2020年7月31日金曜日

『逆境を生きる』

 買い替えたパソコンが落ち着いたと思ったら、今度はブログに変化があった。表面上は何ら変わらないようだが、ブログの編集面で変化している。以前のままで使用できると画面上にテロップが出ていた。ところが昨日から急に新たなやり方になった。ナニゴトも時代についていくのは大変。古いやり方も8月下旬までの区切りがあるため今日から新たな方法でブログをアップ。なんとかOKのようだ。
 
 コロナ禍で誰もがみな順風満帆の日々でなく逆境に立たされている。そんな矢先に図書館内の書架にあった『逆境を生きる』(城山三郎 新潮社、2010年)を読んだ。コロナ禍とは全く関係ない本だが、暇つぶしも兼ねて読む。以下は気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★(渋沢栄一が)やっていることは、人の話を心をこめて聞き、吸収し、建白書をひたすら書いた。野良犬同然の若い頃と同じことを繰り返していったにすぎない。いかなる逆境においても失われぬ初心、変わることのない性格が、彼を日本最大の経済人にしていったのです。これは決して運がよかったという言葉では片付かないのではないでしょうか。38p

★私が文壇に出たのは新人賞を貰ってからです。名古屋千種区城山の小さな借家に三月に越したから城山三郎というペンネームにしました。79p

★(昭和天皇)「御所には桜と橘があるのだから、今度は橘の白い花をデザインしたらどうか」。それでできたのが今も残る、橘の花の文化勲章のデザインです。暗い時代に、天皇と広田(弘毅)さんとの苦心が実ったのが、あの全く階級のない勲章――文化勲章というのは一等、二等といった等級がない―ーなのです。(「少しだけ無理をしてみる」95p)

★広田(弘毅)さんが自分にたえず言い聞かせているのは、「自ら計らわず」という言葉です。つまり、自分の利益になるようなことを求めない。人のために尽くしますが、自らのために計らわない、というのが広田さんの一生の信条でした。ですから、外務省に入っても、一生懸命仕事はするけれど、上役にゴマをすったり、猟官のための運動などは一切しない。(「自ら計らわず」105p)

★人間の魅力というものは、畢竟、その人の〈強さ〉のことかもしれません。……平和な今の時代に、はたして〈強さ〉なんて必要だろうか、と考えることもあります。けれども、やっぱり、人生というのは、晴れた日だけが続くわけではない。雨の日、嵐の日は必ず来る。そんな悪天候の日に備えて、〈強く生きる〉とは何かを考えておく必要があると、私自身の脆さを振り返って思うのです。ですから、強い生き方をした人たちから、学ぶべきことは学んでおきたい。いや、力及ばず、学ぶことも真似することもできなくても、そんな魅力的な人たちが存在すると知るだけでも、私たちの人生は豊かになるのではないでしょうか。(「強く生きる」137p)

★日米ビジネスマンたち及び家族の精神的破滅を見てきた石塚(幸雄)医師が、悲劇を起こさないようにするためには、三つの柱が必要だというのです。すなわち〈セルフself〉とインティマシーintimacy〉と<アチーブメントachievement〉という三つの柱が人間には必要なんだ、と。
 セルフというのは、〈自分だけの世界〉ということです。本を読むことも、音楽を聴くことも、絵を見たり描いたりすること、あるいは書を見たり書いたりすること、座禅することなんかもそうですね。そういう個人だけで完結する世界、思索でも信仰でも趣味でもいい、個だけの世界の重要性。
 インティマシ―というのは、親近性という意味ですね。……それからアチーブメント。つまり、達成ってことです。……この三つが人間を支える大きな柱だと石塚さんは言っていました。(「人間を支える三本の柱」162-163p)

★こんな言葉もある。〈硯田悪戯無く、酒国長寿有り〉。硯田、硯の田というのは、読書の世界とか、物を書いたりする世界、知的な活動の世界のことです。本を読み、物を考え、物を書く、そういうことさえしていれば、人生に悪い年というのはない。つまり、本さえあれば、人間は幸せ、と。そして後半は解説不要ですね、酒の国には長寿がある。(「人間を支える三本の柱」165p)

2020年7月30日木曜日

コロナの影響

 人のブログを見ているとコロナの影響で失ったものとして(お金?健康?経験?レジャー?)をあげている。そしてこれを「全力で取り戻す!」という。

 自分の場合はどうだろう。お金は年金生活なので外へ遊びに行けない分だけ使わずに残る!?健康は自転車に乗らずに買い物は歩いて出かけている。水泳も3,4か月間、プールの閉館があったがその後再開されて泳いでいる。おかげでいたって健康だ。経験はプロ的なモノ・コトがないので変化なし。レジャーはコロナの影響を一番大きく受けている。旅行、演奏会、食事会、飲み会などすべて外に出ていくことばかりだ。自粛する生活は生きる上での楽しみをすべて奪われた感じがする。元の生活に戻るのはかなり先になるかもしれない。それでもコロナに感染せず、生きてさえいればまたいつかいいこともあるだろう。そう思って生活する!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月29日水曜日

プールetc.

 姪のメールによるとパソコンを買い替えたらしくasusというメーカーのようだ。これまでパソコンを4台購入したがいずれもNEC製。ほかのメーカーに目もくれず、ただNECを愛用している。姪によるとasus製のパソコンは優れものらしい。パンダ好きの姪はパソコン購入がラッキーだったといってラッキーパンダの画像を添付してよこす。

 昨日午後は大雨注意報の中、雨も上がったころを見計らってプールに急ぐ。自転車に乗って行くのでケガだけはしないようにと注意する。雨の中、泳ぎに行くか行くまいか躊躇しているといつもより3,40分到着が遅くなった。すぐに予約の水着を受け取る。代金5500円。水着は1万数千円が相場。家に帰ってメーカーを確認すると聞いたこともない会社だった。ただ、以前デパートで水着を購入する際、裏地がついてるほうが丈夫と教えてもらった。購入した上下の水着とも裏地はついていた。どういっても3分の1くらいで買える価格は魅力的だ。いつも着ている衣類よりも水着が価格的にも高い。これはなぜ?

 プールを出る際、ロッカーのカギを受付に返す。そのとき、目にしない張り紙がある。何?と思ってみるとプール利用人数が定員に達し、受付終了とある。これもすべてはコロナによる。定員?と知って子供たちの夏休みはいつから?と聞くと来月7日が終業式で21日から授業が再開という。たった2週間の夏休みのようだ。子供たちが夏休みになると学校のプールを制限しているので屋内プールに人が集中しそうだ。その間、プールで泳ぐのは控えよう。無理は禁物!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月28日火曜日

「君は一人でも生きてゆける。今までもそうだった!」

 NHKのBSシネマで「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」を見た。番組HPには「1979年、英国史上初の女性首相となり、経済再建やフォークランド紛争などさまざまな困難を乗り越えた“鉄の女”マーガレット・サッチャーを、名女優メリル・ストリープが演じ、アカデミー賞を受賞した感動のドラマ。夫デニスに先立たれ8年、86歳のマーガレットは孤独な晩年を迎え、いまだに夫の遺品を整理できずにいた。幻想の中で夫はまだ存在しているのだった。そんな折、マーガレットはふとこれまでの人生を振り返る…」とある。

 認知症を患っていたのだろう。今は亡き夫を妄想するシーンがある。夫の靴を処分したことにもよるのか、背広を着て我が家を出る夫は靴を履いていない。去る前に夫の声がする。「君は一人でも生きてゆける。今までもそうだった!」。夫の放つこの言葉がサッチャーを言い表している。強い女性、鉄の女のいわれはこの辺にもあるだろう。

 夫の遺品の整理の場面がある。黒い大きなナイロン袋に遺品を放り込んでゆく。我が家も物を処分するとき、ごみ用の黒い大きなナイロン袋に入れて処分した。サッチャーを演じる女性がナイロン袋に入れるシーンはいずこも同じと思って映画を見た。

 処分品をどこか別の場所に置くよりも、さっさとごみとしてナイロン袋に入れていく。こうしないと処分する際、いろいろと雑念が沸いて思い切って捨てられない。アルバムの時はナイロン袋ではなく、紙のごみ袋に写真を破って捨てた。

 処分していると本当に大切なものは何だろうと思うことがある。身の回り品でどうしてもいるものは何だろう、と思ったら生活必需品だけになる。だからと言ってミニマリストにはなれない。凡人は極端に偏らずナニゴトも適当に元気で楽しく生きてゆく、これでいいのかもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月27日月曜日

長い梅雨

 旅行社の広告が朝刊2頁にわたって掲載される。いくら国が旅行費の一部を補助してくれるといってもこの会社を利用したくない。旅行社が信頼できるならば話は別。信頼できる旅行社の旅の広告は今のところ一切ない。そのうち信用ある旅行社から旅のカタログが届くはず。それを待って旅が再開となればいいけど……。この期に及んで旅ができる年齢に焦りを感じる。と同時に以前のような安心して出かける楽しい旅はもう望めないような気もしてくる。

 図書館が今日と明日は休館になる。『菜の花の沖』(二)も読み終えそうだ。2日間の休館に読む本を借りに図書館へ行く。新刊コーナーに今月発行の『老人と海』の文庫本があった。先日のNHK・BSでこの映画を見た。それから何日後かにヘミングウェイの「老人と海」に関係ある地を名前は忘れたが日本の作家が訪ねるドキュメンタリーを見る。まるで「老人と海」を読め、と思えて借りて読むことにした。

 今年は梅雨の時季に台風が来ないとの情報がある。コロナと台風と梅雨の関係がどうあるかは知らない。それにしても梅雨が長い。今日か明日は先日プールで予約した水着を受け取りに行くつもりでいた。ところが、雨はいつ止むかわからない。晴れの日にプールへ行こう。明後日か明明後日は晴れそうだ。今週半ばあたりが梅雨あけ!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月26日日曜日

旅の背丈

 NHKのラジオを聴いていると沢木耕太郎がインタヴューにこたえていた。旅の作家であってもコロナで動きを制限されている。海外どころか国内の旅も以前のようには気軽に行かれない。沢木は旅をすると「背丈が伸びる」という。もちろん肉体的な背丈ではない。面白い表現、と思って話を聞く。旅の作家はなんと16歳で秋田へ一人旅をしていた。

 16歳といえば高校2年生くらいだ。その頃は乗り物酔いがひどかった。小・中・高校の修学旅行で車に乗る仕事のバスガイドを見て尊敬したものだ。大人になるにつれて乗り物にも慣れるのか何に乗っても酔わなくなった。だが、完全な一人旅は年をとっても簡単にはできず、たた、あこがれだけは人一倍ある。

 コロナの収束は今の状況ではいつになるかわからない。数年先どころか、もしかしてあの安閑とした楽しい日々は永久に戻ってこないのでは、と危惧する。そう思うと移り行く日々がいとおしい。

 旅は遠くへ出かけるだけが旅ではない。これからツアーが再開されたとしても、これまでのように安心して楽しめる旅気分は味わえないだろう。たった数ヶ月、ツアーがないだけで先を憂いてしまう。気持ちを変えよう!じゃ、一人でどこかへ行く!?

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月25日土曜日

所有する楽器はフルート


 YOU TUBE先生のブログを見ると「自分の所有する楽器こそ名器」とのタイトルがある。名器といわれる楽器にはストラディバリウスなどのヴァイオリンのように1挺数億円、数十億円という高価なものがある。YOU TUBE先生は今年度から交響楽団の首席フルート奏者に加えて某音大の講師をされている。自分の所有する楽器こそ名器、といえばフルートがそれに当てはまる。

 相変わらずYOU YUBE先生の動画を見てチャール・ダーシュを練習する。吹いていてうまく吹けた、と思うときはICレコーダに録音する。以前と比べると自分の中ではよくなった、と思う。だが、動画とは比べられない。YOU  TUBE先生のHPから再生リストを見ると動画を頻繁にアップされている。以前にさらった曲の動画を見るとどれもいい曲ばかりだ。庭の千草も曲名を変えてアレンジした動画のアップがある。いろいろな曲のフルートの練習が忙しい。再度、チャール・ダーシュをアップしよう。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月24日金曜日

知らないキーワード

 司馬作品を読むと今は使用されない漢字や言葉が頻繁に出てくる。せめて漢字くらいは知りたいとノートに記す。昨日、新聞折込チラシが30数枚あった。その中に、スーパーのチラシがある。売り出し広告に「豚スーシャ」とある。電子辞書で調べるが項目がない。ネットで調べるとこれは味付けした豚肉だった。豚肉は生姜焼き用やバラ肉を買い、味付けされたものは買わない。

 他にも椎名誠の本を読んでいるとわからないキーワードに出くわす。「ぼくは四輪駆動車で行くのだから多少ダートな場所も迂回したりしてどんどん行ける。満員状態でやってくる団体巡礼の、性能が悪く古いトラックがときどきスタックし、長いこと動けない様子のところを走っていくことがよくあった。……」。49p(『ぼくがいま、死について思うこと』新潮社、2013年)

 この〈ダート〉は電子辞書によると”dirt”のようで「土」や「走路」の意らしい。また〈スタック〉は”stuck”らしく、「雪やぬかるみで車が立ち往生する」ことのようだ。

 元気に何ら変わらない日常を過ごしていてもわからないキーワードが出てくる。ノートに書き写すのは漢字だけでなくカタカナ語も記す必要がありそうだ。

 話を変えて今朝の地元紙に気持ちいい記事がある。前夜の野球の試合を記者の目線で記す「球炎C」である。今朝は今年再ブレークしそうな選手の話題だ。「……自分を目いっぱいアピールする必要はもうない。この感覚を忘れないように、丁寧すぎる一振り一振り。打棒は一つ上のステージに上がった。安打を量産し、1ケ月。3番に座り、大事な場面で打席に向かうことが増えた。凡打でも右方向に打ち返しているところを見ると、以前の無用な欲がない。長く、つらい絶望からはい上がってきた男は、だから強い」。

 頑張る人が好き。必死に応援すると疲れるがそれもまた今朝のような記事を読むと嬉しさは半端ではなくなる。
 
 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月23日木曜日

パソコンetc.

 今月になってパソコンのトラブルで緊張気味の日々が続いた。新たなパソコンに買い替えて落ち着いた日々を取り戻す。トラブル発生は何気ない日常にしっかりせよ、と目を覚まさせてくれる。パソコンも所詮、電子機器。デジカメで写した写真もパソコンが壊れると紙の写真が大事に思えてくる。本も紙でなくても電子媒体で読むことができる。しかし、本はやはり紙のほうが読みやすい。

 本といえば大概の本を図書館で借りて読む。昨日、図書館HPのネット閲覧からマイ・ライブラリーを見るとネット予約は20冊可能で、それ以上の予約は予約かごに入れられる。予約したい本を予約かごに入れるが何冊でも入れられそうだ。確認すると100冊まで予約かごはOKだった。

 予約や予約かごに入れてもなかなか予約確保の順番が回ってこない。誰もがパソコンやスマホで図書館にネット予約できる。また、窓口でも予約は可能だ。コロナで家にいる時間が増えて本を読む人も増えるのだろう。これも予約確保がむつかしくなる一因かもしれない。

 予約本が受け取れないため、司馬作品を読むと同時に図書館の書架から他の著者の本を借りて読むこともある。先日、借りた塩野七生の本など読み終えた後にすでに読んでいる、と気づく始末。

 それにしてもなぜ司馬作品にはまるのだろう。自分なりに考えてみる。取り上げる人物は著者自身が好みであるため、読んでいても決して嫌な気持ちにならない。むしろ成功体験が如実に出ていて読後感のさわやかなことが司馬作品の魅力かもしれない。司馬作品を読み始めて1年8ヶ月。読んだ本をワードに残している。ところがパソコンの調子が悪くなると何を残しても完全ではない、と気づく。どうにかトラブル気味だった前のパソコンのワードをUSBメモリに保存できた。パソコン本体だけでなく、必要あれば面倒でもUSBメモリに保存しよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月22日水曜日

『峠』(下)

 昨日の日中から昨夜にかけて、今季一番と思えるほどの暑さだった。あと1週間もすれば梅雨も明けて本格的な暑さになるだろう。年を取るにつれてますます季節に敏感になってゆく。
地植えしたガーベラが咲いた

 以下は以前に読んだ『峠』(下)(司馬遼太郎 新潮社、平成十九年第11刷)の気になる箇所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★「本朝の土地に住む者、ひとりとして王臣でない者はない」
 これが、この時勢に流行しているあたらしい統一思想であった。現実の日本歴史にあってはそうではない。天子はあくまでもこの国の実権的王者でなく、日本最高の神聖血液の象徴であり、神聖血液の保持者であるがゆえに尊宗され、それがゆえに戦国乱世のときでも天子を倒す者がなかった。実権者でないためにそれが必要でなかったのである。63-64p

★「ただし医者は藪医者でも医者として通るが、絵師には藪というものはないよ」112p

★――輪王寺宮を迎えたてまつる。ということも、企図に含まれていた。この企図は偶然なものでなく、徳川幕府成立当時からのいわば秘密政略のようなものであった。
 幕府の創始者家康は、三代将軍家光によって日光東照宮にまつられ、神号を東照大権現とされた。……天皇家の祖は天照大神であり、徳川将軍家の祖である家康は東照大権現であり、名称を対比させている。135p

★継之助が古今の人物のなかでたれにもまして敬慕していたのは王陽明であった。王陽明は元来が文吏であり、一国の首相でありながら、必要があれば国軍をひきい各地に転戦し、常に勝ち、とうじのいかなる武将よりもすぐれた将軍の能力を発揮した。継之助はそういう王陽明が好きであった。好きである以上、――戦はしてはならんでや。は、絶対的否定のことばではない。――政治的に損である、ということであった。193p

★この殿中の評定は、ながながとつづいた。(ちょうど小田原評定だ)と、継之助はおもった。天正の末年、小田原城にこもる北条氏の重臣たちが、秀吉に降伏すべきかどうかをながながと評定してついに結論を得なかった有名な歴史上の事件のことである。196p

★継之助の演説は、この当時の通例としてほとんど漢文のよみくだしに近い。
「瓦全(がぜん)は、意気ある男子の恥ずるところ」
 という。瓦としてのいのちを全くするというのは意気の男子のとる道ではない、と言い、「よろしく公論を百年の後に俟(ま)って玉砕せんのみ」という。いずれが正しいか、その論議がおちつくのは百年のちでなければならない。298p

★――考えてもみよ。と、継之助はおもう。いまこの大変動期にあたり、人間なる者がことごとく薩長の勝利者におもねり、打算に走り、あらそって新時代の側につき、旧恩をわすれ、男子の道をわすれ、言うべきことを言わなかったらならば、後世はどうなるであろう。
――それが日本男子か。とおもうにちがいない。……さらにまた。人間とは何か、ということを、時勢に驕った官軍どもに知らしめてやらねばならないと考えている。驕りたかぶったあげく、相手を虫けらのように思うに至っている官軍や新政府の連中に、いじめぬかれた虫けらというものが、どのような性根をもち、どのような力を発揮するものかをとくと思い知らしめてやらねばならない。――必要なことだ。と、継之助は考えた。302p

★日本の慣習として、文章というものは漢文もしくは文語体にかぎられてきたが、これが日本の進歩を阻害しているとして「公文書は口語を用いた方がいい」という先覚的な提案をした最初のひとは、前島密である。前島は越後高田藩士で、江戸や京で医学をおさめた。のち明治政府につかえ、わが国郵便制度の創始者になったことは知られているが、かれは慶応二年、徳川慶喜に建白書を書き、右の口語採用の件を上申したが、幕政多端で容れられなかった。392p

★人はどう行動すれば美しいか、ということを考えるのが江戸の武士道倫理であろう。人はどう思考し行動すれば公益のためになるかということを考えるのが江戸期の儒教人である。この二つが、幕末人をつくりだしている。幕末期に完成した武士という人間像は、日本人がうみだした、多少奇形であるにしてもその結晶のみごとさにおいて人間の芸術品とまでいえるように思える。しかもこの種の人間は、個人的物欲を肯定する戦国期や、あるいは西洋にはうまれなかった。サムライという日本語が幕末期からいまなお世界語でありつづけているというのは、かれらが両刀を帯びてチャンバラをするからではなく、類型のない美的人間ということで世界がめずらしがったのであろう。また明治期のカッコワルイ日本人が、ときに自分のカッコワルサに自己嫌悪をもつとき、かつての同じ日本人がサムライというものを生み出したことを思いなおして、かろうじて自信を回復しようとするのもそれであろう。私はこの「峠」において、侍とはなにかということを考えてみたかった。それを考えることが目的でこれを書いた。
 その典型を越後長岡藩の非門閥家老河合継之助にもとめたことは、書き終えてからもまちがっていなかったとひそかに自負している。433-434p(あとがき)

2020年7月21日火曜日

プールで水着を購入!?

 プールで泳いだ翌日は朝から勢いがある。元気だ。やっぱり泳ぐと気持ちまでさわやか。暑くても泳ぎに行くようにしよう。泳いでいると監視員らしき人から声を掛けられる。注意される?と思ったらなんと私に合いそうな水着があると言う。今、泳いでいるのに、と心で思った。先日、水着を買いに行こう、と思っていた。まだ買っていないので水着、に反応する。泳ぎを中断して監視員室へ水着を見に行く。MとLサイズを見せてくれる。Mサイズの上着がかわいいとしきりに言われる。泳いだ後、試着するようにと係。

 その後、泳ぎを続ける。更衣室で着替えていると係は追っかけてやってくる。ほかの人を見ると買った人が試着している。長くプールに通っているがこういう経験は初めてだ。ほぼ裸同然で下だけでも試着を、とせかされる。体がぬれたり汗をかいていると簡単には水着も着られない。上だけ適当に試着して買う約束をする。買うにしてもプールへは水着が買えるほどの持ち合わせがない。名前を聞かれて次回まで預かってもらった。

 水着は事務所で預かっている、と聞いた。ロッカーのカギを返却する際、来週水着を受け取る旨、話をしようとした。黙って帰るよりも預かってもらうお礼を言って帰りたかった。ところが事務所の人に話しても埒が明かない。事務所は事務所でもプールのある3階の詰所のことだった。次回、水着を受け取ることにしてわが家へいそぐ。ところが昨日の日中の暑さはどうよ、と言わんばかりの暑さだ。踏切で列車通過を待っていると足元がやけどをしそうに暑い。今日も暑くなるようだ。

 話は変わって今朝見たニュースによるとJALの社長は来年度の大卒採用をしない旨話していた。外国への運行は3、4年先になりそうだ。だから採用してもする仕事がない、とのこと。3,4年先の件は先日西欧の航空会社も4年後の再開云々と言っていたのと同じだ。これを聞いて外国旅行の再開は簡単ではないと実感する。

 ここ近年、割と頻繁にバス旅やツアーに参加した。今年のコロナ禍を見計らって行っていたわけではないが、出かけてよかったとつくづく思う。次々と家に送られてくる旅のパンフを見ては旅の参加を申し込んだ。今となればそれも楽しい日々だった。もう、そんな日々はやってこない!?かなわない夢を追っても仕方がない。今できる楽しいことをするようにしよう。身近にあるのは泳ぐこと!?プールが自転車で行けるところにあってよかった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月20日月曜日

ダグニーさんのブログURL

 昨日は一日遅れの月命日のお墓参りに出かける。水汲み場でスポーツ用の自転車を押して歩く青年に出くわす。墓地は急な坂道が続いている。なぜ自転車を押して?と問うと盗まれるからとか。どこまで押していく?とさらに聞くとそこの墓地まで、という。話した後でマスクをしていないことに気づく。コロナは若者を介して感染することが多い。人と話す時は気を付けよう。

 梅雨の時期、墓地に石を敷き詰めていても草が生える。毎月のように参っていても草は生えている。草を抜いてお墓参りを済ませると神社に向かう。途中の山道に竹の葉が生えていた。竹の絵を描いているので改めて葉っぱの付き方を確認するため写真に撮る。

 コロナ禍の影響で催し物の中止や延期のはがきが届くようになった。先日届いたのは秋に年一度開催の講演会中止の知らせだった。既に届いたものには某研究会、絵の展覧会の中止などがある。昨夜予定されていた某会の納涼祭も延期されたようだ。コロナが収まる気配はなく、旅を促すキャンペーンもなぜか白々しい。

 あまりよく思っていない某旅行社は新聞一面に旅の募集を掲載する。ここは信頼する旅行社から募集案内のパンフが届くのを待つしかなさそうだ。

 誰もが想像さえしなかったコロナ禍。高齢者は何もかも控えるように、との掛け声がある。高齢者の線引きは何歳から。65歳からであれば日本の人口のどれくらいを占めるのだろう。十分、高齢者といわれる域に達しているが、日常生活では高齢者と思っていない。

 高齢者であっても108歳のダグニーさんのようなお元気な人もいる。そういえばパソコンのお気に入りにダグニーさんのブログを入れていたが買い替えたためにURLを改めて調べた。http://www.123minsida.se/Bojan/99578368 (参照)

 昨日から急に夏の暑さになった。梅雨明けも近いのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月19日日曜日

竹を描く

 昨日は日本画教室の日。筍が竹になっていく様子を描いている。前回は若竹に色を施し、今回は竹になる前の筍に色をつける。いずれも節に色を施さず、後から節らしくする。筍に色を施した後は残った絵の具は筍と竹以外の地塗りの個所に筆の先で色をつける。

 今年は9月に作品展を開催するとのこと、予定表を受け取る。前回仕上げたモミジは出品せず、釧路湿原の絵と今、描いている若竹を出す予定。

 来年は作品展も30回目だそうだ。先週、絵を習って何年?と改めて先生から聞かれる。10月になれば8年目に突入、と話すと驚かれる。絵を習って5年、10年、15年の節目には記念として先生から絵をいただく。もうちょっと頑張れば10年目の記念の絵を頂けそうだ。

 絵を終えるころは本来ならばカープの試合を見に行く人で込み合うJRの車内。車内は座れるほどでカープのユニフォーム姿はなく、ただ1人、カープのバッグを持った人を見かける。これは試合観戦の観客動員数が5000人という制限のためである。コロナ以前のあの活気ある様相はいつ戻ってくるのだろう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月18日土曜日

新たな日常を取り戻そう!

 昨夜5か月ぶりに開催の広響定演は今朝の地元紙によると聴衆は受け入れ可能人数よりもかなり少ない。それも当然のことだろう。自分自身も年間パスを持っていても聞きに行く気が起こらなかった。連日メディアを賑わすコロナ感染者情報は広島でも日を追って増えている。あれほど行きたかった旅もいかなくなればなれるのか少々どうでもよくなってきた。これではいけない、と思うが命あっての楽しみごとだ。命が奪われそうな楽しみごとでコロナに感染しては元も子もない。

 昨日午後はパソコン設定の最終ラウンドだった。せっかちな性格は年をとっても変わらず、思い切ってプリンタとパソコンをつなぐ。これまではパソコンでダウンロードしたものをインストトールした。プリンタは以前のパソコンと接続可能。今回新たなプリンタを買っておらず以前のを使用する。保管していたCDからプリンタ接続をダウンロードし、それをインストールする。プリンタはすぐに接続できた。

 すべて設定が終わったと思ったら「お気に入り」にしているURLも設定しなおさなくてはいけない。図書館や電話料など利用する際、メールアドレスやパスワードをそれぞれ入力する。パスワードは今回のパソコンの設定に際していろんなことでたくさんあり、覚えきれない。改めてパスワードの控えを整理した。

 使わなくなった2台のパソコンを処理する際、パソコン関係やカメラ関係、そして電話関係、ウオークマンなどの録音機器関係など小物類を区役所の処分ボックスに持参した。これで電子機器関係の小物類をある程度処分できた。それにしてもデジカメになる前のカメラやデジカメも何台買ったことだろう。電気製品や電子機器類は時代とともに変化して使えなくなる。

 ラジオもそうだ。働き始めたころ、どうしても欲しかったものが携帯ラジオ。今の人が持つスマホに相当するようなものかもしれない。当時としては初任給の数分の1の価格だった。時代も半世紀以上経過すれば文明の進化も当然のこと。当時の貴重品も今となっては何の役にも立たない。ところが当時のラジオは使えないがラジオそのものはこれからも衰えることなく存在するに違いない。どういってもテレビよりもラジオを聴いている。

 いろんなことが解決した。今日から新たな日常を取り戻そう!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月17日金曜日

カメラのソフトをインストール

 晴天の日が続き、梅雨あけまじかのようだ。昨日は20年前と13年前に購入したパソコンをメーカーに返却する。今朝もパソコンが頭から離れない。朝食後、カメラの画像を取り入れるソフトを入手する。ナニゴトもネットからダウンロードしてのインストール。朝食後から先ほどまで、これと格闘する。何とかインストールできた。

 国はGO TOキャンペーンを推進し始めた。が、今一歩、どこかへ行こうという気が起きない。今夜は5か月ぶりに広響定演が開催される。先日までは聞きに行こうと思っていた。だが、連日のコロナ感染者の増え方を見ると安心して音楽を聴く状況にない。ましてやJRはまだしも広島駅から人ごみのバスに乗るのが怖い。今年度の定演は今回が最初になる。次回から聞くようにしよう。

 パソコンの設定で残るはプリンタとセキュリティ関係。プリンタは年に一度の年賀状作成に使う程度だ。これまで使用していたパソコンで間に合うかもしれない。セキュリティは購入時、3か月のセキュリティが設定済み。この期限まじかに新たに購入することにしよう。

 昨日、パソコンにoffice云々と書いた。これはすでにパソコンに設定済みだった。いろいろと新しことをするには頭を使う。これもボケ防止、と言われればそうだけど本当に神経を使う。パソコン設定をすべて一人ですると話すとお金を出して業者に、という人もいる。それもそうかもしれない。だが、難しく思えることがクリアできた時の嬉しさはやったものでないとわからないかもしれない。ましてやブログは業者任せにはできない。自分で好きでやっているブログ。パソコンも苦にせず楽しんで使いたいものである。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月16日木曜日

パソコンが届いた!

 メーカーダイレクトで購入した新たなパソコンが宅急便で届いた。今回はプリンタを購入しなかった。パソコンもスリムになり軽い。メーカーに電話注文したパソコン。届けばゆっくり設定をすればいい、との思いとは裏腹に気が焦る。それでも慌てず、慌てず、と自分に言い聞かせて段ボールからパソコンを取り出す。今回のはマウスが無線だ。この設定から始まる。何とかマウスが使えるようになった。次はネット接続。ここで思い込みの激しさが露呈する。

 光回線のケーブルをパソコンにつなごうとすると接続できない。マウス設定の際、取説を読んでいるとコネクトUSB3は使えずUSB2を使用、とある。ケーブルも接続コードの大きさが変わったんだ、と勝手に思い込んで大型電気店に自転車で出かける。最初の係は意味がつかめないようでスマホで調べている。2人目のレジにいた係に話すとケーブルはどれも同じで、USB2はコネクタだから関係ないという。そして親切にも取説を見て展示品にケーブルをはせてくれた。OKだ。ケーブルのさし方も慌てていたので抑えずにさしていてはいらなかった、と気づく始末。

 このまま帰るわけにはいかない。ましてやパソコンをこのお店で買っていない。光ケーブルもお店に出かける前に抜いているとプラスチックの一部が取れた。新たに光ケーブルだけ購入してわが家へ戻る。新たなパソコンとケーブルが接続できた。次はメール設定。パソコンへは購入後にofficeを入れる。それをせずしてNTTコミュに電話する。Outlookのメールが利用できない、と話すと今あるOutlookはアプリのでofficeのではないと教えてくれる。そしてOCNメールがメールの玄関口、と諭される。この人も親切だった。メールはOutlook、と思い込んだのが悪い。

 何事もせっかちすぎる。かなり慌てるな、と言い聞かせていたつもりがどうもそうではなかったようだ。とりあえず新たなパソコンは使えるようになった。

 後はofficeを取り込み、プリンタの設定が待っている。これはゆっくりしよう。ほかにもセキュリティの問題がある。今まではマカフィーだった。まだ2年も利用期限が残っている。だが、ウインドウズ10ではマイクロトレンドになっていた。マカフィーは2台目もOKのようだが、ウインドウズ10は互換性がないらしい。いろいろとあわただしい一日が過ぎた。今日から何とか落ち着いた日々となりそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月15日水曜日

深呼吸、深呼吸!

 今、新たに購入したパソコンが届いた。3台目のパソコンの不具合から4台目となる今回のパソコン。新たなパソコンを見ると20年前に初めて買ったパソコンと比べてかなりスリムになっている。段ボールに入ったパソコンは大きなお皿1枚程度の大きさだ。何とか3台目のパソコンも使えそうなので4台目となるパソコンの設定は焦らずに、と思っている。だが、ナニゴトもない頭を使うので少々緊張気味。これまでのパソコンもどうにか使えるように設定して来た。新たなパソコンもどうにかなる、と思って……。

 そういえば、最近深呼吸をしていない。気分を落ち着かせるには深呼吸が一番手っ取り早い方法だ。深呼吸、深呼吸!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう! 

2020年7月14日火曜日

「これを大事に生きてきた」

 明け方午前4時過ぎと4時半の2回、緊急エリアメールが入る。昨夜から降り続く大雨。緊急を要する警報だ。場所は同じ区内でも山側にある町。2年前の豪雨災害の時と比べると感覚的には雨の降り方も違う。2年前の災害時は家がつぶれるのでは?と思えるほどの雨の降り方だった。今朝は空も明るくなり日中は曇り空となりそうだ。

 図書館で借りた本を読んでいる。もっぱら司馬遼太郎の作品を読むことが多い。その合間に図書館の書架からエッセイを借りて読む。みつはしちかこの本に「年をとって心豊かになるというのは、『これを大事に生きてきた』というものがあること。私はやっぱり『初恋のときめき』でしょうか」(72p)とある。(『ひとりぼっちの幸せ』イーストプレス、2013年)

 これを見て自分の場合は、と考える。だが、とっさにその答えが浮かばない。答えが見つからなくてもいつも思うことは若い頃より、歳をとるにつれて心豊か、というか心に迷いがなくなったのは確かだ。小さい頃から大人になるにつれてくよくよしていた性格が変っていった(とはいってもちょっとばかり残っているかもしれないが……)。これは自分のなかに小さな自信が生まれてきたからかもしれない。

 弱く生まれたが成長するにつれて病気知らずになっていった。これと大いに関係ありそうだ。さらには……!?

 ほかにもみつはしちかこは書いている。「もう一度読んでみる。書き写して見る……。きっと想い出に力をもらって、もう一度みずみずしい気持ちを取り戻せるかもしれません」(80p)。

 この「書き写して見る」に同感する。36歳から読んだ本の気に入った個所を読書ノート風に書き写した。それも時代と共に徐々に変化してコピーになり、今ではブログにアップしている。書き写そうと思ったきっかけは今となってははっきりしない。だが、本から書き写したノートは若い頃の自分を取り戻すようで、みつはしちかこの思いがよくわかる。書き写したノートは自分のなかでは貴重な財産。生きてる限りは手放せない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記:ブログ投稿後、しばらくして気づく。「これを大事に生きてきた」は自分の気持ちに忠実に、ということかもしれない。苦手なモノゴトが多すぎた。子供のころ、やりたいのにやらずにというかやれないことが多すぎた。大人になるにつれて自分がやりたいことはできる、できないに関係なくまずはやってみる、そう考えるようになった。それは体を動かすことにもなる。次第に行動的になっていったようだ。

2020年7月13日月曜日

旅の思い出(南アフリカ、ジンバブエ)

 海外の旅の写真整理はほぼ終わりそうだ。会社リストラの前年に出かけた「南アフリカ大自然紀行8日間」。旅のサブタイトルとして〈世界三大大瀑布ビクトリアの滝・喜望峰・サファリの旅〉となっている。これまで出かけた海外旅行のうちで一番遠かった国と思える南アフリカ。関空✈香港✈ヨハネスブルグ✈ケープタウンと何度も飛行機を乗り継ぐ。関空からヨハネスブルグまではキャセイ・パシフィックに乗り、ここからケープタウンはブリティッシュ・エアウエイに乗る。南アフリカは元英国領。ブリティッシュ・エアが飛行するのもうなづける。
 
 当時はブログもやっておらず詳細な旅の記録も残していない。ただ、旅の日程表を持っていた。8日間の旅の間、飛行機で移動しない日はたったの2日間。よく飛行機に乗っている。出かけたのは2001年8月12日から19日の8日間。もう19年前のことになる。20年近く前となれば写真を見ても今よりも若くて元気な顔だ。ジンバブエから自分あてに出した絵葉書が写真と共にあった。記念としてここに記そう。そういえば帰りのドバイの空港でトランジットの時間があり、空港内のシャワー室でシャワーを浴びたことを思い出す。空港でシャワーを浴びは最初で最後のことだった。

 〈26時間かかって南アフリカにやってきた。遠い。ここジンバブエはアフリカ、アフリカ!夜は民族のショーもある。ホテルの部屋は懐かしい「蚊帳」がつってある。2001.8.15〉 

 サファリを終えてホテルに戻る途中、歩道をキリンが歩いていた。これも初めて見る光景だった。初めて尽くしはダチョウに乗ったこと、大瀑布(ビクトリア・フォールズ)の水しぶきを浴びたこと、クルージングでワニを身近に見たこと、ペンギンの群れに出会ったこと、サバンナでバオバブの大きな木を見たこと、金の地下採掘現場に入ったこと、ザンベジ川でツアーの人がバンジージャンプをしたのを見たこと、などあげるときりがない。ザンベジ川と言えば川に沈む夕日はとても美しい。旅の道中、南アフリカへは新婚旅行で訪れてはいけない、と話題になる。それは花嫁よりも夕日が美しすぎる、からだとか。

 改めて日程表をここに記そう。

 1日目 関空発18:30✈香港着21:30✈香港発23:40✈ヨハネスブルグ着日付が変わって6:50着✈ヨハネスブルグ発10:00✈ケープタウン着12:00
 
 2日目 アフリカ発祥の地ケープタウン着後、ケープタウン市内観光。テーブルマウンテン、「ビクトリア&アルフレッド」ウオーターフロント、オーストリッチ(ダチョウ牧場
などを巡る。ケープタウン泊。

 3日目 終日、風光明媚なケープ半島観光。喜望峰ケープポイント、ボルダーズビーチ、カーステンボッシュなど巡る。夜、シグナル・ヒルより美しいケープタウンの夜景を鑑賞。ケープタウン泊。

 4日目 ケープタウン発✈ヨハネスブルグ乗り継ぎ✈ビクトリアフォールズ着。着後ホテルへ。夕刻、ザンベジ川のサンセット・クルーズを楽しむ。夜はアフリカ民族舞踊ショーを鑑賞。ビクトリア・フォールズ泊。

 5日目 午前、ビクトリア大瀑布観光。世界3大瀑布の一つとして有名な最大幅1700m、落差118mのビクトリアの滝を観光。水しぶきを浴びる。夕刻、サファリドライブに出かける。ビクトリア・フォールズ泊。

 6日目 早朝よりサファリドライブに出かける。ビクトリア・フォールズ発✈ヨハネスブルグ着。到着後、ゴールドリーフシティー観光。ゴールドラッシュ時代を再現したテーマパークを楽しみ、また金の地下採掘現場であるアンダーグラウンドツアーに出かける。その後、ゴールドリーフシティー発✈ヨハネスブルグ着。ヨハネスブルグ泊。

 7日目~8日目 午前、首都のプレトリア市内観光。フォートレッカー記念碑、行政庁舎を巡る。観光後ヨハネスブルグに戻り、空路、香港乗り継ぎで帰国の途につく。関空 14:45着。

 やっぱり旅はいい。写真を見ても20年前は当然若いし、はつらつとしている。そして何より旅を楽しんでいる。ああ、旅を楽しめなくなると誰が予測しただろう。すべてはコロナ。海外の旅もしばらくというかかなり先まで行かれそうにない。旅だけでなくナニゴトもやれるうちにやらないと時間はあっという間に過ぎていく。今は連日の大雨で本を静かに読むしかなさそうだ。頑張れ!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
ザンベジ川の夕日

2020年7月12日日曜日

昨日の日本画教室

 2年前の豪雨、そして今回の九州各地を襲った豪雨と自然の脅威にまだまだ油断できない。それに今年はコロナが加わる。広島のコロナ感染者情報も毎日報告される。その大半は東京移動と関係がある。今週末、4か月ぶりに広響定演が再開される。聞きに行く予定だが、今一歩気持ちがついて行かない。

 昨日は日本画教室の日。出かける前に20年前に初めて購入したパソコンを引き取ってもらう手続きをする。2,3台目のパソコンはメーカー直で購入のため廃棄の費用が掛からない。ところが同じメーカーでもメーカー直でなく大型電気店などで買った機種は3300円経費が掛かる。この費用をコンビニ決済で済ませるとメーカーから着払いの荷札が送付される。そして業者が古いパソコンを引き取ってくれる。昨日、初めてコンビニ決裁を利用した。コンビニは1,2年前に我が家から4軒先に新規開店。コピーや特に必要なものだけを買いに行く程度で殆どコンビニを利用しない。それでもコンビニ決済は郵便局まで行かずに済むので便利だ。

 さて昨日の日本画教室。前回作った下絵をパネルにトレースする。55番と7番の水干絵具を混ぜて膠で溶く。竹の節目の個所だけ色づけせずに色を施す。これだけで竹らしくなる。まだまだ本画完成までには時間がかかる。絵具が残ったので勝手に下部に笹の葉を描いた。これはやり方が違うらしい。次回からは気を付けよう。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月11日土曜日

先週の日本画教室

 なんとかパソコンは起動するようになった。あと数日すると新たなパソコンが届く。パソコンの寿命は我が家では1,2台目はともに丸7年使い、3台目は丸6年使っている。新たに買う4台目は3台目と併用して使う!?パソコンに依存していた生活にかなりブレーキをかけている。といいながら、108歳のダグニーさんのブログを見るとパソコンの不具合などあってもなんとか続けてアップされている。パソコンがなんじゃ、ブログがどうじゃ、と思いを巡らせつつもダグニーさんのことを思えば大した問題ではない。

 そう思うとやっぱりダグニーさんはすごい人だ。108歳までお元気なこともそうだが、それに加えてブログのアップをされている。弱音を吐いてる場合じゃない。

 今日は午後から日本画教室。先週は以前に描いた柑橘類の絵をざっと水で濡らした筆で膠などを拭い、その上に新たな黄土系の水干絵具で地塗りした。今日はこの黄土系のパネルに筍が竹になる様子を描いて本画に仕上げていく。

 この1週間、頭のなかはパソコン、パソコン。一つのことだけを思わず、広い視野でモノコトを考えないといけない。そう思うとまだまだ人間ができていない。いつまでも小さいことにとらわれすぎだ。もっと外に目を向けて、と思いながらも雨は降るし、コロナ感染者は増えるし、でパッとした気分になれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月10日金曜日

『寂聴 九十七歳の遺言』

 『峠』上・中・下の3巻を読み終えて、次に読むのは『菜の花の沖』全6巻。司馬作品は多すぎて何を読んだか忘れそうになる。ワードに読んだ本の一覧を記しているが、パソコンの不具合があるとそれを見るのもままならない。今のところパソコンも落ち着いてきた。その合間に読んだのが『寂聴 九十七歳の遺言』(瀬戸内寂聴 朝日新聞社、2019年)。図書館で予約した本だが寂聴人気なのかすぐには順番が回ってこない。予約確保後、すぐに読んだ。エッセイと言っても編集者が寂聴さんと会話して聞き取っている。

 エッセイの類は司馬作品と違って読みやすい。以下はいつものごとく気になる箇所を抜粋したもの。97歳の寂聴さんの言葉は素晴らしい。母は96歳になる年に亡くなった。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★私たちは幸福な時、あるいは自分は幸福だと思っている時には、皮膚のように自分にくっついている孤独に気がつきません。
 私たちが自分の孤独に気づくのは、自分が不幸だと思ったときでしょう。50p

★「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。されば人と共に住するも独なり。そひはつべき人なき故なり」(一遍上人語録)
「人間とは生まれる時もひとりなら、死ぬ時もひとりである。また、人と一緒に暮らしていてもやはりひとりなのだ。死ぬ時まで一緒に死ねる人はいないのだから」56p

★いつ何が起こるかわかりません。だからこそ自分のしたいことをした方がいいのです。103p

★「過去を追うな。未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだ至っていない。今なすべきことを努力してなせ」(中部経典)……曹洞宗の宗祖の道元禅師はそれを「切に生きる」のひと言で表しました。この一瞬一瞬を一生懸命に生ききる。私の大好きな言葉のひとつです。109p

★繰り返しになりますが、自分の好きなことが才能ですから、誰にでも必ずあるんです。119p

★自由とは、心にわだかまりのないこと。他からの束縛を受けず、自分を中心にして何物にも振り回わされないというのが自由です。124p

★インドサイの鼻先に一本だけそそり立つ角は孤独のたとえです。「孤独を怖れず、ただ独り歩め」とお釈迦さまは説いています。これは俗性を離れ、悟りを求めて修行する出家者に向けたことばですが、私たちでも同じでしょう。135p

★そのうちだれかが死んでいくでしょうが、死んだ時にお葬式に行ったりお線香をあげに行ったり、そんなことをする必要はないのね。だって死んだ時に行っても仕方がなじゃないですか。お友だちは死んでいるのだから。そんなものはお坊さんに任せておけばいいのです。152p

★年をとるほどに悩みが少なくなって、楽しいことももたくさんあります。それを私は、私の肉親なり私が愛した人たちの魂が、みんなで私を守ってくれているおかげだと信じているのです。179p

★死者を覚えていること、忘れないことが何よりの供養です。でも人間はすぐ忘れる。私たちが忘れないためにお墓はあります。今あるお墓は、そのままそっとしておきましょう。183p

★私たちはいつかどうせ死ぬために生きてきたのです。死を思いわずらうことはやめて、その与えられた生涯の一刻一刻を大切にして、実りある生き方をするようにしましょう。189p

★死んだ後のことは何も心配していません。どうでもいいと思っています。岩手の天台寺に小さな墓をもう買ってあるので、ここに骨を入れてくれたら十分です。……私は今のところ、「愛した、書いた、祈った」と彫ってもらう予定です。192p

2020年7月9日木曜日

「要するに大したことじゃない」

 初めてパソコンを購入したのは2000年。当時NHKのパソコン講座で使われていたのと同じNEC製の小さいデスクトップ型だった。同じ機種なのでテレビ講座を見てもわかりやすかった。初めてのパソコンは大型電気店で購入し、電話機も同時に買った。タクシーで持ち帰ったことを思い出す。訳も分からず、自分ですべてを設定した。

 それから7年後、2台目のWindowsXPのノートパソコンをメーカーダイレクトでプリンタと共に購入。これらが宅配されるとこれも自分で設定できた。それから7年後、同じくメーカーダイレクトで3台目となるWindows8.1をプリンタと共に購入。これは今から6年前の7月4日に購入していた。それから丸6年後の今月5日にパソコンが起動しなくなる。連日、頭を冷やしながらパソコンと格闘しているとなんとか起動するようになった。だが怪しい限り。来週になればメーカー直で注文した4台目となる新たなパソコンが届く予定。これも宅配で送られてくる。届けば新たなパソコンの設定が待っている。

 いつの間にか使わなくなったパソコンが増えてきた。購入するメーカーに頼んで古いパソコンを引き取ってもらうことにした。とりあえず今回は2台を処分する。処分する方法は取扱説明書を読んでいて気づく。「取説」を読みながらこれまで如何に読まずにいたかを思い知る。メーカー直での購入品は無料で引き取ってくれる。だが、電気店での購入は同じメーカー製でも3300円経費が掛かる。それでもメーカーに返すのは安心だ。

 今回のパソコン不具合でパソコン関係のパソコン、ネット接続のための光電話、プリンタなどの説明書など一つにまとめた。いざ、パソコンを設定するにしても迷わないようにした。

 連日の雨の中、パソコンが壊れるなどなぜか落ち着かない生活をしている。何かあるとすぐに慌てふためく。これから先、自分で解決できないことがあるかもしれない。その時はどうする?と自分に問いかける。もっと気を大きく持って生活しないといけない。何かの本に書いてあった。「要するに大したことじゃない」。改めて思い出した。

 別にパソコンがなくてもいいじゃない?世の中、元気でいれば何とかなる!と思って……。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 追記 「要するに大したことじゃない」を改めて確認すると林語堂の言葉だった。多分、持本哲郎が林語堂の言葉として本で書いていた気がする。

2020年7月8日水曜日

『峠』(中)

  パソコンの調子がよくない。恐る恐るパソコンに触るという感じで、起動もままならない。ブログもいつまでアップできるかそれさえ怪しい。あまりにもパソコンに振り回される生活は体に良くない。時に、パソコンから目をそらすが、なぜか気になる。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

 以下は先日読んだ『峠』(中)(司馬遼太郎 新潮社、平成十九年第十二刷)からの抜粋。

★江戸時代というのは、金銀ふたつながらの本位で、いずれもを尊ぶ。……江戸では「千両役者」という。年俸で金千両をとっているスターのことをそういうのだが、これは銀本位の大坂では通用しない。……また角力(すもう)の世界でもそうである。角力の階級で「十両」という番付がある。年俸を小判で十両とっている者をいうのだが、金小判が本意でない大坂ではこれはいわない。113p

★この幕府のもっとも重要な大名統御の政策を、数年前、幕府自らが捨ててしまったのである。捨てたのは、井伊直弼のあと幕政を担当した改革好きの松平春嶽であった。理由は、「外国の侵略にそなえねばならぬときに、大名を疲弊させるこの法はよくない」というものであり、このため諸大名の家族は江戸を引きあげ、国もとへ帰り、参勤交代も事実上廃止されたのである。119-120p

★攘夷、外国をうちはらうこと。この理念は嘉永六年のペリー来航以来、天下在野の最高の正義であった。幕府当局は列強の威圧で日本の一部の港をひらき、その港を中心に外国貿易をはじめたが、この幕府の態度に対し天下の志士はこぞって反対し、攘夷の気勢をあげた。幕府の屋台骨をゆさぶるような日本史上最大のエネルギーであったといっていい。234p

★「天子は、神である」というのが、日本人の土俗信仰である。日本語でいう「神」というのは「清浄なるもの極致」という意味であり、切支丹の神や、讃岐の金毘羅さんのような仏教神や、天神さんのような、菅原道真の怨霊を祀ったような神とは、成立がちがっている。それらの神は、なんらかの力をもっている。
 日本古来の原始神は、ほとんど力をもたない。人に金もうけの運をもたらしてくれないし、人の病気をなおしてくれず、長寿をもたらしてくれるわけでもない。ただ浄げに存在し、ただ人の尊崇をうけるだけである。(そういうものだ)と継之助は理解している。281-282p

★もし戦国の世ならば慶喜とその徳川方は必ずしも負けはしなかったであろう。しかしこの時代は思想の時代であった。つまり尊王である。……であるのに慶喜は朝敵にさせられた。しかも慶喜は尊王思想の総本山ともいうべき水戸家の出身なのである。(逃げよう)と慶喜が思ったのはこのときであろう。慶喜は後世をおそれた。キリスト教ではユダが最大の悪人であるごとく、尊王思想では足利尊氏が最大の悪人であった。慶喜は後世尊氏と並べられることをもっともおそれた。331-332p

★「まあ、おすわり」と、福地は、自分の机のそばに継之助をすわらせた。たれも見たこともない顔つきの男を見とがめる者すらいないのである。
 (亡国のおそろしさだ)とおもった。人間関係の秩序などじつにむなしいもので、大政奉還と鳥羽伏見におけるたった一度の敗戦が三百年の城内の秩序を一朝にしてくずしてしまったのである。敵がくずしたのではなく、幕臣みずからがくずしてしまった。383-383p

★自由と権利というものが西洋の先進文明を成り立たせている基礎であり、政治、法律、社会をはじめ、人間の暮らしのうえでの小さなことがらにいたるまでの基礎思想であり、さらには人間を人間たらしめている大本であるkとにm日本人のたれよりも早く気づいたのは福沢諭吉であろう。416-417p

★福沢がひそかに理想としているのは、たとえば項目風にいえば、身分制の撤廃、言論の自由、信仰の自由、職業選択の自由、商工業を営む場合の自由といったものであろう。自由は権利に裏打ちされている。その権利は国家によって保護されている。それを保障し保護するような国家をつくるkとがこの幕府外交方翻訳掛福沢諭吉の理想なのである。(だから討幕も佐幕もない。福沢の眼中、徳川家も薩長もない。そういう国家をつくる政権であればよいのだ)420p

★「私は世迷いごとのほうですよ」と、継之助も福沢にいった。継之助にとってもっとも大事なのはその世迷いごとであった。福沢は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている。426-427p

★福沢は経済主義こそ人間を幸福にさせる道であると信じ、その経済主義を正義とするたてまえから封建制を否定し、徳川家や諸大名の存在をmう意味であるとし、資本主義こそ文明を開く原動力であるとし、資本主義の前提として自由と権利を強調している。
 継之助は、そこまでゆかない。かれは藩という荷物を背負っているがために、福沢のようにひろがりのある思想の広野に出ようとはせず、出たいともおもわなかった。継之助いとって藩という封建の遺物そのものの大荷物は、けっしてにがにがしいもnがしいものではない。
――藩、すべてが藩。
 というのが、継之助の思想であった。433p

★「射利」というkとばで、この時代の人々は投機のことをいった。継之助にすれば、西洋の会社のごとく藩そのものが投機事業を営もうとするのdえある。434p

★隊ということばを日本語に加えたのは幕末の長州人である。戦士の組織のことをあらわすふるい日本語である「組」という語をつかわず、未使用の漢語のなかから隊という語をさがしだしてきた。騎兵隊、力士隊、報国隊、なんとか隊というようなものをかというようなものを数多く作った。475p

2020年7月7日火曜日

ご無沙汰気味のブログ

 3日前にパソコンの電源が入らなくなった。すぐにメーカー直で新たなパソコンを注文する。だが、自宅に届くまでに10日くらいかかるらしい。結構、パソコンに依存した生活だった。ブログも毎日アップしていた。それもこれもパソコンの不具合でダメになる。毎日、何度かパソコンを起動してみるが全くダメだ。いま、ダメもとで起動を試みるとなんとか動いた。もしかしたらパソコンに頼るな、とのシグナル!?

 パソコンがどうにか作動してもいつどうなるか怪しい限り。2,3日、ブログをご無沙汰した。これはパソコンの不具合のためで、人間はいたって元気。

 とりあえず、パソコンの不具合を報告。だが、明日のパソコンの調子はどうなっているかわからない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月4日土曜日

髪が伸びた!

 朝、目を覚まして飛び込んだのは大雨特別警報のニュース。七夕の時季、2年前に広島県も大雨の被害にさらされた。幸い我が家は何もなかったけれども雨の恐ろしさは十分理解できる。身を守ることを第一に、と避難を促す報道が続く。ひどいことにならなければいいけど……。

 コロナで始まった今年の前半が過ぎ、コロナ騒動のままで後半に突入する。コロナ感染者の勢いは収まるどころか日に日に勢いを増している。コロナで変わった日常生活の中に髪の長さがある。2月に髪を切って以降、5か月間、美容院とご無沙汰だ。写真を整理していて気づいたことがある。それは年々、髪の長さが短くなっている。これ以上、髪を短くするのはやめようと思った。2月に美容院へ行ったとき、髪をそろえる程度に切った。歳をとっても髪は伸びて肩まで届くようになった。ただ、髪が長くなるとプールで泳ぐときは結ぶので困らないが、泳いだ後が大変。ドライヤー持参でプールに行くが髪を乾かすのに一苦労する。夏は自然乾燥もありだが冬は乾かさないと風邪をひきそうだ。まあ、今は余計なことは考えず……。雨が上がりますように!

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月3日金曜日

世の中、変!

 同じ区内に住む人が10万円給付金がらみの詐欺で騙された事件は今朝の地元紙によると犯人逮捕とある。他の区に住む人が同じ手口で騙されようとしたところを警察が張り込んで逮捕となった。しかし、騙される事件はほかにもある。それは葉書を送り付ける詐欺だ。これは騙された金額も大きく報道される。

 電話はナンバーディスプレイ対応で被害を防げる。だが、葉書は受け取った瞬間、いやな気持になる。2年前に2度ほど我が家にも届いた。昨年も1度葉書がきた。その葉書が手元にあるだけで嫌な気持ちになる。消費生活センターに電話したり警察に電話して気を紛らわせた。一番は葉書を破棄するに限る!?

 詐欺まがいの葉書は母が亡くなった2011年に初めて届いた。法務局で家に関する名義変更を終えたばかりのころだ。不動産の裁判、というような葉書だった。法務局で名義変更をした物件を閲覧できるのかもしれない。その際、自分がとった行動は忘れてしまった。というか、その頃から特殊詐欺の葉書が出回っており、対処方法を知っていたのかもしれない。

 どうであれ、母が元気だったころは電話や葉書による詐欺はそれほど世間に広まっていなかったように思う。

 その頃から10年足らずでオレオレ詐欺や変な詐欺事件が頻繁に発生し、今や詐欺に加えてコロナ禍まで恐怖となる。報道によると次は豚インフルが発生したとか。空中を見ればわけのわからない物体が飛んでいる。世の中、どうなっているのだろう。自分をしっかり持って変なことに惑わされないようにするしかなさそうだ。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

2020年7月2日木曜日

『アンチ整理術』

 雨もあがって梅雨とは思えない清々しい朝を迎える。コロナ禍のなか、元の日常に戻りつつあると思った矢先に広島市内でコロナ感染者が出ている。昨日はまた地元紙に同じ区内に住む人が特殊詐欺にあっている。なぜ被害にあうのだろうか。これは電話機に問題があると思う。電話機をナンバーディスプレイ対応にして登録していない電話番号に出なければ変なことに合わなくて済むはず。ところが人と話をしているとナンバーディスプレイ対応でない電話機の家も多い。留守電にするだけでなく、ナンバーディスプレイ対応の電話機を推奨すれば、と思うけど、どうなんだだろう。
 
 『アンチ整理術』(森博嗣 日本実業出版社、2019年第3刷)を読んだ。以下はいつものごとく気になる箇所の抜粋から。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
 
★人間関係も、まずは自身の思考、自身の価値観を、きちんと整理・整頓したうえで、常に更新し、修正し、再認識していく必要が、これからはあるだろう。人間は長生きするが、時代の変化は速くなっている。個人が何度もリセットしなければ追いつけない時代になった、といえるかもしれない(134p)。

★自分自身を整理・整頓するとは、簡単にいえば、自分が生きるうえで、「一番大事なことは何か?」、あるいは、「目指しているものの本質は何か?」を考えることだろう。それを考え尽くせば、余分なものが自然に排除され、頭はすっきりするし、行動も洗練されるように思う(154p)

★思いつくことが、創作の起点である(214p)。

★ものを整理するとかではなく、結局は、自分の生き方を整理することの方がずっと大事なのではないだろうか。生き方は、なにも死に際でなくて、若いときからでも良いから、整理・整頓をし、綺麗にしておくと、とても生きやすくなるだろう。無駄なことに迷うことなく、自由で楽しく生きられるのではないか、と想像する(232p)。

★人生の整理・整頓ができている人に共通するのは、自己評価が絶対的である点だ。自分の人生の計画も、またその評価も、すべて自分一人で行っている。誰かのためにしている行為を伴った場合でも、あくまでも自分で結果の評価をしている。
 頼まれたわけでもない、褒められたいわけでもない、自分がやりたいからやっている。この自発性というか、自己完結的な部分が、人間としてとても魅力的に見える理由だが、これは僕だけの感覚だろうか(233p)。

★人間は本当に自由なのだ。……その一日の自由を毎日積み重ねるだけで、とんでもなく大きな自由と楽しさが、あなた自身のために実現するはずである(244p)。

2020年7月1日水曜日

18年前のこと(旅の思い出 北海道)

 一日中降り続く雨と風、こんな日は外に出ず家でおとなしく過ごす。まだ残っているアルバムを整理する。アルバムといっても現像する際にもらう冊子のような写真帳である。昨日は6月30日。なんと18年前のこの日と前日、北海道の札幌と小樽に出かけている。前年、北海道大学に赴任された先生を訪ねての旅だった。

 先生といってもその当時はまだ20代後半と若い。その頃はアジアを学ぶ塾に長年通っていた。塾生になって7年目に北海道に行った人たちと同じゼミ生になった。年齢も職業も全く違うゼミ生。若いゼミ担当の先生に1年間、楽しく学んだ。時に打ち上げと称して皆で食べて飲んで楽しく過ごす。その時の先生はすでに京都大学で博士号を取得して広島大学の助手をされていた。

 ゼミ担当後まもなくして先生は北海道大学へ助教授として赴任される。ゼミ生のうち4人は先生を訪ねて北海道大学に出かけた。新婚間もない若い先生夫妻はワゴン車を借りて札幌と小樽を2日間、案内してくださった。北海道大学の研究室へは守衛の許可が下りず、校内を案内してもらった。校内は日本で一番ともいえるほど広さを持っている。ポプラ並木など歩いて観光した。夜はサッポロビールとジンギスカン鍋で先生との再会を祝し、翌日は小樽に出かける。

 1泊2日の短い日程でも楽しく過ごした。だが、その日から数日後にリストラの運命にあうと誰が予測しただろう。リストラ、と聞くといい意味には取れないかもしれない。だが、世の中、いいようになっている。と、当時を振り返ってつくづくそう感じる。リストラ後、2週間目のアジア塾に行く途中で目にした大学の募集案内。募集要項の冊子を家に持ち帰った。大学へ行こう、と決心。だが受験するにも何をどうして良いかわからない。その時、頼りになる人がいた。北海道大学に赴任された先生だ。すぐにメールで先生に問い合わせると、長い長い返信メールが届いた。

 あの時、北海道大学に先生を訪ねていなければメールでの問い合わせもできなかったかもしれない。過去問を取り寄せること、とメールにあった。

 これまでの人生を振り返ってみると何か不都合があると必ず誰かに助けられている。リストラの時もそうだったし、母がいなくなった時もそうだった。若いころに話を戻してもよくないことがあればいつも誰かに助けられている。そのためか、これから先のこともあまり深く考えなくなった。何とかなる!そう思っている。

 その年の8月のお盆は黄山の旅を予定していた。会社リストラ以前に申し込んだ黄山の旅は姪と出かけた。この旅は人生前半最後の海外旅行となる。それ以降9年間、旅は御法度となり、人生で一番忙しい9年間を過ごす。リストラ後、この夏で丸18年になる。北海道大学の先生は10年くらい前に大阪の大学に赴任された。数年前には早くも教授になっておられる。今年の年賀状には3人の子供さんたちとの写真に添えて、相変わらず海外でのフィールドワークをしています、とある。若い研究者の姿がそこにあった。

 写真の整理をしていると時に昨日のような思い出に浸ることもある。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!