2012年4月3日火曜日

『図書』4月号を読んで

「女心と秋の空」どころか、なんという気候の変化だろう。昨日のあの春らしい陽気はどこへやら。今朝は突風の中、傘を手に持って歯科へ行く。

なんといっても強風が一番嫌い。子供でも宙に浮いたりしない。それなのに宙に舞い上がりそうな気持に襲われる。

午後からフルートのレッスンが待っている。しかし、お昼のニュースで竜巻注意報を知るや、すぐに先生にレッスンを休むTELをする。

その後も玄関を開けて外の様子を伺う。家の前に地区の集会所がある。その周辺の掃除の世話をする人が、2階に上がる階段に座っている。いつもなら「大変ですね」と挨拶の言葉をかける。だが今日は、玄関を開けるたび突風が吹き込む。挨拶どころではない。座っている人も今日は掃除を止めて家にいればいいのに、と思ったりする。

レッスンを取りやめ、急遽暇になる。強風のなか、外へも出られない。仕方なく、手当たり次第本を読む。読むというより見るに近い。その中で、昨日送られて来た岩波書店の『図書』4月号を見る。この本は出版社の宣伝誌だけあって、記事に掲載している本を読みたくさせる。

この中で2箇所、気に入ったところがあった。

1つは大江健三郎の「親密な手紙」欄の「心ならずも」であり、もう1つは今枝由郎の「龍という人格」。

2月16日のブログ「考える!」に中国の女性のことについて次のようなことを引用して投稿した。

戦後日本を代表する知識人の一人である加藤周一は『ひとりでいいんです 加藤周一の遺した言葉』(講談社、2011年)の中で、国境を越えた人々と仲良くする方法として「具体的な友人が海外にひとりいればいい。・・・よく知った中国人がいれば、中国に対して無差別に爆撃することに賛成できないですね。・・・そういう友人がいれば、その中国人を殺してもよいが、私を殺してはいけない,という論理は成り立たなくなる。成り立たないから友情なんでしょう。だからまず、ひとりの友人をもつこと。それが出発点です。」という。(73-74p)

その部分を、「心ならずも」のなかで大江は「最後に本書のタイトルは、加藤さんが広く深い経験に立って、外国に友人が本当にいれば、抽象的でない強いつながりが開けるとの確信をいっている。」と述べている。

その日のブログ投稿で、この加藤の文はブログの内容と合わないかも、とずっと思っていた。ところが、大江の文を読んでその心配はなくなった。

もう1つの今枝の「龍という人格―『雲龍の国』ブータン第五代国王語録」は先に来日したブータン国王のスピーチを述べている。今枝といえばブータンに関しては知名度抜群の人。その人は元ブータン国立図書館顧問。その国立図書館の仕事についていた人を知っていることもあって興味津々で読む。

国王は福島県相馬市の小学生の前で話された。それは「龍というのは、人格のことです。ですから龍は、わたしたちの一人ひとり、誰の中にでも住んでいます。龍は、わたしたちが歳を重ねるにつれて、わたしたち一人ひとりの経験を糧にして、大きく強くなります。大切なことは、その龍をたえずコントロールすることです。わたしは、ブータンの子どもたちに、自分の龍を育てなさいと、言っていますが、皆さんも自分の龍を養い育ててください」である。

今枝は「この話は、乾いた砂に水が吸い込まれていくように、深く浸透し、感銘を与えた」と述べる。ブータン国王の来日のその言葉とともに、后を選んだ際の后となる女性の資質をブータン国会議員の前で述べたことも書いている。

それは「人は、いかなる境遇にあろうとも、しかるべき努力をすれば、歳と経験を重ねるにしたがって、ダイナミックな人格に成長することができる。王妃として最も重要なのは、いかなるときでも、一人の人間として善良であること。そして王妃として、国および国民に、ゆるぎない決意をもって仕えることである。わたしはその妃としてそれにふさわしい女性を選んだが、その女性の名はジュツン・ペマである」と表明したと述べている。

この国王の2つのスーピーチは今枝によると大乗仏教の『涅槃経』の教えだとか。

仏教的な教えはよくわからない。しかし、国王の話された言葉をこの『図書』で読めば少しは理解できる。

他にも『図書』で紹介されている本を読めばいろいろなこともわかるのだろう。しかし、その内容は難しい。

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