竹富島は鉄器が本土よりも千年遅れて入り、極楽島のような歳月が流れていた。御嶽(うたき)と言われる神を祀る聖所がある。今もこれをつかさどる神司(かみつかさ)という4人の女性がいる。代々、その家で受け継がれているそうだ。
先島の最後は与那国島を訪れる。ここでは人頭税による人減らしの方策として行われた悲劇がある。それは人升田。島津藩に年貢を納める立場になった琉球王府による過酷な税の取り立ての人減らし策だった。与那国島には軍艦岩(サンニヌ台)がある。展望台から望む「軍艦岩」は軍艦のような力強さと躍動感が感じられるとか。
戦場となった沖縄は国が憑りついて血を吸う化け物のようだった、と。
番組HPによると「司馬遼太郎。壮大な紀行文学を映像化!美しい島々に過酷な歴史を強いた日本とは何か?重い問いかけを胸に、沖縄本島から石垣島、竹富島、与那国島を巡る旅が始まる」とあり、さらに「昭和から平成へ。亡くなるまで25年にわたって司馬遼太郎が書き続けた『街道をゆく』▽眠れぬ夜、那覇での思索▽糸満の漁師に見た「倭人」の面影▽米どころ石垣島で稲作伝来の情景を想像する▽屋敷の庭に枯山水▽竹富島は沖縄の心の宝庫!美しい集落▽女性が支える島の信仰▽鉄伝来の遅れがもたらしたこととは?▽与那国島の海風吹きわたる台上で▽苛烈な人頭税の時代▽大綱引き!島の豊年祭▽1998年放送の番組がよみがえる」ともある。
どの「街道をゆく』を見ても知らないことだらけである。後はこの本を読んで理解しよう。
沖縄へは母と姪と私の3人で出かけたことがある。海外へは食べ物が困ると話していた母は沖縄は大丈夫だった。かなり高級なホテルだったのか食事の際、パンくずなどが落ちると係が来てテーブルの上を何かもってそっとぬぐってくれた。この光景は初めてのことでびっくりしたことを想いだす。さらには食後、パンの美味しさが伝わったのか係が姪にパンを箱詰めにして部屋に持ち帰らせてくれた。これにもびっくり。
母と出かけた旅行の中では沖縄が一番遠い旅となった。元気で楽しく旅した母を思い出す。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
0 件のコメント:
コメントを投稿