昨日午前中、歩いてお寺へ塔婆を取りに行く。受付けには若い女性が応対している。先客は何やらいろいろと話をしている。塔婆の1本は亡くなった奥さん用らしい。先祖供養との2本だという。我が家も塔婆2本をお願いしている。これを1本に変更したい。ところがそれを毎度のことながらお寺に言い出せない。どういっても持ち帰った塔婆をお墓までもっていかねばならない。自分の背丈ほどもある塔婆。自転車に載せられない。
幸い今は姉夫妻が車で持って行ってくれる。その持って行ったものを何日かするとまたお寺へ持って行って処分をお願いする。これ、けっこう大変。そのためにも数を減らさないといけない。
暑いので自転車でなく徒歩で行く。帰り際、お上人の奥様からお供えのおさがりを袋一杯頂く。あまり間食をしないので、もらったものは全部チビたちにいく。それにしてもいろんなものがお供してある。
午後は世界平和記念聖堂で行われた講演会に行く。先日スペインに同行した人からメールで外尾悦郎氏の講演会を知らせてもらう。知らせてくれた人は熱心なクリスチャン。全く信仰心がないので聞くか聞かざるべきか行くのをためらう。だが、ここは話を聞きたい。暑い中、会場へ向かう。
外尾氏はバルセロナにあるサクラダ・ファミリアでのお仕事に携わって38年になるという。京都の芸大卒業後、一年ほど教職に就く。その後、「石」があるヨーロッパに行きたい一心でたどり着いたのがサクラダ・ファミリア。サクラダ・ファミリアはまだ育ちざかりの真っただ中。氏は聖堂をつくる、ではなく育てると話される。それは永遠に育てねばならないらしい。
ガウディは聖堂に育てられた。石工として携わるうち、作っているのでなく作らせていただいているとお話しされる。
イタリアに「花の教会」があるそうだ。70年前からある華のように美しい教会らしい。だが、そこには教会として備わってないモノがあるという。仕事とは「本来あるべきものを作り出す」ことだとか。今までになかったものを作り出すことらしい。
リオのオリンピック。金メダルを取る人や選手たちの一生懸命さが見るものを惹きつける。そこには見るものと選手との心が通じ合っている→幸せを感じる→感動する→一つ一つのこの感動は美しさの種子→こうして美しさの共鳴箱となるという。芸術や本なども人に感動をもたらす美しさの種子らしい。
それには謙虚さがいる。知らないところへ行くと自分がいかに知らないかという謙虚さを知るという。それには旅行がある。
ガウディは生まれてから病気を持っていた。弱い体のためあまり動けない。だが、観察する力を持ち続けた。誰よりも忍耐力があった。流されやすい人ほど希望があるという。ガウディは小さな勇気で大きな希望を秘めていた。
今まさに育っている最中のサクラダ・ファミリア。自分がそれを作るのではなく作らさせていただく、育てさせていただくと氏は話される。ナニゴトも謙虚さが大事らしい。
今日も暑い!今日は明日参ってくださる準備で気ぜわしい。それにしても外尾氏とサクラダ・ファミリア横にあるレストランで偶然出会って以来、もう5年になる。今日も元気で!
ここまで書いてなんかわけのわからない文になってしまっている!
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