2018年7月30日月曜日

『烈しい生と美しい死を』

 今年の7月は災害と台風に見舞われていつまでも記憶に残る月となった。1年を通してほぼ毎日のように自転車に乗って家から外に出る。ところが今月は家で本を読むことが多い。読む本の大半は図書館の予約で確保する。しかし、手元に届くまでは何か月もかかることがある。これではすぐに本が読めない。仕方なく、地元にある区の図書館の蔵書を借りて読む。『烈しい生と美しい死を』(瀬戸内寂聴 文藝春秋、2012年)もこの災害時に読んだ本。

 「青鞜」の時代はそれほど昔のことではない。自分の両親が生きた時代と重なっている。この本に登場する人たちは恵まれた家柄の出身であり、世の中の先端を生きている。女性解放を唱えながら、触れ合う男性との間に次々と子供を産む。そういう時代だと言えばそうかもしれない。しかし、この辺は今の先端を行く女性たちとは趣を異にしそうだ。

 「青鞜」の時代と今の時代の女性の生き方はどれほどの変化があったのだろうか。基本的にはそれほど大差がないようにも思える。とはいっても今は言論や思想の自由が当時とは比べられないほどよくなり、また、女性の生き方も多様化している。

 この本を読んで著者がこれまで書いた本のテーマに一貫性があると知った。本に登場する人たちについては著者自ら話を伺い、また亡くなって会えない人とは関係ある人に会って話を聞いて書いている。これは読むものに迫力を与える。以下は、本の気になる個所の抜粋。

 ともあれ今日も元気で楽しく過ごしましょう!

★戦後、強くなったのは靴下と女などと言われていたのも、もう半世紀以上もむかしの話になっている。女の政治家も一向に増えないし、人気もつづいたためしがない。   では百年前の「青鞜」時代から、女は果たしてどれほど地位を向上させたのか。やはり、自分の書いてきた女たちの生き方を、たどり直すしかないと思った。112p

★生きるということは、一瞬一瞬、真剣に、生命の火を完全に燃焼しつづけ、自由になることだと、岡本かの子に教えられた。どうせ生きるなら、力いっぱい、自分の全力を尽くして烈しい生を生き通したい。その果てに訪れる「死」が輝かしいきらめきを持って私に迫りだしてきた。爾来、私は美しい死を選びとった女の生涯にいっそう惹かれるようになってきた。田村俊子や岡本かの子や伊藤野枝についで、目下私をとらえている「烈しい生と美しい死を」選びとった女性は菅野須賀子であった。217p

★私が書いてきた人々はすべて人並みでない烈しい生を燃え尽くし美しい死をとげたと、私は感動させられる。234p

★二〇一一年は、一九一〇(明治四十三年)に起きた大逆事件の翌年一月二十四日と二十五日の二日で十二人の死刑が執行されて百年目に当る。またこの年の九月には平塚らいてう主宰の「青鞜」が発刊されている。これも百年目だ。ところがマスコミはほとんどこの歴史を無視して忘れたかのようであった。私はこのことが納得出来ず、かつて書いた自分の作品「美は乱調にあり」「諧調は偽りなり」「青鞜(上下)」「遠い声」などを読み返し、現代の若い人たちに、この当時の事件や日本人の思想を識って欲しいと切実に思った。その思いから書いた「この道」である。書きながらまた自作を読み返し、私は次第に興奮し、若返ってきた。(注:「この道」とは東京新聞から著者に話を持ち掛けられた時のものであり、この本のことである)245-246p

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