『街道をゆく』の「大徳寺散歩」を読み返したが、その「松柏の志」の終わりに沢庵についての記載がある。
「以上、わずかに沢庵にふれたが、大徳寺は、大燈国師の開創このかた六百七十余年のあいだに、一休についで沢庵を出した。このふたりばかりは、松柏と同様、時をへても色あせることがない。」(127p)
一度だけ大徳寺に出かけたが松柏のうちの柏(イブキ)を見たときはあまりの大木に驚いてしまった。また松の木は大徳寺境内のいたるところに植えられている。沢庵和尚の生まれた豊岡市出石にある宗鏡寺へはいつか行きたい、と、そのリストにメモした。一休さんに関するお寺は昨日、某会の方から送られたメールに京田辺市の酬恩庵一休寺とある。「大徳寺散歩」にも一休さんについてだいぶ頁が割いてある。一休寺は京田辺市の薪里ノ内にあり、読む際にこの地である「薪」(たきぎ)を、つい「まき」と読み間違える。また間違えた、と思いながら読んだので肝心のお寺の名をメモしなかった。ところが昨日、送られてきたメールに一休寺が書いてある。この一休寺も行きたいリストにさっそくメモした。
「街道をゆく」を読んで司馬遼太郎が歩いた道をまねして一歩でも訪ねたいと思うようになった。1年前の長府に始まって嵯峨野、土佐と少しだけ出かけた。司馬遼太郎の全作品を生きているうちに読み終えようと張り切っている。それなのにさらに司馬遼太郎が出かけた先のほんのちょっぴりでも行きたくなる。いつまでも元気でいないとこの思いは達成できない。というか、読みたい、行きたい、という気持ちがあれば元気でいられるかもしれない。そう思って、さあ元気を出して行動開始!
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
大徳寺のイブキ(去年のブログから) |
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