毎日異常な暑さが続いている。先ほど姉は水道が通ったと電話してきた。ところが、JRが不通のため孫たちの通学を心配する。これは自分だけが心配してもどうにもならない。行政が子供たちの教育の機会を何とかしてくれるはず。そう期待するしかない。
暑い日に、家でじっとするのも嫌なので9月にある日本画作品展に出品する我が絵3枚の内、2枚を額に入れる。1枚はそのままで展示。たかが額と言っても結構なお値段。決して上手に描けたとは言えない我が絵でも「馬子にも衣裳」、のことわざ通り、纏うものでよく見えることもある。これまで出した額入りの絵を外して今回の絵をはめてみる。ダークな感じの絵は白っぽい額を、その逆はまたその逆で、とこれまで買った画廊の人の話。それを覚えていたので絵を額から外したり入れたりしてどの額が似合うか試してみる。何とか絵も額に収まった。
額も表面がガラスのとプラスチックのがある。ガラスの額は重い。今年の絵2枚は新たな額を買わず、これまでの額を利用するつもり。これは絵を習い始めてから先輩たちに教わったこと。額が増えておき場所に困る、とのことだった。教えてもらってからはF6の木製パネルに描いて額もその大きさと決めている。それにしても額から絵を出し入れするのも結構草臥れる。画廊の人は大きな額の出し入れもされる。大変な仕事だ。
次は絵のタイトル。とりあえず前回の教室にタイトルを書いて出す。しかし、本を読んでいていい文に行き着く。次回の教室でタイトルを変更しよう。これ、結構楽しい!
以下は先日読んだ篠田桃紅の本から再度抜粋。
「もしこの世の中が幸福で、悩みなどなかったら、どんな世の中になっていたでしょう。おそらく芸術、文学、音楽のたぐいはなかったでしょう。人は生きていて、苦しい、悲しいから芸術が生まれました。不幸がなければ芸術は必要ありません。どこかで人は、不幸を感じているから、芸術に心を寄せるのです」。(『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』篠田桃紅、幻冬舎、2017年)54p
この芸術、文学、音楽、自分にとっては芸術は日本画、文学は本を読む、音楽はフルートなどが当てはまる。「不幸を感じているから、芸術に心を寄せる」と言われればそうかもしれない。とはいっても特に不幸と思ったことはない。むしろ、この年齢まで元気に生きて好きなことがやれることの幸せを感じる。これも芸術のお蔭!?
この本には知らないことが書いてある。それをさらにメモしよう。
★「ニ河百道」を主題に絵を描くことがあります。ちょっと踏み外せば氷の河に落ちる。ちょっと踏み外せば火の河に落ちる。その間に白い細い一筋の道がある。それを見つけて生きていくのが人生だという意味です。86p
★生きていれば、突然、なにが起こるかわかりません。なにかが起きると、人は救いを求めます。すると知恵というものが、思いもかけず降りてくることがあります。それを詩人の三好達治は、信じなさい、と言いました。
「ああ智慧は かかる静かな冬の日に
それはふと思ひがけない時に来る
人影の絶えた境に
山林に
たとへばかかる精舎の庭に
前触れもなくそれが汝の前にきて
かかる時 ささやく言葉に信をおけ
「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」(「冬の日」よ)95-96p
★「玄」は人生の始めで終わり
墨が玄の色とされる所以は、墨は何回塗り重ねても、絵の具などと違って、真っ黒にはならないからです。闇には決してならない。一点の明るさを残します。そして、その一点は、人の手が為す領域でなく、天地自然、神、宇宙、人間のはかりしれない大きな手に委ねています。真の玄人は、なにもかもやり尽くそうとはしません。どこかに一点残して、あとは天地自然、あらゆるものにチャンスを残します。119-120p
★無知は罪の一つと言われています。無知でいることは、自分の人生を投げ出しているようなものです。160p
ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!
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