2016年5月5日木曜日

『虹の橋を渡りたい』&『人生に美を添えて』

 GWもお天気に恵まれて昨日のひろしまフラワーフェスティバルに2日目としては最多の53万3000人が繰り出している。東京にいる姪はモンゴルから帰ったとの報告が入る。一晩のうちに大雪になり、断水、停電、雪の中を歩いたり、車が動かなくなったりしたとか。それでもアドベンチャーだったと楽しかった旅のメールをくれる。添付写真は子山羊を抱っこしたもの。動物好きの姪らしく「可愛かったんよ」という。ただ、羊肉は困ったらしく、野菜を美味しく食べたそうだ。

 外モンゴルは行ったことがない。だが、ずっと前に内モンゴルへ行っている。同じくGWの時で宿泊のパオ(包、外モンゴルはゲル)の外を見るとやはり雪だった。姪のツアーは若い人が多かったらしい。乗馬体験などモンゴルらしい体験があり、落馬した人もいたらしい。首から手を三角巾でつるした人もいたそうだ。

 そういう報告とは無縁でGWはもっぱら読書三昧。『虹の橋を渡りたい』(中田整一 幻戯書房 2016年)、サブタイトルは「画家堀文子九十七歳の挑戦」を読んだ。この本はNHK勤務時代、ある番組で知り合った堀文子と交流がある筆者が堀の人生の聞き取りを続けてきたことを本にしている。
 
 「日本人は過去を忘れ歴史に流される今、堀文子さんの生き方を立ち止まって考えてみるのは意義あることではないか、と思うようになった」と筆者は「あとがきにかえて」でこう述べる。画家・堀文子の精神形成の後ろにある父の堀竹雄と夫の箕輪三郎。この二人は筋金入りの平和と反戦主義の思想の背景にいる影絵の人物であるという。そして背筋を伸ばしたぶれない生き方の堀。父と夫という二人に的を絞って徹底的に資料の調査を行って本にしている。

 「堀文子さんほど自然と共生して、草木と花、あらゆる生きとし生けるものに慈しみの心を寄せる人を寡聞にして知らない」、「六十代にアトリエ兼別荘を構えた軽井沢では、人間には馴れにくい野生の狐の餌付けを試みた。そして障子に穴をあけて、日々訪れてくるのを観察して山中独居を愉しんだという微笑ましい話もある」と本の終わりで堀をたたえて文を終える。

 またいつものように気になる個所を記そう。(文中に「堀」がないのは筆者の中田が堀の文を引用)

★人生は一炊の夢である。まことにはかない人の世で名誉や地位、財産、権力を競ってもどうなるものでもない。人間は等しく土に還る小さな自然の一部に過ぎない、と信じている。55-56p

★日本人のフォルムや色に対する意識は立体的に表現しようとしなかった。平面絵画を守った日本画の凄さが、いま、九十七歳で少しわかってきました。西洋の絵画は、彫刻の真似をしています。ところが日本画は理性の絵画ですね。絵というものは平面ではないですか。平面に立体を表現するときに、どうやって存在感を表そうかと、長年にわたって工夫してきたのが日本画です。…絵描きは雲水です。いわば一切の欲望を捨てて、美しい形に夢中になる奴がいいんです。そこに欲望が入ってはいけないんです。100-101p

★エラスムスは花で木でも、みなそれぞれがお互いを侵さず立派な生き方をしていると書いています。自然界は、平和で自立しているんです。平和こそ自然が人に与えた最良のもの、それを乱すのが人類の戦争なんですね。207p

★人生にたった一度だけ、初志を曲げて頼ったのがAIGのスターだった。勇気をだして”世界を見て見聞を広めたい、西洋のありのままを知りたい”と、手紙を書いた。スターに海外でのインビテーション(招待)、身元保証の依頼をしたのだ。218-219p

★送られてきた封筒のなかには、これらの国々へ三年間有効の航空券が同封してあった。218p

★ユカタン半島で見たマヤの遺跡の素晴らしさは私のかつての美意識を粉砕しました。ヨーロッパの合理的な美の原理とは全く異なる、現生よりは霊界との交信を思わせるこの簡素で優雅なマヤの美はわたしの魂に響きました。221p

★メキシコでの収穫がひかる斬新な一枚の絵「魔王の館」を出品した。…紙上に流した絵具の上に板を押し付け、それをはがした後にできる偶発的な絵肌を利用して描く絵画技法デカルコマニー(フランス語で「転写法」の意)という手法を取った型破りの日本画だった。堀の場合は、この時プラスチックの板に絵具を流し紙を押し付けて模様を創り、その上に絵を描いてみたのだ。234p

★欧州とアメリカに放浪の旅をつづけながら堀が考えたことは、ものづくりを生業とする人間は文明の便利さのなかにいると大切なものが見えなくなるという思いだった。…住み慣れた都会の暮らしを捨て、自然の草木と共生できる土地に移り住もうというのである。…探し当てたのが神奈川県大磯町、高麗山の山ふところの一隅である。239p

★二〇一五年の春、神戸の兵庫県立美術館で「堀文子『一所不在・旅』展」と題する特別展が開催された。堀文子の画業八十年を記念して百三十点の作品が展示されて注目を浴びた。四月から始まって二ヵ月足らずの展覧会に、五万四千二百人余の堀ファンなどの鑑賞者が訪れたのである。263p

 もう終わってしまったけれど、「堀文子『一所不在・旅』展」のURLは以下の通り。http://www.artm.pref.hyogo.jp/exhibition/t_1504/index.html

★絶筆は虹を描き、その虹の橋を渡って黄泉の国へ行きたいと願う。人生の長い道のりでたゆまぬ努力と挑戦を重ね、人々の心を感動でつつんできた日本画家・堀文子、九十七歳。虹の橋は、自らの信じる道を全力で疾走してきたこの人だけが授かる天からの贈り物だろう。堀の絵筆が燃え尽きるまでには、まだたっぷりと時間は残されている。269p

 この本と同じ頃に読んだのが『人生に美を添えて』(大村智 生活の友社、2015年)。大村も堀のことを書いている。これも記そう。それにしても昨年「おとなび」を利用して神戸の美術館で見た堀の展覧会。今、思い出しても見に行ってよかった。もうすっかり堀文子のファンになってしまった!堀と同じく「虹を描き、その虹の橋を渡って黄泉の国へ」私も行きたい!

★ 私はナチスドイツのアウシュビッツ収容所から奇跡的に生還したオーストリアの医師ヴィクトール・フランク博士の、「芸術は人々の魂を救い、生きる力を与えてくれる」という言葉に深く共鳴しました。…これからの病院は病気を診断し、治療するだけでなく、こころを癒す機能があるべきだと考えたのです。おかげで。メディカルセンターは「絵のある病院」として人く知られるようになりました。13p

★「私の絵には画風がありません。絵の師匠も弟子もおりません。群れず、慣れず、人に頼らず、同じものを二度と描いてきませんでした」とおっしゃる。この「群れず、慣れず、頼らず」という言葉は堀先生の信条であり、心を打ちます。175p

0 件のコメント:

コメントを投稿