2013年1月3日木曜日

『行動することが生きることである』

今日は最高気温4度、最低気温マイナス1度と寒い一日だった。

昨日は姪が子どもをつれて我が家にやって来る。来るなり一番下の4歳のチビは「お年玉!」「お年玉!」とかけ声を出して入ってくる。

姉に聞くと、お年玉は少しでいいという。特に一番下はお金の価値はわからない。小さい男児は「袋に入れて・・・」としきりにいう。だがポチ袋は無い。また、小銭も用意していない。

寒い中、チビたちは我が家を訪ねてくれた。その気持が嬉しく、まとめて姪に渡す。喜ぶのは子どもたちでなく姪の方!?

姪といえば東京に住む妹の娘もいる。その姪から元日、写真入りの年賀状が届く。母のいなくなるのと入れ替わるように姪は次男を出産した。その際、お祝いをしそびれる。年賀状には長男、次男のかわいい写真も載っている。すぐ妹に電話して帰省中の姪にお祝い代わりにお年玉を立て替えて渡すよう依頼する。すると姪が電話に出る。久しぶり、その姪とも話す。自分の子どもがいないため、姪も甥もその子どもたちも皆、かわいい。

今日は今年初めての遠出をする。先ほど朝早く出かけた島根から帰宅。雪景色の中、バスは走る。思ったより混んでなくて予定より1時間早く帰宅する。この模様は明日のブログにアップしよう。

昨年秋、岩国の宇野千代生家を訪ねた際、本を購入した。その本をやっと読んだ。宇野千代は『行動することが生きることである』(集英社、2006年)を書いている。思いつくところをまたいつものようにメモしよう。

「どんなに大変なことでも、それが愉しいと感じられるときは、人は疲れないものです。成功感を持てたときも同様です。」(195p)

「何を書くかはあなたが決定します。しかし、間違っても巧いことを書いてやろう、とか、人の度肝を抜くようなことを書いてやろう、とか、これまでに誰も書かなかった、新しいことを書いてやろう、とか、決して思ってはなりません。日本語で許された最小限度の単純な言葉をもって、いま、机の前に座っている瞬間に、あなたの目に見えたこと、あなたの耳に聞こえたこと、あなたの心に浮かんだことを書くのです。・・・一字一句正確に、出来るだけ単純に書くのです。あやふやな書き方をして、それで効果を出そうなぞと、そんなことは、決して考えてはなりません。素直に、単純に、そのままを書くと言うことが、第一段階の練習であり、やがて大きなものの書ける基本です。」(203-204p)

「心に張りがあると、人間というものは、死ぬまで、ボケるものではありません。」(210p)

「毎日の生活が真剣で『ふやけて』いなかったら、老後の心配なぞ、ない筈である。老後の心配と言うものは、充実した生活にはないものである。充実した生活が消滅した瞬間が、死と言うものであるとしたら、私たちの生活には、老後と言うものの存在する隙間はない、と私が言ったとしたら、吃驚仰天するだろうか。」(214p)

「人間と言うものは、次々に死んで行く。私もやがて死ん行くに違いないが、おかしいいことに、私は自分がやがては死んで行く、と思ったことが一度もない。いつまでも生きているもののように思って、今日から明日、明日からあさってと暮している。」(216p)

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