今朝起きて外を見ると路面が濡れている。山のほうでは雪なのだろうか。今日は最高気温8度、最低気温2度の予報。窓からの陽射しは温かそう。
昨日は姉たちが帰った後、妹からメールが入る。すぐに電話をかけると母の声を聞かせてあげるという。
妹の話では家のFAXが故障し、使っていない古いものを出すと母からの留守電が残っていたという。携帯電話で話す途中、固定電話の母の留守録の声を聞く。
妹は昨日3回それを聞いたらしい。
来月初め、母の3回忌をお寺で行う。その際、1年ぶりで姉妹が集う。母は自分がいなくなっても元気で仲良くしている3姉妹を見て喜ぶことだろう。
昨日は母の声を聞いた後、しばし、母の最期のころについて妹と電話で話す。
最期、といえば今朝の地元紙に「最期の迎え方」の記事がある。それには「安らかな死『母が手本』」「日々誠実に決意した娘」とあり、記事の内容が我が家とよく似ている。
母と娘の年齢もほとんど似ており、また40代で父をなくし、実家で母と二人暮らしを続けたことも似ている。ただ、最期の場所が自宅と病院の差があるが・・・。
記事掲載の人は学校に勤務していた定年直前に母親が脳梗塞で倒れる。我が家は母の骨折がある。だが介護7年は同じ。その人はいう。「7年に及んだ介護。そばで支え、見つめてきた母の生き方の意味が、最期の瞬間、やっとわかった気がする。自分らしい暮らしの延長線上に、死は自然と訪れる。」。だから、これから先の迷いもないらしい。
高齢になると先の暮らしに不安を抱く人が多い。今朝の新聞で医師の中村仁一氏はその不安解消を「他の人の老いる姿、死にいく姿を見ることです」と話す。「不自由さと折り合いをつけながら老い、死ぬ姿を見てもらうことが、人として最後に残された重大な役割です。」と説明する。
そして記事にある人も話している。「私も背伸びをせず、日々を誠実に、着実に生きようと思います。その先に過ごす場所も見えてくる。きっと自分にぴったりの最期がくる気がするんです。」。
この記事を読んで妙に納得する。この人と同じく独身なのに先の不安がない。その底辺には真面目に過ごしていれば人生決して悪いようにはならない、との思いがある。それはこの人のいう「日々誠実に、着実に生きる」ことかもしれない。さあ今日も元気を出して!!
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