今日は天気もよさそう!それなのにまだ外にも出ていない。このブログ投稿後、自転車に乗って外に出よう!
昨日、『流転の子』をブログに投稿。そのとき、初めて中国語を習った頃のことを書く。まさにそのとき、一緒に習った人から鮮やかな新緑色の手編みのルームカバーが送られて来た。その偶然性に驚いてしまう。
友人から戴いた手編みのルームカバー、実物はもっと鮮やかな色 |
贈ってくれた人のことは「前のブログ」に書いたかもしれない。今でも毎日のように「前のブログ」を読んでいる人がいる。何を書いているのか気になる。だが、今はまだ母の弱っていく状況を読める状況に至っていない。そのため同じことを書くかもしれない。
贈ってくれた人とは1982年の半ば頃、市の広報誌の中国語講座の勉強会で知りあった。当時はまだ中国との国交が回復して間もない頃。20名足らずの応募者だったように思う。その中で、私たち2人だけが当時としては若かった。ほとんどの人は中国に住んでいて帰国した人たちであった。そのため、中国語を習わなくてもしゃべれる人たちだった。
講師は地元の国立大学の先生と中国の国費留学生の胡さん。そのとき初めて中国の人を見た。胡さんは女性。賢さが顔の表情に表れていた。2人目が昨日のブログに書いた龔さん。この人は男性。中国の高校を終えて大学から日本にやってきた。しかし、当時でも日本語はかなりのもの。特に覚えていることは龔さんが最初の頃、人民服を着ていたこと。そして初めて中国に行ったとき、その人の妹さんと南京で会う。
習っている人の中で若い私たちは自然と仲良くなった。贈ってくれた友人はその頃、中国にのめり込み、しばらくすると会社を休職して短期留学をする。
私は当時、まだ海外に出かけておらず、一人で行動する人間でなかった。その潔さにびっくりすると同時に羨ましかった!いつか私も、と思いつつ年を重ねる。
しばらくして彼女は会社の同僚と結婚。1人目の娘さんが誕生して間もない頃、新築の家に龔さんと一緒におじゃましたこともあった。
それから10数年後、なんとその長女と同じ学部で学ぶ。それを聞いてまた驚く。入学式に一緒に参列。彼女は娘さんの父兄として、私は学生として出席。入学式当日は暖かかった。彼女と2人外に出て昼食を食べたことを思い出す。
その後、彼女は学部の同窓会の会長に就任。こちらは学生側。その卒業式の後の謝恩会で合おうという話しになった。しかし、母を介護していたため、卒業式のみ出席。謝恩会は欠席した。
あれから5年。1、2年に一度くらいの割で近況報告を聞く。その間、彼女は世界一周船旅に出たり、そのときの本を送ってもらったりと連絡は入る。しかし、母を長く介護し、自由がないモノにとってなかなか会う暇がなかった。
贈ってくれたもののなかに手紙と新聞記事のコピーがあった。それを読むと新聞記事は多分朝日新聞の昨年の8月に投稿したものだろう。「夏の挑戦」欄に、暑い日に編む「汗かき毛糸の靴下せっせと」の見出しがある。
〇〇さん、ルームソックス、ありがとう!暖かくなったので今年の冬は穿けないけれど、寒くなったら穿かせてもらいます。またいつか機会を見て会いましょう!あと数日するとまた大学に通います。大学の学食でなく、レストランで会いましょう!ぜひ!
0 件のコメント:
コメントを投稿