心の豊かさはいつでも自分で作れる
新しい生活様式でも
豊かな生活は送れるわ。
大切な人、家族がいる豊かさ。
美味しいコーヒーをいれる豊かさ。
陽の光を浴びる豊かさ。
心の豊かさはいつでも自分で作れる。
ここにまでウイルスは入ってこられないから。
新しい生活様式でも
豊かな生活は送れるわ。
大切な人、家族がいる豊かさ。
美味しいコーヒーをいれる豊かさ。
陽の光を浴びる豊かさ。
心の豊かさはいつでも自分で作れる。
ここにまでウイルスは入ってこられないから。
この中の「美味しいコーヒーをいれる豊かさ」がある。たったこれだけのことであっても自分で珈琲を、それも美味しく入れようとするだけで幸せを感じる、このことが心の豊かさ、になる。これが嬉しい。そして心の豊かさは自分で作れて、そんな心にまでウイルスは入ってこられない、という。いくらコロナ禍の世の中とはいえ、気持ちの持ち方ひとつでウイルスに左右されない生活ができるというのだろう。確かに、肉体へはウイルスが入ってコロナに感染するかもしれない。が、心の中まではウイルスは入ってこられない、とはうまく言い表している。
そう思って生活すればたとえコロナ禍であっても心の持ちよう一つで楽しく生きられるということ!?
ひろしん文化財団主催の院展作家五人展に出かけた。その中の1人の先生について日本画を習っている。幸い出かけた時、先生はいらっしゃった。5人のうち平先生は昨年亡くなられた。平先生とは某会の総会でお会いしたがその頃はお元気だった。某会がご縁で院展の招待状を送ってくださったこともあった。また某会から皆でバスを貸切って津和野で開催された個展を見に出かけたこともある。
5人のうち3人は直接お会いしたことがない。が、5人とも画風が似ているように思えた。石畳の1本道や樹木の絵はどの先生方も描かれていた。落ち着く会場で落ち着く絵を見る。
その後、三越によってアナゴ飯を購入。他にも美味しそうなものを買ってバスに乗り、広島駅前の福屋で下車。八丁堀の福屋よりも駅前の方が馴染むのでここでお昼をいただく。いつもは空席が目立つお店だが、途中、人が入れ替わって隣席に3人連れが座った。おばさん3人連れの声の大きさに辟易するとともにコロナにかかっては大変と食事後すぐに席を立つ。デパート内の人の気配は全くと言っていいほどないのに食事場所は人の出入りが多くなっている。ひさしぶりに街中へ、となったので何か服でも買おうと思った。勢い込んで出かけたが売り場に人がいないとあってはその気も失せる。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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