2012年4月15日日曜日

『つぶやきのクリーム』

『つぶやきのクリーム』(森博嗣 講談社、2011年)を読んだ。著者は大学の教師であり、作家。著者を知ったのは甥がわが子の名前を作品の主人公から拝借したことによる。

甥の影響により、妹一家は著者の作品の愛読者だとか。とはいっても妹たちの読む著者の本はこういった類ではない。図書館の新刊検索で著者の作品を見つけ、初めて読んだ。

今朝、朝食を終えると宅急便が届く。旅行社から最終案内が送られてきた。旅もいよいよという感じ。

午前中、自転車で買い物に出かける。帰宅してお昼を済ませ、本を読みながらFMを聞く。今日の話題は紅茶。紅茶はほとんど飲まない。話を聞いているうちに何故か急にホットケーキが食べたくなる。一気にこの本を読み終え、先ほど以前購入していた市販のホットケーキミックスを取り出し、牛乳と卵を加えてホットケーキを焼く。

焼き立てのケーキと、紅茶でなくコーヒーを沸かして一服。自分で作った割には美味と満足。たまにはこうして作るのも楽しい。

今日はプールに行こうと思っていた。ところがどうも鼻水がでる。花粉症かどうかわからない。4月になって忙しくなり、プールに行く回数が減っている。だが、今日は泳ぐことを諦める。

本を読み、それをブログに引用することについて著者は書いている。「偉い人の話を聞いて、それをそのままブログに引用しても、これっぽちも偉さには近づけない。」(102p)と。

本のブログへの引用は「読書ノート」の代わりとして利用している。ラベルというかカテゴリーを「本」とすれば、すぐに読書一覧が出てくる。この機能に魅せられ、私的読書メモとして投稿する。

著者はただ引用するだけでなく、本を読んで感動して「その言葉から自分の人生に展開し、どうすれば良いか、どんな風に利用できるかと思考し、そしてその結果に基づいて行動することが必要だ。そうして初めて、その言葉が生きてくる。感動したものが、自分のものになり、今度は自分に感動できるようになる。違うだろうか?」(193p)という。

このことから「ちょっとした言葉に救われた、という人は多い。・・・それは、言葉が救ったのではなく、本人が自分で救ったのだ。そういう気持や能力があったから、その言葉に目を留めただけのことである。あ、考えてみたらこの本も・・・。と今頃になって・・・。ま、いいや。」(193p)。

20年前から我がモットーとする舛井一仁氏の「人に元気を与えるポイント10か条」をブログ開設2日目に投稿した。ということは著者の言葉を借りれば、私に「そういう気持や能力があったから、その言葉に目を留めただけのこと」になるのだろうか。そう思えば嬉しい!

他にも気になるところをいつものように引用しよう。

「風向きが変わった、と喜ぶくらい、風を頼りにしていたのか。」では、「風というのは、自分が走れば起こるものだ。立ち止まっているときの風よりも、走ったときの風の方が強い方がほとんどであり、また、団扇で扇いでも、その程度の風は作り出すことができる。ようするに、風向きなど自分の思いどうりになる、と思ってほぼまちがいない。自分の風向きくらい自分でコントロールしよう」(34-35p)。

「老人がブログを始めたら、個人情報について注意した方が良い。」では、「七十代以上でも、若々しく素晴らしいサイトを作っている人をたくさん知っている。・・・ただ、一つだけ問題なのは、やはり『個人情報』に関する甘さが、上の世代にはある。・・・自分のことだけならば口を挟む必要はないが、家族や知り合いや近所のことを紹介している場合が散見される。・・・そこはやはり注意した方が良い。」(142-143p)。

「子供は自由だというが、大人ほどではない。」では、「本当に自由になった頃、人間は死ぬのではないか。なんとも幸せなことである。」(170-171p)。

今、自由になったと思っている。もっと自由になる頃は命がない?命がなくなることは著者のいうように幸せなこととは思えないが・・・。

「本当のプライドを持っている人は、プライドを懸けたりしない。」では、「人間にとってもっとも嬉しいのは、自分で自分を褒められる状況に至ることだろう。他者に褒められても嬉しいが、それは、他者に褒められる自分を目指していたからであって、やはり最終的には自分が自分を褒める。目標はそこにある。」(180-181p)。

アスリートの有森裕子はまさにその典型?彼女はバルセロナオリンピックで銀メダルを取ったとき「自分で自分を褒めたいと思います」と言っている。

「人間の輝きは、一所懸命になって探しているから出る光である。」では、「『輝いている』という形容は、女性や若者に相応しい。もう少し年齢が上がると、『いい顔している』という表現が聞かれるようになる。久しぶりに会った人が、元気そうで活き活きしていると,そういうふうに見える。一所懸命に打ち込めるものを持っていると、自然に楽しそうな顔になる。隠せるものではない。」(202-203p)。

「人間なんだから、自分らしくないこともしなければ。」では、「ときどき、らしくないことをしても良い。その自由が人間にはある。『自分らしくある』必要なんて、どこにもない。そんなこと、誰が決めたのか。『君らしいくないね』と言われたら、にこりと笑って、『そうなんだ。僕は、実は僕らしくないんだよ』と答えたいものである。」(208-209p)。

もしかして「女は女らしく」ないのはビールを飲んで「おっさん」化するときのこと!?まあなんでもいい!明日もビールが待っている!

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