2023年3月10日金曜日

『「私」という男の生涯』

 この数日、司馬作品から離れてやっと手にした石原慎太郎の本を読む。石原慎太郎個人というよりも石原家、とりわけ裕次郎と歩んできた一生が記されている。この本を読むちょっと前にNHK総合で石原慎太郎と裕次郎兄弟のドキュメンタリーが放送された。父親を早く亡くした兄弟は兄の慎太郎が親代わりとなって石原家の経済を支える。しかし父親の死後、周りの計らいで多額の資金を調達されていたにも関わらず、裕次郎が郵便貯金の印鑑を勝手に変えて作った竹印で貯金を引き出す。当時は印鑑の偽造も簡単にできたそうだ。そして裕次郎は放蕩三昧の生活を送る。

 2人の兄弟は2人で1人の感覚で生きてきた。石原慎太郎が芥川賞を受賞すると映画の権利を高く売るため裕次郎も臨席してその交渉役に入る。また、慎太郎は裕次郎を映画に売り出すために奔走する。2人はいつも互いを思いやって生きていた。しかしそれもむなしく裕次郎は51歳の若さでこの世を去る、父親も同じ年齢で去っている。

 以下は『「私」という男の生涯』(石原慎太郎 幻冬舎、2022年第1刷)から気になる箇所を記した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★人生はさまざまな他者との出会いによって形成されていくものだが、私の人生も素晴らしい女たちとの出会いによって形づくられてきたことは確かだ。何かの歌の文句にもあったように「所詮この世は男と女」であり、あの心に残るハリウッドの名作『カサブランカ』の主題歌『アズ タイム ゴース バイ』にあるように、

Woman needs man 

And man must have his mate 

That no one can deny.

 とすれば、私の放蕩も人生の公理に添ったものと言い逃れできるに違いない。斯く振り返れば、私の人生もなかなかのものだったような気がするが、しかしこの齢ともなれば最後の未知、最後の未来である「死」についてしきりに思わざるを得ないこの頃だ。(195-196p)

★しかし今こうやって己の人生を振り返り、素晴らしい人との出会いや、それがもたらしてくれた懐かしい出来事や懐かしい旅、愛の思い出を綴っていると、回帰することの出来ぬ時間なるものの無慈悲さ無残さ、存在なるもののはかなさ哀れさを感じないわけにはいきはしない。あのNは完全な忘却という慈悲によって、今この私が味わっているような焦りや空しさを知らずに去っていったのだろうか。(200p)

★人間は生きる過程でいろいろ迷い考えもするが、年齢を重ねれば重ねるほど辞世の終局の死なるものについて考えざるを得ない。そして迷い、怯え、おそれもする。プラトンは死について誰も何も知りはしないのだから死について、あるいはその果てについて考えることはないと言っているが、はたして彼もそうだったのだろうか。彼とてもそうではあるまい。(330p)

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