『峠』上・中・下の3巻を読み終えて、次に読むのは『菜の花の沖』全6巻。司馬作品は多すぎて何を読んだか忘れそうになる。ワードに読んだ本の一覧を記しているが、パソコンの不具合があるとそれを見るのもままならない。今のところパソコンも落ち着いてきた。その合間に読んだのが『寂聴 九十七歳の遺言』(瀬戸内寂聴 朝日新聞社、2019年)。図書館で予約した本だが寂聴人気なのかすぐには順番が回ってこない。予約確保後、すぐに読んだ。エッセイと言っても編集者が寂聴さんと会話して聞き取っている。
エッセイの類は司馬作品と違って読みやすい。以下はいつものごとく気になる箇所を抜粋したもの。97歳の寂聴さんの言葉は素晴らしい。母は96歳になる年に亡くなった。
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
★私たちは幸福な時、あるいは自分は幸福だと思っている時には、皮膚のように自分にくっついている孤独に気がつきません。
私たちが自分の孤独に気づくのは、自分が不幸だと思ったときでしょう。50p
★「生ぜしもひとりなり、死するも独なり。されば人と共に住するも独なり。そひはつべき人なき故なり」(一遍上人語録)
「人間とは生まれる時もひとりなら、死ぬ時もひとりである。また、人と一緒に暮らしていてもやはりひとりなのだ。死ぬ時まで一緒に死ねる人はいないのだから」56p
★いつ何が起こるかわかりません。だからこそ自分のしたいことをした方がいいのです。103p
★「過去を追うな。未来を願うな。過去は過ぎ去ったものであり、未来はまだ至っていない。今なすべきことを努力してなせ」(中部経典)……曹洞宗の宗祖の道元禅師はそれを「切に生きる」のひと言で表しました。この一瞬一瞬を一生懸命に生ききる。私の大好きな言葉のひとつです。109p
★繰り返しになりますが、自分の好きなことが才能ですから、誰にでも必ずあるんです。119p
★自由とは、心にわだかまりのないこと。他からの束縛を受けず、自分を中心にして何物にも振り回わされないというのが自由です。124p
★インドサイの鼻先に一本だけそそり立つ角は孤独のたとえです。「孤独を怖れず、ただ独り歩め」とお釈迦さまは説いています。これは俗性を離れ、悟りを求めて修行する出家者に向けたことばですが、私たちでも同じでしょう。135p
★そのうちだれかが死んでいくでしょうが、死んだ時にお葬式に行ったりお線香をあげに行ったり、そんなことをする必要はないのね。だって死んだ時に行っても仕方がなじゃないですか。お友だちは死んでいるのだから。そんなものはお坊さんに任せておけばいいのです。152p
★年をとるほどに悩みが少なくなって、楽しいことももたくさんあります。それを私は、私の肉親なり私が愛した人たちの魂が、みんなで私を守ってくれているおかげだと信じているのです。179p
★死者を覚えていること、忘れないことが何よりの供養です。でも人間はすぐ忘れる。私たちが忘れないためにお墓はあります。今あるお墓は、そのままそっとしておきましょう。183p
★私たちはいつかどうせ死ぬために生きてきたのです。死を思いわずらうことはやめて、その与えられた生涯の一刻一刻を大切にして、実りある生き方をするようにしましょう。189p
★死んだ後のことは何も心配していません。どうでもいいと思っています。岩手の天台寺に小さな墓をもう買ってあるので、ここに骨を入れてくれたら十分です。……私は今のところ、「愛した、書いた、祈った」と彫ってもらう予定です。192p
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