今朝は花曇り(?)で連日の好天気が一転する。これから雨が降れば桜も一気に咲くだろう。以下は『軍師二人』(司馬遼太郎 講談社、2003年第56刷)に収められている『雑賀の舟鉄砲』『侍大将の胸毛』『割って、城を』『女は遊べ物語』『嬖女(めかけ)守り』『雨おんな』『一夜官女』から気になる箇所をメモする。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★「は」と平伏してから、これは舟鉄砲のことだ、と気づいた。はっと顔をあげると、長治の眼と合った。まるで少年のように黒い瞳をもった眼が、すがるように市兵衛を見ていた。市兵衛の眼に、にわかに涙があふれた。気付いたときは、地に付して泣いていた。涙の生温かさが快かった。人間は、ときに、何かのために死ぬと考えたとき、潮のような快感がつきあげてくるものらしい。こんにちの男なら、市兵衛は内心、おれは美しいものに殉じたい、と叫んだに相違なかった。……舟鉄砲はすでに中止同然になっているのだ。いまさら自分から申し出ることはなかった。平蔵にすれば、市兵衛のような小さな実利化が、故郷へ帰って分家することも嫁をもらうこともわすれ、なにを血迷ってこのような他郷の城で死ぬことを宣言する気になったのか、その変心が解せなかった。『雑賀の舟鉄砲』(57-58p)
★念仏と似た点は、もう一つある。それは死を欣ぶことであった。鶴も市兵衛も、長治のために死にたいと、唱のように歌いかわしていた。死という火は、それを欣求する瞬間瞬間で、罪障を浄化してくれるような気がしていた。あるいは、真の武士道というものはこういうものかもしれない。とにかく、長治の前で泣き、舟鉄砲を誓った市兵衛の奇妙な感動は、兵糧蔵の前の暗い草の中の事実を知らない平蔵には、理解しにくいことであったろう。『雑賀の舟鉄砲』(61p)
★「おれという男の運命(さだめ)がどうなっているのか知らぬが、ふしぎとどの主人とも縁が薄かった。主人だけではなくおなごとも縁が薄かった。生涯で一度、愛(かな)しいと思うおなごがいた。しかしそれがひとの内儀ではどうにもならぬわ。おかしな一生もあるモノよ」……常山記談の記述では、睡庵渡辺官兵衛了は、三代将軍家光の寛永年間まで京で存命していたという。由紀とその後どうなったか、そういう下世話なことまでは、古文書というものは書かないものらしい。『侍大将の胸毛』(297-298p)
★「ほう」割って継げば、名も実も、茶碗は織部正の作品になる。鑑定(めきき)だけではつまらぬ、そこに織部正を注入させるのだ。それには茶碗を割って継ぐしかない、と織部正はいいたいのであろう。(茶とは、おそるべきものじゃ)戦場ではいかなる敵にも慄えの来なかった善十が、いま、体を小きざみにふるえてきているのを知った。『割って、城を』(318p)
★惣内のはなしでは、ここ一、二年来、織部正は、名物、大名物の茶碗をもとめては、しきりと砕き、塗師に接着させ、その継ぎ目にあらわれる漆と黄金の肉、色、模様を愛し、むしろそれに感溺しているという。……織部正は、そのながい半生で一度も蹉跌ということのなかった、稀有の幸運児である。人柄も円満で、ほとんど、きずというものがなかった。惣内によれば、織部正は、おそらくそういう自分の人生や性格というものに、この齢になってようやく反逆を覚え、むしろきずやいびつのなかにこそ、美しさがある、と思いはじめたのであろう。……織部正は、自分の人生を自分の手で割りくだいた。が、みごとに補綴(ほてつ)した。のち薩摩に流寓し、その墓といわれる石が西南役前まであったという。『割って、城を』(320-324p)
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