2021年9月3日金曜日

『国盗り物語』(三)

 雨が降り続く。今日の最高気温は25度の予報だ。涼しくなった。図書館で借りた司馬遼太郎の『戦雲の夢』を読み終えた。これで手もとには図書館で借りた本がなくなった。今日から図書館の予約確保の連絡が入るまで家にある本を読もう。以下は『国盗り物語』(三)(司馬遼太郎 文藝春秋、平成二十六年第百三刷)からいつものごとく気になる箇所を記した。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★道三は夜ふけに帰城し、寝所にも入らず、燈火をひきよせ、すぐ信長へ手紙をかいた。…自分の人生はくれようとしている。青雲のころから抱いてきた野望のなかばも遂げられそうにない。それを次代にゆずりたい、というのが、この老雄の感傷といっていい。老巧匠に似ている。この男は、半生、権謀術数にとり憑かれてきた。権力欲というよりも、芸術的な表現欲といったほうが、この男のばあい、あてはまっている。その「芸」だけが完成し作品が未完成のまま、肉体が老いてしまった。それを信長に継がせたい、とこの男は、なんと筆先をふるわせながら書いている。(117-118p)

★稲葉山城のくわしい様子がわかった。義竜は斉藤の姓をすて、一色佐京大夫という名乗りにあらためた。土岐姓を名乗らず、母深芳野の生家である丹後宮津の城主一色家の姓を冒したのは、土岐姓復帰は道三を討ってからのことにしようという魂胆なのであろう。が、寡兵の名目は、「実父土岐頼芸の仇、道三入道を討つ」ということにある。(200p)

★信長は耳次を座敷にあげて対面し、そのたずさえてきた密書を広げた。遺書である。しかも、美濃一国の譲状であった。読みおわるなり信長は、「ま、まむしめっ」と世にも奇妙な叫び声をあげた。信長は立ちあがった。蝮の危機、蝮の悲愴、蝮の末路、それは信長の心を動揺させた。それもある。しかし亡父のほかはたれも理解してくれる者のいなかった自分を、隣国の舅だけはふしぎな感覚と論法で理解してくれ、気味のわるいほどに愛してくれた。その老入道が、悲運のはてになって自分に密書を送り、国を譲る、というおそるべき好意をみせたのである。これほどの処遇と愛情を、自分はかつて縁族家来他人から一度でも受けたことがあるか。ない。(232-233p)

★(生涯つきあってもよさそうな男だな)と、光秀は、興奮しきった気持ちのなかで、それを思った。細川藤孝。のち、幽斎と号し、その子忠興とともに、江戸時代肥後熊本で五十四万石を食む細川家を興すにいたる。その忠興の妻が光秀の娘で、洗礼名ガラシャと言い、のちの別の事件で世に知られるにいたるのだが、いまの光秀にはこのときの因縁が遠い将来(さき)にどう発展するかまでは、むろんわからない。(299p)

★(来る年も来る年もこのように歩きつづけていて、ついにおれはどうなるのだろうか)と、ふと空しさを覚えぬこともない。人の一生というのは、ときに襲ってくるそういう虚無とのたたかいといってもいい。(346-347p)

★(髪を売ったのか)と、光秀は気づき、この暮らしの悲惨さに慟哭したい思いがした。(壮夫の質はむしろ凛冽としている。しかしその壮夫も妻をもち子をなし、その家族が貧に落ちるとき、もはや凛冽たる気は保てぬ。本当の貧が、志、気節をむしばみ、ついにただの貧夫になりさがってしまう)とおもった。そういうとき、(かならず他日、天下を取ってやる)という思い以外に、この惨状のなかで自分の精神の毅然とした姿勢をまもる手はなかった。光秀は、気持ちがみじめになればなるほど、そのことを想った。念仏僧が念仏をとなえ西方浄土の阿弥陀如来を欣求する気持に似ている。弥陀の御名をとなえつづけるそのことに憧憬(あくが)れ、そのことを念じ、そのことを成就できる道を考えつづけた。一年で、病は去った。が、まだ病後の衰えが回復せず、本復とまではいかない。そのとき、越前に戦雲がおこった。(396-397p)

★「堺へも行く」信長は、命ずるだけである。……「いったいなんの目的で京や堺に参られるにござりまする」……(京にいる将軍に会いたい)それが目的の一つ。(堺で、南蛮の文物を見たい)それが目的の二つ目である。むろん彼を駆り立てているエネルギーはこの男の度外れて烈しい好奇心であるが、その好奇心を裏付けているずっしりした底位もある。他日、天下を取るときのために中央の形勢を見、今後の思考材料にしたいのだ。(380-381p)

★この松明の虚陣を張らせて全軍を壊滅から救った織田方の一将校というのは、秀吉であった。この日一隊を率いて殿軍(しんがり)にいた木下藤吉郎秀吉であった。さらに、信長を危地におとし入れた美濃軍の功名きわまるこの戦術は、「十面埋伏の陣」と、いわれるもので、その立案者――だと尾張方面に伝聞された人物は満十七歳の若者でしかない。若者は美濃不破郡にある菩提山城の城主で、竹中半兵衛重治といった。(418p)

★(あの男は、失敗するごとに成長している)いや、光秀の越前からの観察では、信長は、成長すrためにわざと失敗している、としか思えぬほどのすさまじさがある。(432p)

★(信長は、恵まれている。父親の死とともに尾張半国の領土と織田軍団をひきついだ。それさえあれば、あとは能力次第でどんな野望も遂げられぬということはない)うらやましい男だ、と思う。人間、志をたてる場合に、光秀のように徒手空拳の分際の者と、信長のように最初から地盤のある者とでは、たいそうな相違だ。……しかし徒手空拳の身では、いかんともしがたい。……人のつながりというのは妙なものだ。道三の娘濃姫こそ光秀の弱年のころの理想の女性であり、しかもイトコ同士というつながりから光秀の許へ、という佳き縁談も一時はあったと光秀は聞き及んでいる。それが「尾張のたわけ殿」といわれていた信長のもとに輿入れしてしまった。以来、信長は光秀にとってある種の感情を通してしか考えられぬ存在になった。ある種の感情とは、嫉妬ともいえるし、必要以上の競争心ともいえるし、そのふたつを搗きまぜたもの、ともいえる。とにかく事にふれ物にふれて、尾張の織田信長を意識せずにはいられない。(492-493p)

★その男は何が出来るか、どれほど出来るか、という能力だけで部下を使い、抜擢し、時には除外し、ひどいばあいは追放したり殺したりした。すさまじい人事である。このすさまじい人事に耐えぬいたのが、秀吉である。(521p)

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