先日、篠田桃紅の本を購入。この中で「自由という熟語は、自らに由ると書きますが、私は自らに由って生きていると実感しています。自らに由っていますから、孤独で寂しいという思いはありません。むしろ、気楽で平和です。」とある。「由る」を調べると「起因する」とある。
これを見て、「あ、そうか」と目からうろこ。普段何気なく使っている「自由」という言葉。文字からその意味を知ると奥が深い。そして、これは簡単なようであって簡単ではない。
昨日の日本画教室。この「自由」が当てはまる。下塗りしたパネルの上にカーボン紙を挟んでその上にトレースした絵を描いていく。先生からパネルに合う配置でトレースするように教わっている。ところが、パネルの下塗りが上手く出来上がっていないのか汚れが目立つ。その個所はたけのこで隠れると先生。そうか、と思って完全に隠すようにトレースをずらす。ところが、ところが…。自分なりに考えたことは大失敗。配置がずれたため、最初の思惑とかなり異なってしまった。
先生に見ていただくと、これも「怪我の功名」とか。ずれて空きすぎた空白にみょうがとナスを加えることにする。これは「自由」にした結果。すべては「自分に起因」する。
これまで絵を描くのはすべて先生におんぶにだっこだった。昨日初めて自分で考えてやったことがこの始末。それでも少しはやる気が出ているように思われるのか、先生にそういわれる。自分では結構その気でやっていてもどうも顔に出ないらしい。
来月開催される先生の絵の個展案内状。知っている人たちに配っている。それを見た人から、視力が良くないモノに向かって、「細かいところは得意でしょ?」と言われる。「どうして?」と尋ねる。目が悪いと近くで一生懸命見て描こうとするからそう思われたようだ。これを聞いてモノゴトがよくわかった人だと感心する。
今日はこれから絵のモチーフとするナスを買いに行こう。そして、午後はカープの試合のテレビ観戦。プールは明日にお預け。そういえばドクダミ草も絵のモチーフにすることになった。これでちょっとずつ絵を描く楽しみも増しそうだ。
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