2021年10月19日火曜日

寂しい歌

 母の月命日の昨日、お墓参りをする。2,3日前の暑かった夏が過ぎて最高気温22度と秋らしくなった。とはいえ、墓地までの道は急な坂があり、墓地に着くと汗ばむほど暑い。家の周辺は畑も田んぼもないが墓地の近くにはちょっとだけ段々畑がある。が、そこには畑で植えられているものはなく荒れ地のままだ。それでも山への道らしさが少しだけ残る。ススキを探すが秋らしいものはなにもない。ただ墓地近くの家の庭に咲く黄色いコスモスがささやかな秋を感じさせてくれる。

 お墓参りをすませて家に帰ると自転車に乗ってスーパーへ行く。タイヤの空気が足りないのかペダルをこぐたびに変な音がする。この音は結構なストレスなのか自転車に乗る快適さがなくなる。空気を入れたけどさてさて音は如何に!?

 相変わらずQUE SERA SERA”と”その名はフジヤマ”を英語とスペイン語の歌詞で歌っている。毎日歌っていると忘れずに暗唱できる。季節は秋、ふと頭にメロディーがうかぶ。それは”母さんの歌”で、2番の歌詞の「お前も頑張れよ」。だが、1,2,3番の歌詞のうち1番だけしかちゃんと歌詞が出てこない。次はこの歌の歌詞を覚えよう。ところが母さんの歌は寂しすぎる。

 寂しすぎる歌は他にもある。3,4年前に所属していた合唱団で日本の歌など歌っていた。ある曲を歌うと突如歌えなくなる歌があった。それは”小さな木の実”で、「ぼうや 強く生きるんだ」の場面である。”母さんの歌”は「お前も頑張れよ」の場面が歌えない。他にもある。2011年の東北を襲った大震災の後でコンサート会場で会場全体に響き渡る”ふるさと”も途中から涙が出て歌えなかった。それは、その年、母を亡くしたことにもよる。

 そういえば合唱の先生はお母さんを亡くされたときに皆で歌った”ドナドナ”を歌うと涙が出ると話された。”ドナドナ”では涙は出ないが先の3つの曲はいつまでたっても涙が出てくる。いずれの歌も歌詞がいいのかメロディがいいのか、というよりも曲自体がいいに決まっている。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 ブログ投稿後に気づく。フルートを吹くときどんなに悲しい曲であっても哀しさで途中から吹けなくなることはない。吹けないのは吹いている人の力量が足りないから。そう思うと歌が歌えなくなるのはその歌の歌詞にあるのかもしれない。メロディーと歌詞が歌う人の気持ちにぴったり合う時、感情が高ぶって歌えなくなるのだろう。

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