入りに追加していたものすべてはアウト。人のブログもツイッターも音楽等も。だがどうにかそれも思い出す。

以下は随分前に読んだ本の気に入ったところを抜粋したもの。著者と同じように短大時代、栄養士の専門コースで学んだ。学生時代、栄養士の上に位置する管理栄養士の制度はなかった。2年で資格を取るため、授業のスケジュールもハードだった。結果的に専門に進まず、会社員として働く。今となってはこれでよかったと思っている。

東畑朝子『70歳生涯現役私の習慣』(講談社、2007年)。

「私も面接に行って、『私にはできません』とすぐにおことわりしたら、香川先生に大変な勢いで叱られてしまった。…とうとう説得されて私は就職した。」(17-18p )

著者とは逆に短大卒業後、恩師に紹介された病院の栄養士を断わる。仕方なく自ら仕事を探す。そしてかなりひょんなことから会社に就職。「ひょんなこと」はここでは省略。でも廻り合わせを感じる就職だった。いい人に恵まれて・・・。

「学んだ当時は人からもそれほど高く評価されない栄養士の仕事を頑張りながらも紆余曲折の末50歳を前に思い切って仕事をすべてやめて一年後にアメリカ留学を決意する。」(32p)

その辺りの経緯を「留学の直接のきっかけは、車にはねられたことだ。頭皮が切れ、足を痛めた。足の青あざはずいぶん治療したが10年余りも残った。…このまま何の蓄積もなく年をとっていったら私はどうなるのだろう――不安と焦燥でイライラしていた。」(33p)と書いている。

一年余のアメリカ生活。その後著者は「何をしたのかと問われると具体的には答えられない。しかし、確実のその日々で私は変わったと言えるだろう。以来、『声が大きい』『明るい』と言われるようになったのだから。」と述べてアメリカでの実際の生活が大いにプラスになっていく。(34p)

アメリカ留学から帰国後あいついで両親を失う。そのことを「『生きる意欲』を失ったら人は死ぬということを、両親は私に身をもって示してくれた。」と述べている。(39p)

ことわざにある先人の教えの“転ばぬ先の杖”について「本当の“転ばぬ先の杖”は、食事と運動だ。骨を強くする食事をとり、足腰を鍛える運動をすることこそが、何よりの“転ばぬ先の杖”となってくれる」という。(131p)

これにつては本当にそう思う。母の骨折を機会にかなり食事には気をつけている。そして運動もしている。

ひとりで暮らす不安について「路上をはいずるように、少しでも動く、考える、実行するというように日々を過ごしていく。そうすることによって、必ず道は開けてくる。多くの先輩は、そう語っている。将来を悲観しこわがっていては、自分の心も体も萎縮させ、老化をすすめることにもなりかねない。」。(146p)

全くその考えに同感。

心のケアについて精神科の医者から「体を動かすこと、運動嫌いな私に運動することをすすめられた。それとともに、『あまり窮屈に物を考えるな』『自分のことばかり考えていてはいけない』『いやなことがあったら散歩でもしなさい』などとおっしゃった。」と教えられる。(152p)

最近の著者について「人から『いつも元気』とか、『あなたと話していると元気づけられる』といわれることが多くなった。本当は、うつ的傾向が強く、くよくよと落ち込んでしまうことが多かったのに,不思議な気がする。もし本当に元気で前向きに生きて、人を元気づけたりできているのなら、今までの私の生き方そのものが、私自身をそのように変えたためかと思っている。」と書いている。(153p)

「社会とのつながり」については「お友達を持つとか、ちょっとした外出の楽しみを持つことである。もちろん家にいて、趣味や勉強などをすることもかまわない。そこから社会への知的なつながりが生まれるからだ。」「『イイ年をして出歩いたり、異性の友達をもつなんてみっともない』などと言ってはいけない。いくつになっても、お友達は必要だし、おじいさんやおばあさんにも楽しむ権利や資格はある。寝ているより起きているほうが、起き上がっただけよりも動いたほうが、筋肉が動き、それは顔の表情にも現れてくる。…人と会って、おしゃべりすることだけでも効果は上がる。」という。(158p)

人生の晩学について「楽しい人生は、けっして与えられるものではない。自分でつくり出していくものである。70代はまだ若い。くれぐれも忘れてはならないことは、人間はいくつになっても学ぶことや楽しいことはあるということ。…しょぼくれて引きこもっていては、楽しい日々は決してこないのだ。」と述べる。(171p)

以前読んだ澤地久枝と同じくらいこの著者の考えに惹かれる。まだ70歳には至らない。いつかはやってくる70代。元気で過ごしたい。

さあ今日も張り切って!

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