2022年5月12日木曜日

「明治の悲しみ」

 NHKのBSで「街道をゆく」第6回「本郷界隈」を見た。番組HPによると「原作・司馬遼太郎。壮大な紀行文学を映像化!明治の悲しみとは?東京・本郷で維新直後の明治国家に思いをはせ、夏目漱石の足跡を追って松山、ロンドン、そして再び本郷へ」とあり、さらに「昭和から平成へ。亡くなるまで25年にわたって司馬遼太郎が書き続けた『街道をゆく』▽路地に樋口一葉、崖の上には正岡子規、多くの才能が集った街。その面影を訪ねて▽東京大学は『配電盤』!西洋文明の受容と分配を担う▽お雇い外国人の高額俸給▽明治の気分を岩崎邸に見る▽夏目漱石が背負った役割とは?道後温泉からロンドンへ▽本郷で出会った大木▽旅の終わりは三四郎池▽1998年放送の番組が鮮やかな映像でよみがえる」ともある。

 先日の西郷隆盛の歌ではないが西郷は明治10年に亡くなっている。その年に東京本郷に東京大学ができた。元は加賀藩主の前田邸だ。夏目漱石は東京大学に通い、夏目金之助として学生簿にある。コンドル設計の広大な岩崎邸も大学の一部をなしている。東京大学が近代日本の配電盤だったらしく漱石は『坊ちゃん』の主人公を通して追っている。そこには「明治の悲しみ」が漂う。明治期、ロンドンなど欧米へ日本から683人が留学した。その費用は東京大学の歳費の3分の1を占めていた。だが、必ずしも留学組の全員が順風満帆ではなく、自殺者も少なからずいた。

 留学組に漱石がいた。漱石は大学とは何か。それは国家が自分に課した義務だと思った。だが、苦しむ。漱石は自分自身の人生を通して『三四郎』を書き、近代日本を見つめた。漱石以外にも近代日本を見つめていたものがあった。それは本郷近くにある樹齢600年のクスノキである。本郷のクスノキといわれるこの樹木も近代日本を見つめていた。取材当時、この家の主は明治時代の趣になるようにクスノキを剪定した。

 番組を通して『街道をゆく』の本を読むだけでなく、自分自身が知らないこういった場所へも行きたくなる。今日は雨の予報だが今のところ雨は降っていない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 ブログをアップ後、『街道をゆく』(三十七)「本郷界隈」を読んでいると「甲斐庄喜右衛門の屋敷跡に、いまも一樹で森を思わせるほどのクスノキがそびえている。……江戸時代、”本郷のクスノキ”とよばれて有名だったという。……このクスノキは、いまは区の保護指定になっている。樹齢六百年といわれる」(66p)とあるようにこのクスノキは個人所有ではないようだ。

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