2018年7月19日木曜日

「どこかへ行けば、きっといいことはある」

 連日、猛暑日が続く。それでも運動を兼ねて一日に一度は外へ出る。せめてプールがあれば、と思うけどそれも今は無理。それならばと運動がてら月命日のお墓参りに出かける。とはいっても暑い。これも運動と覚悟を決めて山道を歩く。歩くと言っても往復の携帯万歩計は2877歩。それほど歩いてはいない。しかし、帰宅後は汗でびっしょり。すぐにシャワーを浴びる。

 そういえば今年は去年までと比べて、したたり落ちるほど汗をかかない。ということは体を動かすことがこれまでより少ないのだろうか。一休み後、図書館で予約確保の本を受け取る。先日来から吉行和子の本をよく読む。借りたのは『浮かれ上手の話下手』(文春文庫)。このなかにある「初めての海外旅行」として「どこかへ行けば、きっといいことはある」がある。吉行は「わたしの一番の楽しみは海外旅行だ」とか。87p

 「どこかへ行けば、きっといいことはある」はこの本で知った。それは立原道造の「天の誘ひ」の初めにあるという。立原道造の詩集は買って読んだ覚えがあるので起床後、本棚を探す。あった!昭和55年の20刷発行の本だ。今から38年前に早くも20刷ならば今ではどれくらい版を重ねているのだろう。立原道造の本は持っていてもその内容までは覚えていない。38年前といえばまだ海外に出かけていない。しかし、それから2年後に中国語を習い始めてボツボツいろんなことをやり始めるころだ。

 立原道造の本を探しているとその傍に『盛世才』の本がある。手に取ると真新しい。出版年を見ると2003年の北京の新華書店発行とある。この人に関することを社会人大学生のときに卒論で取り上げた。卒論発表は2007年。なかを見ると第2章に付箋紙を貼っている。気になるのは中国語の本をいつどうやって手に入れたのかを全く覚えていないということ。無我夢中で過ごしていた頃だ。先ほどネットで調べると北京で発売された1年後の出版がある。出版社が異なるのかもしれない。ともあれ、この本を見て暑さで緩んでいた気持ちがぐっと引き締まる。

 『立原道造道造詩集』(小山正孝編 彌生書房、昭和55年)の「天の誘ひ」の一部を記そう。

 死んだ人なんかゐないんだ。
 どこかへ行けば、きっといいことはある。

 夏になったら、それは花が咲いたらといふことだ。高原を秋深く行かう。もう母もなく、おまへもなく。つつじや石楠花の花びらを踏んで、ちょうどついここの間、押し葉を踏んだやうにして。(以下略)60p

 立原の本を読んだころはまだ海外に目覚めていない。吉行和子に教えられて再度この本を読もう。「どこかへ行けば、きっといいことはある」、もしかしてこの気持ちを抱いて海外に出ているのだろうか。「どこかへ行けば…」とまでは言わなくても「(じっとせずに)何かをしていれば、きっといいことはある」との思いは強い。燻ぶる気持ちになる前にまずは行動を…。

 ともあれ今日も元気で過ごしましょう!

盛世才の本

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