2022年5月16日月曜日

『騎馬民族の心』

 『騎馬民族の心』、サブタイトルとして「モンゴルの草原から」(鯉淵信一 日本放送出版協会、1992年)を読んだ。著者はツエベクマさんの『星の草原に帰らん』の訳者であり、また司馬遼太郎がモンゴル国を訪れた際にも登場するモンゴルに関しての第一人者である。

 モンゴルは中国領の内モンゴルとモンゴル国である外モンゴルがある。内モンゴルは出かけているが、外モンゴルへは出かけていない。牧畜を主な生業とするモンゴル。彼らは決して土を耕そうとはしない。その理由をこの本で納得する。内モンゴルを旅行中、大きな鍋にドカンと入った羊肉を食べさせられた。その意味もこの本で理解した。羊肉は大のご馳走だったのだ。そのことさえもつゆ知らず、なんとまずい食べ物と旅行中、何度思ったことだろう。「郷に入っては郷に従え」のことわざもある。それなのに、わけもわからずにいた自分が悪い。

 農業は土地を利用して作物を栽培する。それには農耕もある。農耕は土を耕して野菜などをつくる。ところが牧畜を生業とするモンゴルでは決して土を耕さない。草の生えている場所へ移動して生活する。農業に適さない土地であるモンゴルではひとたび土を耕せば自然の形態が崩れて大災害を引き起こす原因となる。内モンゴルに木を植えるプロジェクトがあるが、これは間違いのようだ。土を耕してはいけない土地で土を耕すから砂漠化してゆく。

 その地に住む人たちは自分たちなりに自然とともに生きている。それなのにわけもわからないものが土を耕して野菜をつくって生活すれば、と思ったりする。自分自身、そう感じていた。が、それは大きな間違いだとこの本で知った。以下は気になる箇所をメモ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★移動することで成り立つ遊牧は、生活のあらゆる部分から無駄を省くことを追求したが、そうした生活の徹底した簡素化は、人びとに合理主義的な考え方と同時に、物心両面からの束縛を嫌う自由を尊ぶ精神を育みもした。(5p)

★危険と隣合わせの「無人の大平原」に孤高に生きるからこそ、何ものにも頼らない不羈独立の精神を養い、自由を誇りとする遊牧民の気質を生んだようだ。もちろん子供の頃から、「他人に頼らず、自分でやれ」と自立の精神が徹底的にたたき込まれる。遊牧民にとって”自由”は、豊かな生活の保証よりも、時に生命の安全よりも価値のあるもののようである。「王侯と一緒になるより、犬と一緒になった方がまし」と、ことわざはいう。「王侯と一緒になる」とは、王侯の庇護のもとに入ることを指すが、それくらいなら犬と草原をほっつき歩いていた方がいいと考える。危険があっても自由の方がいいというのだ。(34p)

★七十年に及ぶ社会主義体制から脱皮して、民主的社会に移行するという歴史的な大転換を遂げた一九九〇年夏の建国祝典では、国家元首オチルバトが白いデール(民族服)に身を包んで、これまでの赤(共産党のシンボル)と青の旗に代わって、チンギス汗以来の伝統的な白馬のたてがみと尾毛で作られた九客の纛(とく)(旗)にぬかずき、「天」を仰いで祈りを捧げるに至ったのである。……息をのんでこれを見ていた大群衆は、やがて胸の高まりを抑えきれないかのように、大歓声と拍手で元首の行動を讃えた。群衆の歓呼は、社会主義の呪縛から解き放たれたという政治的な意味あいもあったが、なんといっても、モンゴル人が自らの「心の琴線」に久し振りに触れた感動であったようだ。群衆の歓呼は、「テングリ」(注・上天)信仰が今でも、モンゴルの人びとの本源的な信仰であって、人びとの心を揺り動かす原動力なのだということを強く印象づけた。(96p)

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