2018年7月15日日曜日

『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』

 3種間ぶりに日本画教室に出かける。先週の教室は街中に住む3人が出席し、残りは災害の影響で足がなく欠席だったそうだ。久しぶりの教室へは1か月くらい前からわが家の狭い庭に咲いた赤紫色のカラーを持参する。ついでにプランターにはびこるベゴニアを根っこから抜いて持参する。ベゴニアは教室の人にあげた。

 先日来から旅先で絵になりそうな写真を見てデッサンしていた。昨日は持参したカラー3本と葉っぱ2枚を花瓶に活けてデッサンする。以前に白いカラーをデッサンした。花の色が違うだけ、と思った。しかし、持参したカラーは白いカラーほど花弁も大きくなく、少々草臥れ気味の状態で小さい。葉っぱも白ほどの大きさがない。ともあれ、まずは3本をデッサンする。この後、色鉛筆で色を施す。次に葉っぱを2枚、デッサン。葉っぱは実物大にデッサンできないので2分の1の大きさにする。デッサン帖の隅に2分の1とメモ。これは先生のアイデアだ。

 日本画はいろんなデッサンを組み合わせて本画にしていく。そのため、花瓶に活けたそのままの状態をすべてデッサンするとは限らない。この点は視力の悪いモノにとっては都合がいい。

 話は変わって災害をもたらすほどの豪雨の日や暑くて外へ出歩きたくない日に読んだ篠田桃紅の『一〇五歳、死ねないのも困るのよ』(幻冬舎、2017年)。この中に「人生とは、自分以外の外界とのつき合いです」の頁がある。「外界は自分一人の力では変えられません。雪が降らないようにと思っても、降るときは降るように、人も社会も自分の思うようにはなりません。老いも同じです。老いは自然ですから、どうにかなるものではありません。しかし、外界は変えられなくても、自分はいくらでも変えられます。…」とある。そして中谷宇吉郎の「雪は天から送られた手紙である」を例にあげて「なにがあっても、うんざりだと思うよりは、たいていのことは受け止めて喜ぶほうが、人生は豊かになります。そして自分の心に広がりと厚みを持たせて、その心を働かせていれば、人生はいつまでも飽きません」とあり、その人次第で「人は、どのようにも老いることができて、どのようにも人生を楽しむことができます」という。20-22p

 今回の豪雨災害。わが家は被害はなくてもあまりにも身近に起きた災害。気持ちは穏やかではいられない。その時ふと思う。原爆が落とされたときはどんな状況だったのだろうか、と。実感として分からない。水がない、JRが動かない、など無いない尽くしをはるかに超えて何も無い、命もない状況だったと思うと、もうこれ以上考えられない。そんな時は桃紅さんのいうとおり、「なにがあっても、うんざりだと思うよりは、たいていのことは受け止めて…」と思うのが賢明かもしれない。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

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